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2010.03.14.
何十年にも及ぶ人生の中で、三年という月日は決して長いものではない。
けれど、限りなく低い可能性を信じて待つには、一時間だって長すぎる。
信じている。でも――
人の心は移ろうものだ。諦めようと思い始めていても不思議ではないし、責められるはずもない。
だって、すぐに帰ると言ったのは私。その約束を違えたのは、私。
……彼は、待っているだろうか。
もう、諦めてしまっただろうか。
見たくないものを見、やりたくない事をやらされる。
がんじがらめに縛られた意識の中で、私はただ一つの思いにすがりついていた。壊れてしまえばきっと楽だったに違いないのに。どうしても、絶対に諦められなかった。
帰りたい。
かえりたい。
――会いたい――!
* * * * *
「撃ってはだめ!」
私が向けた銃口の先から、悲鳴にも似た叫びが聞こえる。でも、そう叫んだ女は私に向かって言ったのではない。彼女は今、私を見てさえいない。彼女が見ているのは一人の男だ。男は手にした銃を私に向け、その精悍な顔に戸惑いと苦悩――もしかしたら喜びも――がない交ぜになった表情を浮かべ、今にも引き金を引こうとしていた。
私は彼を……知っている。
記憶にある姿と、寸分違わぬ――とは言わない。三年という月日とその間に重ねる経験は、中からも外からも人を変える。第一私だって彼が覚えている通りの姿ではないのだろうし、お互いさま、というやつだろう。
でも、同じものだってある。それは真っ直ぐな意思をそのままに映して輝く、あの強い眼差し。
あれは……クリス。クリス・レッドフィールドだ。長年ともに仕事をしてきた、いわば相棒だった男。
その相棒に対して、私の指が躊躇うことなく引き金を引く。条件反射にも似た反応で、クリスも撃ち返してきた。彼の銃弾は私の頬をかすめて飛び過ぎ、石壁から欠片を跳ね飛ばした。
「ジルを殺す気?!」
見知らぬ女が再び叫ぶ。殺す気でこなければ死ぬのは自分だと、私を止めることなど出来ないと分かっているのだろうか? 今の私は操り人形そのものだ。指の一本さえ思い通りに動かせず、その上おのれの意思とは無関係に体が動くのでは、自分を止めることなどできようはずもない。どうしたらこの牢獄から逃れられるのかも分からない。ならばいっそ――殺して欲しい。そう願うのは私のエゴか。
躊躇わないで。どうか私を止めて欲しい。
心残りはあるけれど、これ以上あなたたちを傷つける前にどうか――!
握り拳程度のつぶてが一ヤード程手前に投げ落とされた。次の瞬間それが爆ぜ、強すぎる光が網膜を焼く。呻き、眩んだ目を庇う。時間にしてわずか数秒、私はまったくの無防備になってしまう。この隙に背後へ回りこんできたクリスが私を羽交い絞めにして動きを封じる。“私”はそれを振りほどこうと足掻く。クリスと共に現れた肌の黒い女性が正面に立ちはだかり、銃の照準を慎重に私の胸に合わせた。
そして彼女がわずかに目を細めた瞬間、銃口が火を吹いた。
胸の中央を強打され、その衝撃で息が詰まる。次いで鈍い痛みが走った。喉から咳き込むような悲鳴が漏れると、拘束から解放された私は冷たい石の床に膝をついた。
死ねた、と思った。
が、違った。痛みはするけれど、これは殴られた時と同じ痛みでしかない。血の味もない。ただ胸の中心、喉の下に着けられた装置の一部が壊されたらしく、火花か静電気のようなものが爆ぜていた。そのせいだろうか、装置周辺の肌がチリチリと痛む。
致命傷はなかった。私はまだ生きている。
心臓を撃ち抜き損ねたはずはない。いくら私が暴れていたからと言ってもあれだけの近距離で、あれだけ慎重に狙いを定めていたのだ。銃の扱いにある程度慣れた者ならば外しようもない……
――ああ、もしかして。
あの女性(ひと)は私を人形たらしめているこの装置を破壊しようと、しているの? これが壊れたら、私は自分の身体を取り戻せるの? これは千載一遇のチャンスだろうか? 生きる望みを……望みを捨てなくても。いいのだろうか?
* * * * *
もう死んでいるのだろうか。
それとも、生きていると言えるのだろうか。
――あるいはこう問うてもいい。
存在しているのか、いないのか。
その答えはどちらでもないし、どちらでもある。
記憶にある最後のシーンは、こうだ。
私は相棒と共に、“ラクーン”以来行方不明になっていた男を追っていた。アンブレラ社総帥、オズウェル・E・スペンサー。舞い込んだ情報を頼りに、私たちはとある古城へ潜入した。その城は――なんというか、そこにある全てのものに既視感があった。奥深いところに仕舞い込んでいた記憶が、否応なしに揺さぶり起こされる。漂う臭いといい雰囲気といい、あらゆるものがあまりにも似すぎていたのだ。もう存在しない都市の、森の奥に佇んでいたあの館に……。
私たちは最初の悪夢を再体験しながらも、スペンサーを城の最奥まで追い詰める。そうしてようやく対峙したと思った時……私たちはもう一人の“元凶”とも言うべき人物と再会してしまった。
アルバート・ウェスカー。
かつては私たちの上司で、現在は人類史上最悪の敵――あるいは生けるもの全ての敵と言って差し支えないだろう――となった男。彼もまた、長い間消息不明だった。あの最初の悪夢があった晩に死んだ、と思っていたけれど、そうではなかったと数ヵ月後に確認された。以降、様々な場所で起こる大規模な取引や生物災害の影には、必ずその姿が見え隠れするようになる。でも、彼の所業だとする決定的な証拠は掴めずじまいだった。悔しいけれど、認めざるを得ない。彼は本当に頭が良くて、切れ者だ。いつも必ず私たちの一歩先を行く。
この時もそうだった。
何年も掛けて追い、死にそうな目に遭いながらもようやく辿り着いた場所なのに。あの男は息ひとつ、髪一筋の乱れさえも見せずに、私たちが必死に求めた“獲物”を易々と奪ってしまったのだ。
私たちに残されたのは、まだ温もりの残る老人の物言わぬ体のみ。
それでもなぜか、私たちはあまり落胆しなかった。
出動する前から、こういう結果になるだろうといった予感があったし、老人の逮捕は結局のところ建前でしかない。本来ならば私たちが出動するような任務ではないのだ。なのになかば強引に志願し、出動してきたのは私たちなりの思惑があったから。
あらゆる情報の向こうに透けて見えたウェスカーの、今私たちの目の前で勝ち誇るような余裕の表情で立つあの男の逮捕。それこそが本当の目的で、彼だけは、私たちの手で捕まえようと決めていた。その瞬間は誰にも譲りたくない。わずかでも可能性があるなら、いつでもどんな場所でも行く覚悟と決意があった。
あの男を捕まえる。そこには組織としての理由もあるけれど、それよりも、もっと個人的なものの方が強い。
私たちはウェスカーを憎んでいる。あいつは最初に私たちの信頼を裏切った。それから歪んだ欲望で、平凡だが幸せだったかもしれない私たちの人生をこんな風に変えてしまったから。
同じように、ウェスカーも私たち――特にクリス――を憎んでいる。彼にとっては駒でしかなかったはずなのに、“計画”を台無しにした存在だから。
つまり私たちは、互いの人生を破壊しあったがゆえに、憎みあっているというわけだ。
すばやく気持ちを切り替え、薄暗い部屋の窓辺に立つ黒衣の男に銃口を向ける。クリスが吼えるように声を上げた。
「動くな! お前を逮捕する!」
なんて陳腐なセリフ。だけどこれ以上に適切な言葉は他に思い当たらない。ウェスカー宛ての逮捕状など用意していなかったが、今なら決定的な犯罪の現行犯――つまり殺人――で逮捕、出来るだろう。
静止の言葉など聞こえなかったかのように、ウェスカーが動き出した。必然的に私たちは発砲する――
自慢ではないけど、射撃は下手じゃない。むしろ上手いほう。なのに何発撃っても全く当たらない。あいつは常人離れした素早さで浴びせられる銃弾をかわしながら――あんなハリウッド映画じみた動きは反則よ――、一瞬で数ヤードもの間合いを詰めてきた。その速さに対応出来ずにいる私たちをそれぞれ蹴り飛ばす。壁に叩きつけられた衝撃で息が出来ず喘いでいる間に、ウェスカーは悠然とした足取りでクリスに近づいた。クリスの顎をつかみ、そのまま腕一本で彼の身体を持ち上げる。クリスの身体は決して軽くない。なのに軽々とそんなことをする姿を見、やはりアレは人の皮を被った化け物なのだと、思い知った。
「これでお前ともお別れだよ」
抑えきれずに漏れた喜びが、彼の口元を笑むように歪ませる。それがなんだか怖気をふるうほど気持ちが悪い。いつの間にか右手に現れた銃をゆったりと持ち上げる……。
「だめ!」
その時はただ一つのことしか考えられなかった。彼を、クリスを助けなければ! その一心で、気付いた時には身体が勝手に動いていた。無我夢中で飛びかかる。とはいえあの男なら、私の体当たりなど余裕でかわしてしまうのだろう。
でも。完璧だった計画と人生を台無しにしてくれた男、クリスを殺せる。その歪んだ喜びに浸るあまり、ウェスカーは致命的な隙を作ってしまっていた。どうやら最初から私など眼中になかったようだ――文字通りの意味で。
視界の外側からの突然の体当たり。驚いたのか、ウェスカーはクリスから手を離した。そうしてたたらを踏むも衝撃を堪え切れず、私に押されるがままガラスを突き破って飛び出す。
窓の外へ、暗い海へ。ウェスカーと私はひとつの塊となって落ちてく。
その間、私を呼ぶクリスの声が聞こえたような気がする。でも耳元で唸る風の悪戯だったのか、本当にそうだったのか……分からない。海面に叩き付けられる前に私は気を失ってしまったから。だから、あんなところから落ちたのに、どうやって助かったのか。それも分からない。
気付いた時にはもう――虜囚と、なっていた。
それも、二年以上も前から……。
To be Continued...
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