芸術家の命式
小沢征爾さん1935年 9月 1日 10時 0分生まれ
辛 庚 甲 乙
巳 辰 申 亥
大運(数へ年)
8~ 17 癸 未 58~ 67 戊 寅 2004年( 70歳) 甲 申 建禄
18~ 27 壬 午 68~ 77 丁 丑 2005年( 71歳) 乙 酉 帝旺
28~ 37 辛 巳 78~ 87 丙 子 2006年( 72歳) 丙 戌 衰
38~ 47 庚 辰 88~ 97 乙 亥 2007年( 73歳) 丁 亥 病
48~ 57 己 卯 98~107 甲 戌 2008年( 74歳) 戊 子 死
日本が誇る世界的指揮者 小沢征爾さんの命式です。申月の金旺に生まれて庚金は辰に座してカイゴウ日生まれ。中和していますが、庚は強い干ですので、十分甲を剋せます。ご本人は人好きかもしれませんが、人を圧倒させるでしょう。庚金は、辛金の劫財も手伝って、あまり人のいうことに左右されない、ただ自分の思うように生きていく人だと思います。
津軽三味線
高橋竹山 2005.3.20
日 月 年
癸 壬 庚
丑 午 戌
大運(数へ年)
年運
7~ 16 癸 未 57~ 66 戊 子
2004年( 95歳) 甲 申 長生
17~ 26 甲 申 67~ 76 己 丑
2005年( 96歳) 乙 酉 沐浴
27~ 36 乙 酉 77~ 86 庚 寅
2006年( 97歳) 丙 戌 冠帯
37~ 46 丙 戌 87~ 96 辛 卯
2007年( 98歳) 丁 亥 建禄
47~ 56 丁 亥 97~106 壬 辰
2008年( 99歳) 戊 子 帝旺
明治43年、
青森県東津軽郡で生まれた高橋竹山は、2歳のころ病気が原因で視力をほとんど失ってしまいました。生きていくために三味線と唄を習った竹山は、 門付け
[家の前で演奏をしてみせて、お金をもらう]
をして東北・北海道などから、全国遊芸の旅に出ました。門付け生活は貧しく辛いもので、その間人々から屈辱の連続。国賊呼ばわりされ、痛い目に会わされたという。底辺の人達との生活―泥棒や人殺しなどのような人と友達になり、朝鮮の人達に良くしてもらっていたという。
戦後は仕事もなく、鍼灸師となり、生計を立てていた。その後、 70年代には渋谷ジャンジャンでの演奏をきっかけに"竹山ブーム"を巻き起こす事となった。徐々に評価を高め、アメリカやヨーロッパ公演も成功させ、
海外でも高い評価を受けることとなる。
高橋竹山の三味線は、ある時は悲しく、
ある時は激しい音色で、人間の五感全てに訴えかける至芸といわれ、
1998年2月に87歳で惜しまれながら他界しました。
57歳から、戊子の運気が入りはじめます。ここから、だんだん運気が開かれます。思うに、根なしであった癸壬に根が張るようになり、自らの力が充実し、戊は戌午に通根し文字どおり官をえられたのではないか。
実業家の命式 |
孔祥熙(コウ・ショウキ) (1881~1967) 命式 庚癸乙庚 申卯酉辰 9~ 18 丙戌 59~ 68辛卯 19~ 28 丁亥 69~ 78壬辰 29~ 38 戊子 79~ 88癸巳 39~ 48 己丑 89~ 98甲午 49~ 58 庚寅 99~ 108乙未 化して命式が変化 庚癸乙庚 庚癸辛庚 申卯酉辰 → 申卯酉辰 喜神― 戊己庚辛壬癸(官・印・自) 仇神― 甲乙(食) 忌神― 丙丁(財) 用神―庚 ---*-------------*------------*------------ 山西省太谷出身。孔祥熙は孔子75代目の子孫にて、財閥の御曹司。(1881~1967) 1911(明治44)年(辛亥の年)ブルジョア民主主義革命を意味する辛亥(しんがい)革命で、清(しん)王朝(中国最後の王朝{1616~1912})は倒れた。 辛亥革命に参加し功績を残したことで、後も中央銀行総裁、行政院長などを務めた。 中華民国政府に君臨した“官僚資本家“であり、中国で初めての“銀行家“となる。 国民党政権の要職(大蔵大臣)につき、財政金融の実権を握った。 革命のさなか浮かれる者も多い中、孔は常に現実主義者であった 妻は、聖書の印刷で富を築き、当時権力を持っていた宋嘉樹の長女・宋靄齢(アイレイ)孔祥熙は彼女の勧めで銀行を興し、中国経済を左右する大財閥を築いていく。 --------*-------------*------------*------------ この方は錬金術師のような手腕家でした。まだ見ていませんが映画化されているそうです。 パメ --------*-------------*------------*------------ 孔祥熙所有の多くの不動産は自身の名義ではなく変名や一族の名で購入され、 旧日本軍が上海・南京を攻略してからは、孔祥熙ら四大家族は臨時首都であった 重慶へ避難。 ブラック・マーケットを利用し多額の米ドルを手にした上、売れ残った公債を 好き勝手に仲間内で分け合うなどの悪事を働き、1945年には世論に屈服して 孔祥熙は中央銀行総裁を辞任している。 --------*-------------*------------*------------ 戦争の混乱期にも私欲を貪り続けた男、とも書かれております パメ --------*-------------*------------*------------ 略歴 1901年 米国留学(エール大卒) 1911年 辛亥革命に参加(おそらく軍人としての参加ではない) 1928年 国民政府工商部長(抜擢をうける) 1933年 財政部長・中央銀行総裁 1937年7月7日 日中戦争が始まる。 1938年 行政院長 1939年3月8日 英国は中国と法幣安定借款協定を調印する。孔は、その鮮やかな財政手腕で蒋介石の抗日戦争に大きな貢献をした。 1941年12月 日米両国の全面戦争が始まる。大インフによって中国法幣の価値は下落。やがてはただの紙切れになった。 1942年5月 共産党の攻勢により相次いで南京、上海が陥落国民の支持を失った国民党政権は台湾に逃れる。 1948年11月 法幣は廃止に追い込まれる 1967年 解放後は米国へ。終生、ついに大陸に戻ることは出来なかった。 --------*-------------*------------*------------ 解説 >◎第一運 9~ 18 丙戌 --------------- 第一運から忌の財が巡り破格します。恐らく、父親の影響から煩悶多い暗い少年時代を過ごしました。戌で、金方局。周囲の環境に恵まれ、事無きを得ます。年柱の示すとおり、恵まれた家系に生を受けました。 >◎第二運 19~ 28 丁亥 --------------- 続いての破格運が巡ります。プレッシャーがかかり、思い通りに活動できません。卯と半木局で方向性に迷いますが、運勢に流されるままです。 1901年 二十歳 米国留学 米イェール大学に留学 年運 辛丑 年運に用神が巡り、この年は方向性が定まります帰国後は、すぐに太谷銘賢学校校長となります。両親は孔祥煕の行く末を学校経営に託します。 >◎第三運 29~ 38 戊子 --------------- ここに来て、喜神の戊土の到来。日干倍力、用神である金性を生じ世に出ることができます。幼少時に破格運が巡っておりますから、やや遅咲きの花となります。 ここで、辛亥革命が起きます。 ○1911年 30歳 年運 辛亥 山西学生軍の総司令にあたって、閻錫山の顧問をつとめ上げ大きな成果をあげることができました。 今大運中に、当時権力者と交流のあった宋嘉樹の長女・宋靄齢と結婚。人脈と権力を手にすることができます。 ◎第四運 29~ 38 己丑 --------------- 続いて、喜神の己土到来です。旺神を助けて発展します。 ○1924年、43歳 年運 甲子 広東に遷り、広東政府の財政庁長をつとめました。 ○1928年 47歳 年運 戊辰 国民政府工商部長になりました。大抜擢です。その後、財務大臣となり、まさに命式通りの天才的な才能を発揮します。 ◎第五運 49~ 58 庚寅 --------------- この第五運は、用神の庚金到来です。大発展の運が回ってきますが、原局の年干月干が不専となってしまいます。ですので、順調程度です。固有の乙木透干となって、支に、寅卯辰の東方木局が成立するということは、庚金からの乙木財の争奪が始まるということです。 ○1933年 52歳 年運 癸酉 比肩強まり自分独自の方法が通る運気。支の取り方が少々複雑ですが、酉金で東方木局を解いて、全支固有。湿土、酉金が喚起されて金旺の年とします。国民党政府の財政部長に就任。財政部長、中央銀行総裁。ここで中国初の銀行家となりました。 ○1934年 53歳 甲戌 続いて金方局の成立。微腕を発揮します。 ○1935年 乙亥 政府による中国、交通両行の経営掌握を宣言。実質上の独裁体制を形成します。 日月干は喚起されて大喜の時期。亥卯の木気で、食傷巡る時は、どうしても印は極端な働きをします。 ○1936年 丙子 四大家族の、贅を尽くした建築物がこの年に立てられる。余裕が出て、丙財の無駄遣いとなります。のち没収される。戦争の暗雲ただよう ○1937年 丁丑 日中戦争が始まる 忌の丁火が到来します。孔は金集めの為、奔走にあけくれました。後半は、酉丑の金局にて、成果を出せたのです。 ○1938 戊寅 喜神戊土到来です。行政院長に抜擢。 ◎第六運 59~ 68 辛卯 --------------- 命式は元通り喚起されます。辛金の用神運が到来で、引き続きラッキー運です。 ○1939年3月8日 年運 己卯 己土は、旺金を強めるのでここで発展です。英国は中国と法幣安定借款協定を調印。鮮やかな財政手腕と評価されて、実質的に蒋介石の抗日戦争に貢献しました。 ○1941年4月25日 辛巳 平衡基金協定が調印されて、一安心です。そして・・・・・ナイショで、海外援助からの不正蓄財に励むようになります。妻の靄齢さんと一緒になって、政府高官の地位を利用しました。インサイダー取引をして、私腹を肥やしはじめます。 前半は良いですが、用神申合去で、バランス感覚がくずれます。そういう時は、判断力に狂いが生じるのです。 ○1945年 乙酉 命式の年月干合が喚起されて 庚癸乙庚 申卯酉辰 と、なりバランスがくずれます。 世論に屈服して孔祥熙は中央銀行総裁を辞任することになりました。原局の、卯酉冲去、酉辰合去成立。金性のバランスがくずれ、地位からの失脚です。 ○1948年 戊子 喜神戊土で悪運強し。子に水局の成立で、旺金の力がやや減力いたします。 さんざん私腹を肥やして、国を混乱に陥れ、国民の支持を失った孔祥熙とその仲間(国民党政権)はそれぞれ、アメリカ、台湾と逃れます。 奥様の靄齢は、香港の別荘へ。孔祥熙はアメリカの豪邸へ。この時点で、宋一族は、莫大な資産を所有していて、世界一の財閥となっていました。この時、孔祥煕は一部不動産を処分していて現在は上海市優秀近代建築物に指定されています。 ◎第七運 69~ 78 壬辰 --------------- 劫財の喜の大運中で、その後台湾、中国経済に影響を与えつづけています。しかし、庚金用神とすれば壬水は漏星となり、前半は出費が多い傾向と自由に移動する意味があり、後半は辰土にてやや落ち着きを取り戻します。 ◎第八運 79~ 88 癸巳 --------------- 今大運中も喜神癸水で余生を楽しめたと推測できます。巳火は申金を合去し、後半は忌の傾向です。 ○1967年 86歳 丁未年 忌神、丁火が巡りました。支には、巳申合去の成立。酉辰合去の成立。喜神全て奪われ、未卯の半木局で引火いたします。アメリカ、ニューヨークで死去。死去 享年86歳でした。 --------*-------------*------------*------------ ・この人は元校長でありのち銀行家となりえた ・妻との関係、兄弟との関係、子供との関係 ・アメリカへ逃亡 ・資金をどのように流用し、どのように終着させているのか --------*-------------*------------*------------ この命式の特徴は従強格でありながら、は日支に卯木食神があり、仇神となっております。 旺神から見れば卯木は剋すべき財となり、この卯木を奪い尽くすところに大きな特徴があります。 この卯木は仇神ですから、つまり並外れた強欲であり、手段選ばず我が物とする性分と、反面女性にコントロールされやすい、などの特徴があると思います。 --------*-------------*------------*------------ この命式は、「内格の印綬格」ではなく、まさしく「真の従強格」ではないかと推測し、貴重な(?)珍しい命式なのではないかと思い、事象と照らし合わせて説明しました。 |
漫画家さんの命式 |
内田春菊さんの考察 内田 春菊 辛日の偏印、比肩、劫財でしたら考え方が変わっていると思います。土旺の、戊己透出で、職業婦人型の命式です。 小林 よしのり氏 1953年8月31日生 福岡出身 時 日 月 年 丁 甲 庚 癸 卯 寅 申 巳 立運 8年 ←大運 癸 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申ゴーマニズム宣言とか、朝まで生テレビで大活躍のよしりん。 彼の全体像としましては、まず月上の「偏官」という星が司令していて力を持っているんですね。 ぴったり甲木(本人)に寄り添っていて、「寅を抱いて眠る」のことわざ通り、寝ても覚めてもいつも神経が休まることがない、という感じです。彼の武器は時上の丁火。木火傷官は創造力に優れていて、芸術家肌。自分を表現したくって仕方がないとか、ものを作り出すとか創作することに長けているのです。 過酷で厳しい日常生活、その上で搾り出すような才能という辺、いかにも「マンガ家」というイメージを持ちます。 ただ、この丁火はとっても途絶えやすい。ふっと吹き消せば消えてしまうように移ろいやすく、本人はどうしても神経質になります。 よって、大衆うけしないややマニア的な要素をもった制作。また、息の長い分野ではなく水商売的な不安定な要素があって、病的なほど神経を使うでしょう。 もともとそんなに運の強い人のようには思えない部分があり、病気があるとか生活に制限の多い暮らしをするという面があります。 事故運や他人の為に犠牲になる運を持っています。へたをすると夭折の憂いという可能性もあるでしょう。---------*-------------*-------------------*---------------*------- 性 格 性質は行動力があって、自己主張が強い。相当な負けず嫌い。思いきったことをして、周囲をあっと、言わせたりします。 ちょっと、暗い情念を持っていて、自分に歯向かう人は許せないというか、容赦しないようなところもあるでしょう。 自分を頼ってくれる人には、とても弱いかも。下手に出られると、よく面倒をみたり、お人よしになる傾向があります。 部下運とか、ファン層は時干の丁火に当たりますが、命中で一番大切な部分になっていますので、自分が養うと同時に、必死でサービスしたり、絶やさないようにと、とても大切にするのです。 配偶者は日支が力を得ているところから、良く協力してくれる配偶者を得ることができ、寅中の丙で、ややおっとりした感じの女性と縁があるかもしれません。 子供運は、忌神ですので得がたいか、縁が薄いと見て、晩年になってから得ることもあります。 会社に所属するとなりますと、激務で何かを押しつけられるとか、結局自分一人で背負うはめになりやすく、立場は不安定かもしれません。 やはり、傷官の技を磨いて大衆に還元していくような職業が一番ぴったり来るように思えます。 ---------*-------------*-------------------*---------------*------- 大 運 彼の命式の良いところは、大運の助けがとても大きい、ということなのです。ちょうど、人生の活動期から始まる、40年にわたる用神を含んだ喜運、扶干、専旺干支は本人に大きなチャンスを約束しています。本人の才能を発揮できるような南方運が続きますから、出世は偶然ではなくて、約束されたものであるとも言えるでしょう。大運で時の流れを読んでみますと、幼少時、少年期は、忌運がめぐっていますので、あまり恵まれたものではないかもしれません。 体が弱いとか、親の都合で、制限の多い生活を強いられる可能性が高いのです。特に7、8、歳の時分から、10歳ぐらいまでは、かなりきついかもしれません。 その後は少しづつ安定しますが、17歳ぐらいから金水運が巡りますから、20ぐらいまで、ややスランプ気味です。 本格的に運気が向上していくのは、23歳ぐらいからでしょう。 食傷の才能発揮で、用神運が、「専旺干支」の形で巡りますから、私生活、仕事において、またとないような、大きなチャンスを手にすることができる時期なのです。 38歳ぐらいまで、この時期を上手に乗り切れば、その後、社会的成功を治めることができるはずです。 ただ、活躍するには「殺星」の活躍が不可欠ですから、そうとう重労働に耐えなくてはいけません。 38歳からの大運の変化も、またまた彼に有利に働きます。接木運の、38歳、40歳は不安定ですが、辰卯寅の方局が巡りますので、身が一転強となり、殺の良化。 作品の方向性が円熟したものになるとか、余裕が出てきたりするのです。 ---------*-------------*-------------------*---------------*------- 今 後 48歳からの大運は、乙卯という干支が巡るのですが、ここで一つ心配なことがあります。 彼の月令は金旺であり、原局の庚乙合化の可能性がある、ということです。 そうなりますと、官殺が旺じますので、働きすぎの過労、不意な事故や病気、暴徒という意味があり、年で言いますと、52歳あたりが、一番心配な時期です。 思想で言えば、右よりに偏るとか、一人暴走する危険をはらんでいる、ということなのです。盛運の中の落とし穴に気をつけなくてはいけません。配偶者や、仲間の協力、が必要不可欠で、周囲の意見を十分に取り入れることが、カギとなってきます。 まあ、その後、喜の大運を巡りますから、当分は氏の活躍が楽しめそうですね(^^))) |
スポーツ選手の命式 |
イチロー氏 命式 秋月の辛金が壬に淘洗され丑に根をもつ。良い命式。食傷透干してやや身弱の命。辛金は、本来は苦労性の地味な人柄。湖の底深く沈む真珠。人知れず輝く真珠が、巳の力を得て、どんどん世間に押し出され、世に発現されてくる様子ですね。大運に恵まれています。 祝☆谷亮子選手 1~ 10 乙酉 51~ 60庚寅 |2003年( 29歳) 癸未 墓 申月の金旺死令に生まれた乙木ですが、年干に乙木、月干に甲木透干し、年日支に卯があって、金旺といえども、中強程度の身旺の命式です。我を張りやすい点、身内からの災いに注意だと思います。 |
占い師の命式 |
細木数子さん、去年から特番もって大ブレーク。( (((^^)) 時 日 月 年 占い師。1938年4月4日生まれ。 全支木、月上乙木。頭の回転早く、独創的。行動力。年上食神は口ベタだが威厳と、説得力がある。 |
高島呑象について 二つの命式についての考察 |
先日ウグイスさんが、高島氏の命式をUPしてくれました 高島嘉右衛門(呑象)は天保3年11月3日江戸三十間堀町で生まれました。11月3日の明け方なら11月2日と記録されるはずだし、日干支の境い目を午前0時とするならどっちでも同じですから、これは考えなくても良いと思います。 高島氏の命式なのですが、二つ候補が出ました。どちらだと思われますか? 高島嘉右衛門(呑象)殿 |
藤田小乙女さん 女性霊感師の藤田小乙姫さんの命式です。 丁 丙 壬 丁 酉 申 子 丑 このなのですが、略歴としましては、11歳頃から霊感を発揮し、横浜の霊感少女と呼ばれその後、松下電気や多くの事業と関わりを持って経営コンサルタントとしての地位を確立したそうです。俳優達と浮名を流して子供を一人もうけています。1994年ハワイで(享年56歳)永眠いたしました。 この命式は祭壇の様子ですね。丙火は太陽神、八百万の神。壬は鏡、お神酒があふれんばかりについであって、丁はローソク、ぼんぼりがついたり消えたりしています。ちゃんと左右に灯っていて、白と黒と赤の幕がはってあり、準備は整っている様子ですね。 神聖さの裏に、お金と人脈がうごめいています。木運が巡って、左右の灯火が燈りました。甲寅10-20お布施と、お仕事、人々が集ってきますが、乗せられてしまうと、最終的には恨みをかって、虚実につながります。 自分の本当の宿命と役割を自覚して、神を祭り、ローソクを絶やさない 努力ですね。甲木の印なのですが、水に乗って離れやすく、絶え易いのですから気ながに数を増やすことでしょうか。 後援者や信者さんを指導して幸せに導く役割が先決でしょうか。 |