a Day in the Life −人生のある一日−

05 : Kiss the Dust

2003.06.13.

 吐き気を催す程の腐敗臭が街全体を幾重にも覆っている。早く嗅覚が麻痺してくれと、本気で願う。
 街の惨状は、事前情報以上だった。
 どこもかしこも、死体とバケモノだらけだ。生存者なんて・・・本当に居るのか?
 任務――市民の救助と保護――なんてどうでもいい。片端から保護して回っていたら、終いには笑っちまうほどの団体に、ラクーン市民御一行様になるだろうと最初は思っていた。だが、ここまで酷いとなると話は変わってくる。
 とにかく生きている人間に会いたい。
 死体やバケモノに出くわす度にその思いは強くなる。誰か一人でも保護出来れば、あの日以降ずっと抱えてきた罪の意識がほんの少しでも軽減されるんじゃないかと、変な期待をしたせいかもしれない。
 バケモノが少なくて人が居そうな建物を見つけては中に入ってみるが、今までの所全て無駄足に終わった。時折動く影があるもののそれは決して人ではなく、人の形をした別のものだった。生きている人間の気配はなく、助けを呼ぶ声も聞こえない。
 この街はもう、とっくに死んでいる。
 ……助けられない。俺はまた誰一人助けられないのか。
 あの日の様に、死なせてしまうのか。

 九月も終わるというのに、日差しは焼けるように熱く、気温もかなり高い。風があれば幾分しのぎやすいものの、風のない場所ではただじっとしているだけで汗がにじむ。こう暑くては、腐敗もかなり進むに違いない。幸いにして正午を過ぎた頃にはもう嗅覚が麻痺していたから、明け方と比べ一段と強まったであろう腐敗臭は感じずに済んだ。
 陽が落ち通りを街灯が照らし始める頃、一応の安全を確認したあるアパートの一室で、仲間と共に休憩を取った。
 降下してから13時間が経過し、既に分隊の仲間を半分失っている。この調子では全滅するのも時間の問題だ。出来るだけ早い内に他の連中――他の小隊分隊、U.B.C.S.の人間ならば誰でもいい――と連絡を付けて合流したいが、夜間に行動するのは気が進まない。いくら自動で点灯する街灯が生きているとしても、そこここにはこびる暗がりは、生きて動く俺たちに明確な悪意を向けている。
 普通ならば闇に紛れて行動する所だが、既にあらゆる道理や常識が崩されたこの街では、それも賢明なこととは思えない。視界の良い日中に行動した方がまだ安全だろう。
 となればここで籠城し、夜明けを待つべきだ。
 ……それにしても。暑さと緊張と、それからずっと走り続けていたせいで、やたらと喉が渇く。出発時に持っていた水筒の中身は随分前に飲み干していた。それは皆同じだったようだ。どの水筒をひっくり返しても、一口分の水も集まらなかった。
 飢え、渇き、疲労、緊張。そして恐怖。
 全てが限界点に達しようとしていた。
 限界を超えた所で活動出来るように、訓練を重ねてきたはずだったのに。死者が動き生者を襲うというこの異様で異常な世界に、俺たちの精神はかなり追いつめられていた。……ヤツらに喰い殺されるくらいならばいっそ、自分のこめかみを撃ち抜き楽になろうと、真剣に考えるほどに。
 それでもなんとか正気を保って、どう行動するか考えていられたのはやはり訓練の賜物なのだろう。
 まさか夜をこの街で過ごそうとは誰も予想だにしなかったから、腹持ちするような糧食は何も持ってきていない。何かを持っていたとしても精々チョコレートバーくらいだ。空腹には耐えられても、喉の渇きには耐えられそうもない。
 不意に仲間の一人がふらふらと水道に近づき、蛇口をひねった。澄んだ水がほとばしる。猫背の男はさらにその背を丸め、流れ落ちる水に口を寄せた。ごく自然に。彼は喉を鳴らしながら水を飲み下す。口を離すと今度は手にした空の水筒を満たした。
 滴る水を振り払いながら俺たちの方に向き直ると、彼は満足そうな笑みを浮かべた。そして身振りでこう問いかけてきた。
 ――お前らは飲まないのかい。
 誰かが出るはずのない生唾を飲み込み、喉を鳴らした。
 その音が合図ででもあったかのように、全員が弾かれたように立ち上がりアパート中のあらゆる水道に群がった。無論、俺とて例外ではない。蛇口に飛びつき、一心不乱に水を貪り飲んだ。

 ――こんな異常事態のただなかではあっても、ここは偉大なる合衆国だ。発展途上の第三世界ならいざ知らず、整備された都市システムが人間を裏切るはずがないと。無条件に信じ切っていたのだろう。
 そこに悪魔が潜んでいるとも知らずに。
 愚かな俺たちは、遂にみずから破滅の原因を取り込んだのだ。

     * * * * *

 無線の調子が悪い。
 昨日からずっと何度も呼びかけているのに、返ってくるのはノイズのみで誰も応答してくれない。周波数を変えたり無線機を変えたりして何度も試してみたものの、結局どれもダメだった。
 仕方ない。無線交信は一旦諦め、夜が完全に明けるのを待って行動を再開した。
 徘徊するバケモノは確実に昨日よりも増え、状況は益々悪化している。その中で俺たちは、指示された兵員回収地点を目指しながらも、まるで何かに取り憑かれたかのように生存者を捜して回っていた。
 行く手を阻むバリケードを迂回し、時には乗り越え、まるで巨大な迷路と化した市街地を進む。事前に受け取っていた地図はあまりにも簡略化されすぎていたし、設置されたバリケードの御陰でほとんど使い物にならなかった。
 風に乗って時折銃声が聞こえてくる。
 目に見え、掴めそうなほど濃い臭気にくるまれたその音は、耳に届く頃にはひどくくぐもってしまっていた。おかげでどんな銃が発したものなのか、その音源は近いのか遠いのか、どの方角から聞こえてきたのかさえ、まるで見当がつかない。
 もっとも、それらが分かったからといって、何が出来る訳でもなかったが。

 正午を過ぎた頃から、僅かながら移動速度が落ちてきた。
 疲労とは違う気怠さが全身を支配する。微熱がある時の感覚にとてもよく似ていて、そのせいなのか注意力がひどく散漫になっていた。この街の異常さのせいで色々な感覚が麻痺していたのは認めよう。だけど多分、原因はそれだけではなかったはずなのだ。
 悪いことに、自分の状態を正確に把握出来ていなかったらしい。わかってさえいれば避けられたかもしれない、不運。
 その時俺は、先頭を進んでいた。
 どうしても乗り越えられないバリケードの迂回路を探して、ある雑居ビルに入り込む。人間は勿論、珍しくバケモノさえいないフロアを一通り探索し終え、バリケードの反対側に出られる場所を見つけた。ざっと路上一帯に視線を走らせ、切羽つまった危険がないのを確かめてから屋外へと踏み出す。
 ……細心の注意を払って、路地へと続くドアを開けたのに。
 まずい、と思ったときにはもう遅かった。
 視界の外から腐りかけの犬が現れ、飛びかかってくる。避ける間があらばこそ、だ。完全に不意を突かれた俺は、なす術もなく脇腹に噛み付かれてしまう。ライフルの銃床で犬の頭を殴りつけなんとか振り払ったものの、強靱な顎と牙にタクティカルベストを食いちぎられてしまった。
 息を吐く間もなく続けて現れたもう一匹の犬が、さっきと同じ所に食い付いてくる。ただし今度はベストという防御物がなく、無防備になっていた脇腹に、汚れた牙が突き刺さった。
 鋭い痛みが脳天まで突き抜け、堪えきれずに喉の奥から悲鳴が漏れる。同時に自分が発したのではない銃声が二度耳を打つ。どちらも犬の身体に命中し、その衝撃に耐えきれなかった犬は十数フィート離れた所まで吹き飛んだ。起きあがろうとした所へ、更に数発の銃弾が撃ち込まれる。銃弾はバケモノとなった犬の身体から腐臭を放つ肉と体液をこそげ取り、一帯に飛び散らせた。もう、動き出す気配はない。
 それと同時に何本かの腕が伸びてきて俺を掴み、たった今出てきたばかりのドアから屋内へと引きずり込んだ。服をはぎ取られ、血の流れ出る傷口が露出する。くっきりとした歯形が残ったものの、肉を食いちぎられはしなかったらしい。水筒の水で傷口が洗われ、それから瓶をひっくり返すような勢いで消毒薬がかけられる。
 ありがたいのだが、消毒薬のおかげで傷口が焼け付くように痛む。歯を食いしばり、必死で漏れそうになる悲鳴を堪えた。誰かが傷にガーゼをあてがい、きつく包帯を巻きだした。
 大した傷じゃない、大丈夫だと励ましてくれる仲間の声。
 死に至るほどでないことはわかっている。だが、とにかく痛い。
 応急処置が終わり打たれた鎮痛剤が効き始めると、なんとか動けるまでになった。仲間の肩を借りて、移動を始めた。


 傷の痛みのせいだけでなく、異様に全身が重い。自分の身体なのに、まるで他人のもののような違和感。一分一秒過ぎる毎にその感覚は酷くなる。とうに出血は止まっているのに、傷口から、指の先から実体がなく目に見えない何か――しかし血液と同じくらい重要な何か――が流れ出していく。
 そうしてある瞬間、唐突に気付いてしまった。
 どう足掻いたところで、きっと俺はこの街で死ぬのだろう。今の自分は全くの戦力外であるばかりか、仲間にとってひどいお荷物に成り下がっている。足を引っ張るばかりの俺が居なくなれば恐らく、彼らが生き延び、無事にこのイカレた街を脱出できる確率が多少は上がるに違いない。
 意を決して、俺は仲間に頼んだ。
 もう、いいから。俺を置いて行け、と。
 最初こそ渋ったものの、二度三度重ねて頼むと何とか了承してくれた。渋い表情の中にかすかな安堵が見えたが、それを責めるわけにはいかない。誰だって運ぶ荷物は少ない方がいい。それにこれは俺が望んだことだし、結局のところ傭兵たちにとって一番大切なものは、自分の命なのだ。
 最終的に仲間が俺を置いていったのは、警察署にほど近い位置にある小さな事務所の中だった。そこに散らばる様々な書類や物から、そこが俺たちのご主人様、アンブレラの事務所であるのがわかった。
 そうと知った瞬間、自嘲的な笑いが漏れる。
 あの日アンブレラに売り渡した俺の身体は、死ぬまで――死んでも――奴らの手の中だ。



To be Concluded...
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アトガキ

 とんだ嘘吐きだね、アンタ!(涙) 今回で終わるんじゃなかったのか〜〜ッ。
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ(平謝) 見積もりが甘すぎました……。この先も既に結構書いてあるのですが、いい加減長いし詰まって進まないしでやっぱり分割でアップすることにしました。
 今回のタイトル『 Kiss the Dust 』。負傷する、とか感染するといった意味です。我ながらナイスタイトルだと自画自賛(笑) 毎回結構タイトル付けに悩むのに、今回はかなりすんなり決まりましたです。毎回こうだといいのになぁ。
 ようやく終わりが見えてきました。
 愚痴と言い訳、泣き言は次回に致しましょう。うーん、そんなの読みたくない?(^^;
 ではでは。