1
2006.10.24.
SUV車の後部に居座り窓から身を乗り出してそれを見ていたレオン・S・ケネディは、堪え切れずに顔をニヤつかせた。
彼が見ているのは、通りを挟んだ向かい側にある小学校の門からこちらに向かってくる一組の男女――と言うよりは“親子”と言った方が適切かもしれない――だ。父親に抱きかかえられた飴色の長い髪を高い位置で二つに結んだ女の子が、そのほっそりとした両腕を父親の太い首に回してなにやら盛んに話しかけていた。
父親が好きでたまらない愛らしい娘とその父。なんとほほえましい親子の姿だろう。彼らの事を知らなければ、誰しもがそう思ったに違いない。
しかしレオンは違った。たとえあの二人が限りなくそれに近しい関係だとしても、決してそうではないと知っていたからだ。
少女のことは知らない。しかし、父親まがいのことをしている男のことならば知っている。
ジャック・クラウザーというのが彼の名だ。陸軍上がりの男で、レオンが知る限りでは特定の相手はおらず未婚。子供がいてもおかしくはない年齢だが、いるという話は聞いたことがない。
彼とは一年半程前にラクーンシティで起きたあの「アンブレラ事件」以来の知人で、半年前からは仕事上のパートナーでもある。それほど付き合いが深いわけでもないが、基本的な生活パターンや好みはある程度知っている。知ってはいたが――こういった、よりプライベートな姿というのは今まで全く見たことも聞いたことも無かった。多分、レオンだけではなく、ほかの仲間も皆知らない部分であるに違いない。
そのクラウザーが傍目にもそうとはっきりわかるほど大事そうに抱えている少女だが、彼女は彼の友人の子供だという。数日前に八歳の誕生日を迎えたばかりだそうだ。
――なるほどねぇ。
行き交う車の流れを横切って、クラウザーが足早に近付いてくる。その姿を見ながら、レオンはあのいかついパートナーにまつわる様々な――主に腰から下に関係した――噂や疑問に、勝手に答えを出し納得していた。
それは一種異様な光景であったのだろう。
その光景を作り出している張本人、ジャック・クラウザーでさえそれを認めるにやぶさかでなかった。腕を組み、小学校の門柱に凭れて立っていた彼は、己の存在とこの場所がどう頑張っても馴染まないことは十分に承知していた。
周囲の人々から向けられる批難めいた敵意混じりの視線には、苦痛を感じるほどであった。それでもその視線から逃れずに、もうしばらくの辛抱だからと己に言い聞かせてまでその場に留まり続けたのは、そうせねばならない理由があったからだ。
終業を知らせる鐘が鳴ってしばらく待つと、校舎がふいに眠りから覚めたようにざわめき出す。どこか遠くを見ていたようだったクラウザーの目が、そのざわめきの元に向けられた。校舎から子供たちが雪崩れるように出てくる。ゲート――つまりクラウザーのいる方向――を目指して流れてくる子供たちを、彼は観察し始めた。
……いない。まだ、見つけられない。
とはいえ、今日クラウザーがここに来ることは相手も知っているから、彼が見つけられなくとも心配する必要はなかった。下校する際には必ずここを通らねばならないし、それに加えてクラウザーは見逃しようのないほど目立つ存在であったから、必ず相手が彼を見つけて近づいてくるはずだ。
そう思ってさらに数十秒観察を続ける。やがて子供たちの流れから少し外れた所を、手を振りながら駆けてくる少女に気づいた。やはり相手の方が先に見つけたらしい。彼女の赤みがかったブロンドの髪が肩の上で弾んで乱れる。午後の光を受けてきらきらと輝くマリンブルーの瞳が印象的だ。可愛い、というよりは綺麗、という形容のほうが相応しい。彼女の母親も綺麗な女だから、将来はきっともの凄い美人になるだろう。
「ちゃんと来てくれたのね、ジャック!」
クラウザーは屈み込み、嬉しそうに飛びついてきた少女を抱いた。するとそれまで向けられていた敵意が嘘のように消え失せた。ようやく彼が子供を狙う卑劣な悪党や犯罪者などではないと認めて貰えたらしい。
「約束だからな」
言うと彼は、少女を左腕に抱き直して立ち上がった。
本当は背負ってしまうのが一番楽だ。だが、彼女はそれよりもこうやって抱き上げられるのを――クラウザーに対しては特に――好む。拒否すれば彼女の機嫌を損ねることは間違いない。今この状況と今日これからの予定を考えたら、それは絶対に避けたいところであって、毎度の事ながら悩ましい問題だった。
彼は通りの向かいに止めた車に向かうべく、道路を横切ろうと車の流れへと視線を向ける。切れ目を見つけて対岸へと渡り始めると、自分の車へと目を向けた。そうしてその時にようやく、オフで暇だからと強引に付いてきたパートナーが何をしているかを――正確にはその表情を――認識した。
彼のパートナーであるレオンは、どこかの雑誌モデルか、映画俳優であってもおかしくないほど綺麗な顔をしている。それだけに、人をからかう様なあの表情には通常の五割増しで癪に障るものだ。少女を抱いていなければ間違いなく駆け寄り、車から引きずり出して殴りつけているところだ。でも幼い彼女にそんな暴力の現場を見せるわけにはいかない。ずっとは無理でも、今しばらくはそういうものと無縁でいて欲しいと思う。この国と人間の美しい所や良い所だけを見ていればいい。そして、せめて自分がそばにいてやれる間だけでもそうしていられるように、なるべく守ってやろうと思うのだ。
道路を渡り切って車に到着すると、クラウザーは殺意のこもる目で年若いパートナーを力一杯睨め付けた。それから少女を助手席に座らせる。そのまま運転席へと向かおうとしたところで、レオンに呼び止められた。
「おいクラウザー。そちらのレディを紹介してくれないわけ?」
「……荷物のくせに一人前の口をききやがる」
レオンだけに聞こえるように苦々しく呟くと、渋々ながら要求に応じるべく向き直る。
「ジョー、後ろに乗ってるコイツはレオン・ケネディ。一緒に仕事をしてるヤツなんだが、相手にしなくていいからな。レオン、この子がジョアンナ・シーゲルだ。……間違ってもコナかけるなよ。殺されるぞ」
「誰に?」
レオンの問いには答えず、クラウザーはただニヤリと笑って見せた。誰に、なんて分かり切った話ではないか。もちろん娘を溺愛する父親に、である。それ以外に居るわけがない。もっともジョアンナに関して言えば、親友の娘をまるで実の娘のように可愛がっているクラウザーも、喜んでそこに加わるに違いない。
答えは得られないとわかったレオンはパートナーに向けていた視線を外す。助手席の上に膝立ちになり、ヘッドレストを抱えるようにして後部座席をのぞき込んでいたジョアンナに、彼はとっておきの笑顔を浮かべて手を差し出した。
「初めまして、ジョアンナ」
子供扱いされなかった事に満足したジョアンナは、彼の手を取り笑みを返した。そして好奇心に輝く瞳で問う。
「こんにちはミスター・ケネディ。えぇと、ジャックのお友だちなのね?」
「レオンでいいよ。そう、友だち……って言うとヤツは嫌がるんだろうけど」
そう言いながらチラリと視線をクラウザーに向けると、予想通り彼は渋い表情を浮かべていた。しかし、たとえ癪に障ることがあったとしても、この少女の前ではきっと何もしてこない。そう踏んだレオンは、ささやかな意趣返しをするべく笑顔でこう言った。
「友だちだよ」
案の定クラウザーはひどく嫌そうな表情をしただけだった。もし彼女が居なければ、胸ぐらを掴まれ「勘違いするな」と凄まれただろう。レオンは友人だと思っていてもクラウザーはそうではなく、仕事上必要だから仕方なく付き合う、きわめてドライな関係だと思っているからだ。それにいくらレオンがクライアント側の人間だとはいえ、クラウザーに報酬を支払う者ではないからご機嫌取りをする必要もない。
レオンはそれが不満だった。
実戦経験を積んできたクラウザーにとって、訓練校をでたばかりのレオンなどまだまだ未熟で足手まといな存在でしかない。そう思われている事はレオンも理解している。だからこそ常日頃から鍛錬は怠らずに努力していた。敬意を払ってくれとは言わないが、まかりなりにもプロフェッショナルな者同士なのだから、もう少し実力を認めて欲しいとは思う。もしくは、せめて友人として受け入れてくれたらいいのに。――でもいつかそんな日は来るのだろうか?
半年も経つのに、コンビを組んだ当初とほとんど態度に変化が無いことを考えれば、その望みは薄いかもしれない。
そうこうするうちにクラウザーは彼らの元を離れ、あの大きな身体を狭い運転席へと滑り込ませていた。この車に限らず、どんなに広々した作りの車でもこの男が座ればとたんに窮屈そうに見えてしまうのは不思議だ。物理的な圧迫感だけでなく、周囲に与える心理的圧力がそうさせるのだろうか。
レオンが見守る中、彼は少女を優しく促しきちんと座らせると、ジョアンナとの約束を果たすべく車を発進させた。
* * * * *
昼食後のショッピングモールは、この場所独特の猥雑な喧噪に包まれていた。しかし今日が平日ということもあり、人と肩を触れあわせながらすれ違うこともなく、誰かの付けすぎた香水の香りにむせることもなく、通路の真ん中に立っていても邪魔にされることもない。ゆっくりと買い物を楽しむには丁度良い空き具合だった。
ただしそれは、買い物が好きな場合か、自分の物を買いに来ている場合に限る。
今日のクラウザーは、悲しいかな、そのどちらでもなかった。これが銃砲店であればまた話は違うのだろうが……。
いっそ毒々しいと表現したくなるほど鮮やかな色彩があふれるここは、玩具屋を集めたエリアだ。そんなところに来たという事実だけでもめまいを起こしそうなのに、もう十年も前にそこから卒業したはずの独身男を二人もここに連れてきた当人は、彼らが今までに入った事もないような店に吸い込まれていってしまった。そこがジョアンナの目的地であったのは間違いない。なぜなら、わずか八歳の子供がこの広いモールの中を迷うそぶりも見せず、まっすぐにここまで進んできたのだから。
「ジャック、ジャック! 見てこれかわいいっ」
彼女が消えた店の中から、クラウザーを呼ぶ可愛らしい声がする。しかし呼ばれた男の足は、入り口の手前で凍り付いたように動かない。
「ねぇジャックー! ほら、これを見て!」
再び彼を呼ぶ幼い声。そばに行ってやりたいし行かなくてはとは思うが、やはり足は動いてくれそうにない。いくら彼女を実の娘のように愛しているとはいえ、ここは無理だ。なぜならここはぬいぐるみの専門店。彼にとっては最も縁遠い店のひとつであり、異様に敷居が高かった。
「……呼んでるぜ。早く行ってやれよ、“ジャックおじさん”」
からかうような調子でレオンが言う。敷居が高いと感じるのはレオンだって同じ。しかしクラウザーと違って店内に入る必要がないので、幾分気が楽だった。
パートナーの声で我に返り、そこで初めてその存在に気付いたかのような表情で彼はまじまじと相手の顔を見る。そしてある考えがひらめいた。
「金を渡すから、オレの代わりに買ってやってくれ」
クラウザーにとっては、この状況を打破する最高のアイディアだった。だがレオンにとっては最低で最高に馬鹿げた提案だ。
「じょ、冗談だろ。そんなことしたら意味ないじゃないか」
狼狽えるレオンを見、クラウザーはそれを馬鹿にするように鼻を鳴らす。冗談なものか――そう前置きをして言葉を続けた。
「昼飯代だと思え。働いて返せ」
がっしりと両肩を掴んだうえで、有無を言わせぬ迫力でクラウザーはレオンにそう要求した。わずかに血走った目と返答いかんでは今すぐ殺してやると言わんばかりの勢いに負け、気付いたときにはもうレオンは頷いてしまった後だった。多分、断っても問題はなかっただろう。なのにそうしきれなかったのは恐らく、あの少女が悲しむ姿を見たくないと思ったからだ。間違っても、クラウザーの為ではない。
仕方がないとは言え、なんて馬鹿な目に遭っているのだろう。そう思い、レオンは溜息をついてうなだれながら、恨みがましい目でクラウザーを見た。
こんな事になるなら昼飯なんておごってもらうんじゃなかった。全くもう……泣いてもいいよな?
To be Concluded...
Next >>