四柱推命はじめの一歩、宿命についての考察

自分の宿命について

四柱推命の宿命観とは四柱推命を勉強していると、だんだん色々な事がわかってきますから、がっかりしてしまう事って多いかも知れません。
四柱推命の研究家、徐楽吾氏は、著書の中で自分の命式を挙げてこんな風に説明します。

徐楽吾氏の命式
丙 丙 壬 丙
申 申 辰 戌
「私自身の命造によれば、終身富むことができないばかりか、富者になる機会もないのです。
もし強いてそれを求めんとすれば、必ず財により災禍が有るのです。」
「それが、馬券の勧めにも応じない所以です。自ら発財の命ではないのを知っているからです。
それでは、発財でない命は劣命であるか?というと決してそうではない。
私の友人の許君などは学問教養あり、人望家で品行もあり、人々の尊敬に厚く、一生事業経営に打ち込んだ業績、功名は社会に在って徳望家であるにも関わらず、財を発する機会に恵まれないのは、その持って生まれた命造に起因するものでしょう。
最近、とみに、子平の方術を研鑽するものが非常に多いが、子平を学ぶにあたって私は一言、推命に対しての心得として提言するものがあります。」
「それは、生死貧賤に関しては一切、達観した考えでいなければいけないことで、もし、これについて心のうちに不平、不服とするものは、むしろ根平の研究をしない方がましでしょう。」
「あたかも皮の毛の荒い、浅いを探るような、分析的研究ではとても命学の妙技には至らないし、以前として一つも進歩発展せず、また、どうにか研究を深くして自己の命造を推断するに及び、なんら希望が見いだせず曙光ももてなければ、死を急がないなら、また必ずノイローゼとなり救いようがないでしょう。


除氏は、ご自分の金運のなさを嘆いているのですが、文化人ですし、政治に携わったりしていた方で社会的には恵まれた方でした。
本当に裕福になる可能性はなかったのかは不明ですが、
そもそも、才能、体質、人間関係、環境について、恵まれる、恵まれないのは、本人のせいばかりではないように思います。

人生は余りにも早足で過ぎ去ってしまうし、挑戦する機会さえ与えられない場合があることも少なくありません。

四柱推命の考え方は、はじめに「宿命」があって、天が与えていないものと、与えていないものがあります。
その次に宿命の範囲内で、少しでも良い人生を送る方法を、命式から考えましょうね、という方法論となります。
与えられた運以上のことをする事、大きな夢をみることを戒める意味もあれば、悲運に泣いて肩を落として泣いている時でも、道があることを現しています。

しかし、命式には、上、中、下と、格式があります。
上格の人は比較的楽な人生を送ることができ、下格の人は苦しい人生を強いられやすいです。
まあ、現代社会の現実でもある訳ですが、どの人にも人権があって、幸せになる権利があるとされているのに、四柱推命は人知を超えた宿命ってありますよ、と言っています。

また、原典の滴天髄の一文に
 
「欲與人間開聾瞶,順悖之機須理會」
  「つんぼでめくらのごとくの人間に、運命の機微を伝えることは良いことである」

と、書かれてあります。
宿命を知り、そういうものだと良く理解した上で、運命の機微を上手につかう事を、人々に伝えることは良いことですよ。

君子知命の学問といわれる所以でありますが、確かに小人では受け止められないでしょう。
願わくば抜苦与楽を。

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