03 : 終劇
2003.04.10.
それは長い長いショーであり、市街地という人工物の森で行なった狩りであった。
自分が何をしているのかは、はっきりと理解していた。
もしかしたら、あんたは笑うのかもしれない。俺が復讐、敵討ちをしていると知ったならば。旧時代的でナンセンスだと、嗤うだろうか。
そう。単純に言えば、人を殺して回っていた。
秋の深まりと共に行動を始め、春の花が咲き乱れる頃に俺は全てを終えたのだから、およそ半年。半年の間、俺の頭にあったのはその事だけだった。
20。
それが撃ち抜き、倒したターゲットの数。
一度の狙撃で打ち抜いたのはひとりかふたり。せいぜい三人。
その内の幾人かはリストに載せていない、何の恨みも関係もないヤツだったが。弾丸が放たれた瞬間に射線に入ったとか、たまたまそこに居合わせていたとか、そんなくだらない理由だ。くだらない連中とつるむヤツなんて、どうせ同じくらいの価値しかない。そう思ってたから、別に疚しさも何も感じなかった。それに十人を超えると、一人や二人増えたところで大した違いはなかった。
照準を合わせて、引き金を絞って。外しようのないほど大きな的が倒れるさまを、スコープ越しに眺めていた。くだらないショーが終わる頃には、何もかももうどうでも良くなっていた。
最後のターゲットを撃ち抜き、リストから名前が全て消えると、最初に予想していたような達成感や高揚感はなかった。ただ、やっと終わったと思っただけだった。
その時の俺には、なにも残っていなかったよ。一切合切の全部が壊れて消えてなくなっていた。先の人生に、なんの希望も持てなかった。
最後となった一発を撃った後も、俺はスナイパーの行動鉄則を破りその場に留まり続けた。それなりに知識のある人間が見れば、狙撃位置の特定はさほど難しくない。――だから。この場から連れ出してくれる人を、出来るならこの俺の人生に幕を引いてくれる人を待った。でも、神様は残酷だ。現れたのは、反吐がでそうなきれいごとと正義を振りかざすだけの、人形共。
まるで汚物でも見るかのような、あの蔑んだ眼差しは今でも鮮やかに思い出せる。
……俺は怒るべきだったのだろうか?
俺はただお前たちがやらなかった事をやっただけ。ゴミ掃除をしてやっただけじゃないか? 感謝されこそすれ、こんな風に手錠をかけられ、自由を奪われた身体を手荒く突き飛ばされ、引きずられながら歩かされる謂われなどない。
そう、叫ぶべきだったのだろうか。
ある意味に於いては、それが正しい行動だったのだろう。
叫び、暴れ、手近な誰かに襲いかかればきっと。誰かが俺に慈悲深い引導を渡してくれたに違いない。でも、そうしなかった。俺はただ連中に身を委ね、なすがままになっていた。何も考えたくなかったし、何もしたくなかったんだ。
なぜなら――さっきも言ったかな――何もかもが『終わって』たんだから。
* * * * *
こう言ってはなんだが、事件の捜査も裁判も恐ろしい程の早さでスムーズに進んだ。別段司法取引があったわけじゃないけれど、過去に類を見ないほど俺は協力的な犯人だった。自分がやったと確信出来る20人分の殺害容疑は全て認め、進んで自供しさえした。あんまりにも素直だったもんだから、逆に怪しまれたくらいだ。
言っておくが、俺は警察も憲兵も大嫌いだ。それでも、協力したのにはそれなりのワケがある。
考えていたのはたったひとつ。こんな茶番劇はさっさと終わらせて、一刻も早く楽になることだけ。つまり俺は……死にたかったんだ。誰かに殺して欲しかった。その時一番俺の願いを叶えてくれそうなのは奴らだったから、イイコにしていたのさ。
大体、刃向かった所で意味ないだろ? 俺は奴らの手の中に居て、生かすも殺すも全て奴らの気分次第だったんだから。
しかし俺はその時気付いてなかった。そういった協力的な態度が後の人生を変える要因となっていただなんて。普通の犯罪者の様に振る舞っていれば、あるいは。俺の望み通りの展開になっていたのかもしれない。
計画的に20人を殺ったのだから、絶対に死刑だと思ってた。
だから最後の木槌が振り下ろされ刑が確定した時――くしくも丁度一年前に復讐を始めた日だった――は正直、がっかりしたよ。法律は俺を殺してくれない。終身刑だなんて、死にたがっていた俺にとっては最高の懲罰だ。
刑務所に収監される日、俺を逮捕した刑事はこう言った。
「あの時のお前は、死んだ魚よりも虚ろな瞳をしていた。でも今の方がもっと酷いな」
――あんたが俺を殺してくれないからだよ。
すんでの所でその言葉を呑み込んだ。囚人護送車に乗り込むと、俺は格子のはまった窓越しに壮年の刑事を見下ろす。刑事も俺を見上げていたが、彼が見ていたのはマーフィー・シーカーという個人ではなく、犯罪者という大きなカテゴリで括った中にいる白人男の一人のようだった。
多分、もう二度と会いはしないだろう。
二人とも何も言わず、表情さえも消したまま、車が動き出すのを待っていた。
動き出した護送車は、やがてコンクリート製の高い塀に囲まれた施設に滑り込む。いくつものゲートが開き、それをくぐる度に背後でゲートが閉じる。別の世界へ入り込み、一歩一歩着実に外の世界が遠のいていく。
引き渡しの手続きが済むと、俺は正式に刑務所の所有物となった。看守に連れられて行ったのは、独房の並ぶ一角だった。
看守が去り檻の中に独り取り残された時、初めて生きている事に疚しさを感じた。
皆、死んだのに。
殺したのに。
彼らが必要とした未来と人生は永遠に失われ、不要な俺にそれがあるとは。
死を望む俺だけがこうして生きている。
――ああ、神様。
親愛なるくそったれな神様。
あんたは本当に、なんて残酷なんだ。
あんたほど残酷な人を、俺は他に知らない……。
* * * * *
檻の中での生活が始まってから数週間が過ぎた頃、一人の男が面会に来た。
アタッシュケースを抱えた、ダークグレーのスーツを着た中肉中背の男。一見弁護士か検事の様にも見えるが、彼の手を見て、そうでないことを知った。ガンオイルとグリース、そして血と泥の染みこんだ、それ自体凶器となるよう鍛えられた両の手。
そいつと会ったのは、柔らかいソファーのある、豪華で清潔な応接室だった。間違っても囚人が入れるような場所ではない。そして監視に立つ人間もいない。分かってもらえるだろうか。これがどれだけ異例で異常な事か。
ムショ仲間から聞いた面会室の様子とあまりにもかけ離れた室内に、戸惑った。息が詰まるような狭い個室で、強化ガラス越しに相手と向かい合い、電話で話をする。そう聞いていたのに。
完全に二人きりの室内で、初対面の男と向かい合う。
これから何が起こるのか分からなくて、たまらなく怖かった。
柔らかなソファーに沈む様に座っていても、膝が震える程に。組んだ手が力を入れすぎて真っ白になる程に。氷よりも冷たい、非情な眼差しに緊張し、恐怖を感じていた。
「マーフィー・シーカーくん? ココから出たいと思わないかね」
まるで天気の話をするような、何気ない口調。
……馬鹿な事を聞くんだな。
俺は無理に微笑んで見せた。そして尋ねる。
「あんたは何者なんだ?」
「あぁ失礼。私はとある企業の為に人間を――早い話が傭兵だね――スカウトして回っている“コーディネーター”だ。
君の事は調べさせて貰ったよ。そして一つの結論を下した。我々は君の狙撃能力を高く評価している。君の能力が欲しい。そして我がクライアントには君をココから連れ出すだけの力があるし、実際何人もの実績がある」
悪い話ではない。そう言葉を置いて冷たい瞳をした男は先を続ける。
「我々の為に働くならば、ココから出してやるし、望むだけの報酬も支払おう」
俺は夢でも見ているのだろうか。無言でいるのを好意的に解釈したのか、彼は穏やかな微笑みを浮かべ――但し瞳は笑っていない――問うて来た。
君の望む報酬は?
俺の望み。
そんなの、考えるまでもなくひとつしかない。だから迷わずそれを正直に伝えた。彼は僅かに片眉を動かす。俺の望みを吟味するように暫しの間をおくと、言った。
「完全に君の希望通りとは行かないかもしれないが、用意してやれるだろう」
それでいい。どんな舞台でも構わないさ。結末は一緒なんだから。
俺は頷き、了解の意を返す。
その時点で契約が成立した。
書類も、サインも。握手も無く。窓の外では空に雪雲が重く広がっていたその日、頷きひとつで俺は自分自身を売り渡した。
数日後には迎えに来る。
そう言い残して彼は去り、二度と会うことはなかった。
それから一週間と経たない内に、俺は本当に釈放(この場合釈放で良いのだろうか?)された。釈放されたとはいえ塀の外には出して貰えなかったので、ぼんやりと所内で迎えを待つ。昼を少し回った頃、“彼”と同じようなスーツを着た別の男がやって来た。別にもう一度会いたいと思っていた訳ではないが、何となくがっかりしたのを覚えてる。
思えば彼の名前すら聞かなかったけれど、聞いたところで直ぐに忘れたに違いないし、それが本名であったかも怪しい。彼はきっとダークグレーのスーツを着た、人間のフリをした悪魔。
でも、たとえそうだとしても、彼に感謝していた。スーツ姿の悪魔はどん底にいた俺を引き上げ、いくばくかの希望を抱かせてくれたから。
俺は多分、悪魔と契約したのだろう。そうと分かっても後悔はしていない。彼らは契約さえすれば、必ず願いを叶えてくれる。支払う代償がどれほど高くつこうとも。きっと願いを叶えてくれる。
――世界で一番優しいのは誰?
その問いに、俺はこう答えよう。
俺を殺してくれる人が、その人だ。