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2010.06.27.
2009, Africa
じっとおのれの手を見つめ、握ったり開いたりを繰り返す。自分の意思でそうできる、というのが少し不思議な気がした。ほんの数時間前までは絶対に出来なかったし、ましてや解放されるなんて夢にも思わなかったのに。
今や私は完全に自分の体を取り戻していた。
投与され続けていたあの薬の効果も、ほぼ切れたようだ。精神を支配し身体能力を飛躍的に向上させるなんて、あまりにもおぞましいし唾棄すべきものだ。――だけれど、ジョッシュとともにあの地獄を抜けられたのは、薬の効果が少なからずあったからだ、とも思う。その一点だけには、感謝すべきかもしれない。
私は今、BSAAのヘリの中にいる。操縦席に座るのはジョッシュ・ストーン。BSAA西アフリカ支部に所属する現場指揮官。有能で頼りになるのは分かっている。だって先刻それを目の当たりにしたもの。背中を預けるには申し分のない人だ。
本来はパイロットではないのだろう。でもこの非常事態において重要なのは経験の有無であって、ライセンスの有無なんて気にするほどのことではない。私には出来ないことを彼がやれる、今はそれで十分だ。
窓越しに世界を眺める。東の空に昇り始めた太陽が、その光で夜の残滓を洗い流し始めていた。闇がはらわれ白くなった世界に再び色が落ちていくその様と、徐々に強くなる光に、私は目を細める。
まるで自分自身を見ているかのようだった。
闇に閉ざされた長い長い夜が、いまようやく明けようとしている。ほんの半日前までは夢想すらしなかった。自由を、この美しい光景を、感じる日がくるなんて……。
視線を感じてキャビン内を見ると、クリスと目があった。じっと見つめるその表情はどこか物憂げで、まだ私が、失ったはずのかつての相棒が生きてここにいるということが実感しきれていないような感じだ。
どうしたの? 私はここにいる。夢や幻覚なんかじゃなくて、現実なのよ。
そんな意味も込めて、そっと笑みを投げる。
驚いたように彼は瞬きをした。それから表情と口元を緩めて笑む。この状態を実感し慣れるには、もう少し時間が必要だろうし、それは私だって同じ。今はただ、頬をつねってこれが夢ではないと知るだけだ。
キャビン内にいるもう一人の女性、シェバ・アローマとも視線と笑みを交わしあう。そうして座り心地の悪いシートに背を預けると、私は再び視線を外に向けた。
後方に流れて溶ける景色を眺めながら、溶岩の海に消えたかつての上司を想う。
今度こそ、死んでいて。あなたの夢の残骸は、私が――私たち(BSAA)が――綺麗に片付けてあげるから。“神になる”と言っていたけど、ねぇ、人は神にはなれないのよ。何も生まず、ただ破壊と恐怖を振りまくだけなんて。それでは誰も讃えてくれないし、崇拝だってしてもらえない。なによりも、誰も愛してなんてくれないでしょう。そんな世界に君臨したって、虚しいだけではないの?
理由はどうあれ、私はウェスカー、あなたの野望に加担していた。
この手で厄災を撒き散らした。
けっして赦されることではないだろうし、消せない事実と罪の意識を背負ってこのさき生きていくしかない。
それでも、私には仲間がいる。あなたに“共犯者”はいたかもしれないけど、仲間はいなかった。過ちを正し、赦し、受け入れてくれるような人は、誰一人いなかった。
今なら分かる。あなたもあの巨大な傘に人生を翻弄され続けた、哀れな子羊でしかなかったのだと。自ら選び、望んで掴み取ったはずのことが、実はそうするよう仕向けられていたと知った時、あなたは何を感じたのだろう。怒り? 絶望? それとも……
――今だけは、あなたの為に祈るわ。
哀れな魂に安らぎを。
神の御許で悔い改めんことを……
全身を満たすこの気怠さは、薬が切れたせいなのか、それともただの疲労からなのか。どちらなのかはわからないけど、どちらでも構わなかった。解放感と相まって、それさえも生を実感する心地よさに変わるから。
先ほどよりも鮮やかさを増した世界。私はそこから目を背けるように、そっと目蓋を閉じた。
本当の夜明けはまだだ、まだ、夜は明けない。
けれど、確かな気配を感じている。空気が変わる。世界が、心が、ざわめき出す。
――夜明けは近い。