SEQUEL
2004.03.18.
「おい、大丈夫か?」
その声は頭の上から降ってきた。慌てて青年は視線を巡らせ声の主を捜す。振り向いて見上げた先、つまりとても超えられないと思った塀の上に男がいた。口元に浮かんだ笑みのせいなのか、青年の目にはその男がひどく軽薄そうに見える。
軍人、なのだろうか? 軍装品マニアかとも思ったが、それでは手にしたカービン銃の説明が付かない。多分いつの間にか陸軍でも投入されたんだろう。服装と装備品から青年はそう判断した。
「あんたたち市民を保護するのが一応俺の仕事なんだけど。ひょっとして、余計なお世話だった?」
嘘は言ってないようだ。しかしだからといって仮にも人の形をしたものの頭部をためらいもなく撃てるような相手を信用できるわけもなく、不信感も露わに青年は睨み付けるように男を見た。男はその視線を怯まずに受け止め、肩をすくめる。それはまるで「あぁ、またか」と言っている様だった。
「手を」
男は塀の上から青年に手を差し伸べた。
一瞬ためらってから青年はその手を掴む。相手への不信を理由にその手を払いのけることは簡単だが、そうするにはその差し伸べられた手が意味するものは、青年にとってあまりにも魅力的に過ぎた。それが新たな道に繋がっているのは明白だ。
塀の上へと引き上げられ、乗り越える。そして疑問が解けた。男が踏み台にしていたのはゴミ収集用のコンテナだった。そこがしっかりした足場でゾンビには襲われにくい一段高いところと分かると、ようやく窮状を切り抜けたという実感が湧いてきた。
「……とりあえず、助けてくれたことには礼を言うよ。でもオレは警官なんだ。一般市民と同じに見ないでくれ」
安堵の溜息をついて青年は微笑んだ。ちょっとしたミスで着任し損ねたお陰でバッジも何も、警官だと証明できるような物は何一つ持っていなかったが。それでも彼は自分のことをれっきとした警官だと思っている。
口の端を引き上げて笑うと、おどけたように片手を振って男は言った。
「仕事だから」
分かってる、とでも言いたげに鷹揚に青年は頷き、右手を差し出した。
「ありがとう、貴方が来てくれなかったらちょっと危なかったよ。オレはラクーン市警のレオン・ケネディ」
「カルロス・オリヴェイラだ」
青年の手を取りしっかりと握手する。指のないグローブ越しに改めて伝わってくるその手の感触は、太く骨張ってはいるが全体的に柔らかくてなめらかで、まるで女のもののようだ。カルロスは頭の隅でぼんやり思った。――こんな手をした男もいるんだな。
手を離してから先に口を開いたのはカルロスだった。
「煙草、持ってない?」
開口一番何を言うかと思えば、緊張感の欠片もないそんな言葉。おかげで理解するのが、一瞬遅れた。レオンの間抜けた表情を見て男は言葉を重ねる。
「煙草だよ、タバコ。持ってねぇの?」
「そんなもの、オレは吸わない」
「あぁそう」
カルロスはひょいっと肩をすくめると、沢山あるポケットのひとつから青年に要求したまさにそのものを取り出し一本を引き抜く。口にくわえてから座り込むと塀に背をもたれ、火をかけた。
金髪の青年はその様子を黙って見ていた。だが言葉にせずとも何を言いたいかは分かる。――持ってるなら聞くなよ、だ。そういう性格なのだろうか、青年の瞳は正直で雄弁過ぎる。
それを気にした風もなく、男は最初の一服を深々と吸い込みながら相手を子細に観察した。こんな状態になってから何日も経つ街に居るにしては、小綺麗な格好をしているし随分と肌の血色もいい。今まで安全な場所に隠れていたのか、それとも外から来たのだろうか。しかしこんな場所に好きこのんで来るような人間がいるとは思えなかった。どんなに自殺願望の強い奴だって、尻尾を巻いて逃げ出すようなこの街に。自ら進んで潜り込む馬鹿がどこにいる。
「あんたも結構しぶといんだな」
「どういう意味だ」
意味が分からず、探るような視線を相手に送る。対してカルロスは不思議そうな表情(カオ)を返した。見たところ青年が持っているのは小さな拳銃一丁だけのようだし、そんな貧弱な装備でうろうろするなんて大したものだと思う。だから、彼は誉め言葉のつもりでそう言ったのだが。やはり彼が意図したようには伝わらなかったらしい。
「街中どこに行ってもゾンビだらけだし、この辺で生きてるのなんてもう俺たちくらいだろ。だからさ」
レオンは相手の言葉に思わず耳を疑い、反射的に言い返した。
「嘘を吐くな!」
「嘘じゃない。この数日、事態は酷くなる一方だ。一歩進むのもその場に留まるのも、何をするにも命懸け。――警官なんだからあんたの方が詳しいはずだぜ?」
青年の顔がサッと紅潮する。どうやらカルロスは相手の痛いところを突いたらしい。
「オレは夕方この街に着いたばかりで、あまり良く知らないんだ」
青年は俯き恥じるような表情を浮かべて、悔しそうに呟いた。カルロスは内心呆気にとられてそのセリフを聞いていた。それから軽く頭を横に振る。
驚いた。まさか本当に自分から進んで火に飛び込んできた馬鹿な奴だったとは。
* * * * *
「さっき、市民の保護が仕事だって言ったな。陸軍なのか?」
なんとか気を取り直し、まるで犯罪者を尋問するかのような口調で、座って煙草をふかす男に問いかける。警官という職を利用して精神的優位に立とうとしているのだろうか。
この男を最初に見たとき、合衆国陸軍の兵士だと思った。しかし改めて男を見ると、何かがおかしかった。引っかかりを覚えた一番の原因は、男が身に付けているタクティカルベストの背中に大きくプリントされた部隊章だ。対角線で等分された正八角形は赤と白で塗り分けられ、その中央には楯と交叉する二本の剣があしらわれている。あんな部隊章は見たことがない。単に自分が知らないだけかと思ったが、そうでもなさそうだ。第一どこにも星条旗が付いていない。
男は一旦肺に溜めた紫煙をゆっくりと吐き出した。あいにくと青年の口調が効いているようには見えない。それもそのはず、この戦闘服を身につけるようになるまでの十数年間彼が戦ってきたのは、国家を後ろ盾にした権力と暴力を行使するいけ好かない連中だ。それは別の国での遠い過去の話ではあったが、青年の口調に潜む傲慢さはかつて対峙した連中と驚くほど同じだった。
――こういう手合いはどこでも一緒なんだな。虎の威を借るなんとやら、だ。くそったれめ。
「米軍じゃないけど、似たようなもんだな。アンブレラのバイオハザード対策部隊さ」
アンブレラ。
創業から約30年の比較的若い企業でありながら、製薬業界を破竹の勢いでのし上がりその勢力を広げ、今や世界有数の巨大企業である。彼らが手がける業種は多岐に渡り、数千万の人間がなんらかの形でかかわっていると言われている。その急激な成長を妬まれでもしているのか、とかく暗い噂には事欠かない。
この兵士然とした男と会うまでに、レオンは街のあちらこちらで情報を拾い集めていた。それらは不十分で不完全なものではあるが、それらが指さす先には常にアンブレラ社の影があった。どこにでもあるごく普通の田舎町に過ぎなかったラクーン・シティをここまで大きな都市に育て上げたのは、確かにアンブレラ社かもしれない。しかしこんな事態になったのは、彼らのせいだ。レオンはそう結論づけている。
――都市を造るも壊すも気分次第か。人間も都市も、シミュレーション・ゲームのコマじゃないんだぞ!
「まるでマッチポンプだな。しかもお粗末だ」
あざけるような声。そう言った青年の青い瞳には正義感から来る純粋な怒りと嫌悪が燃えている。
会ったばかりの青年に対し、カルロスは無意味な反感を覚えた。それは、この都市がこうなった責任を一兵士である彼に取れと言いたそうなその態度の所為かもしれないし、もしくは単純に彼がアーリア人の見本のような外見をしている所為なのかもしれない。
とんだ甘ちゃんだ。
口ばかりが達者な、ケツの青い新米警官。理論と理想だけで、現実を知らないヒヨッコだ。これまでに人を――こんなゾンビではない、普通の人間を――撃った事なんてないんだろう。
フィルターぎりぎりまで吸った煙草を摘みあげる。足下のコンテナに押しつけてその火を揉み消し、一段低い路地へと弾き飛ばす。そうしてから立ち上がるとカルロスは挑むような目をして、筋違いの怒りをぶつけてくる青年に詰め寄った。
「なぁにいちゃん、何が言いたいんだ? 雇い主のことで俺を叩いたって、あんたの知りたいことなんか何一つ出て来やしねぇよ。俺はただの傭兵で、非力な市民を助けてやれって命令されただけなんだからさ。
第一、お偉方が何考えてるかなんて知るもんか」
少なくともカルロスは今、感情を抑え真実を話していた。とても丁寧とは言えないが、現状ではこれが相手に示せる精一杯の誠実な態度だった。少しでもそれが伝われば良いのだが。しかしレオンの態度は一向に変わる気配もみせず、瞳に怒りをみなぎらせたまま一歩も引かない。その正義感は愚かしいほどにまっすぐで腹立たしいだけだったが、不思議と段々好ましく思えてきた。もしかしたら、この都市をこんな風に変えてしまった奴等を追いつめ裁けるのは、こういう人間なのかもしれない。
このままではいつまで経ってもらちがあかない。そう思い、少し表情をゆるめてカルロスは誘いかける。
「脱出ルートを切り開いてる最中なんだ。一緒に来るか?」
レオンはコンテナから飛び降りると、考える素振りすら見せずに即答した。
「遠慮する。敵と馴れ合うつもりはないからな」
予想通りの返答だったが、そのあまりの早さにカルロスは苦笑した。潔癖なのも悪くはないが、もう少し清濁併せ呑むというか、臨機応変に相手を利用するってことを覚えた方がいい。さもなくばさっきの様に窮地に陥り続ける羽目になるだろう。
「ケネディ!」
走り去ろうとするレオンを呼び止める。苛ついた表情で振り向いた青年にニヤリと笑いかけ、言った。
「せっかく助けてやったんだ。必ず生きて抜け出せ」
それがあの男なりの激励であることを理解し、レオンは微かにうなずき返した。それから背を向けて駆け出し、薄暗い路地の向こうへと姿を消した。
自らの意志でやって来た警官と、強制的に連れて来られた傭兵。
九月の終わり、二人の男が息絶える寸前の都市で出会った。もしこのような事態でなかったら二人はこの都市を訪れることもなく、彼らの人生が交差することは決してなかったろう。
容貌も経歴も、全てにおいて対照的な彼らがこの日出会ったのは偶然か、それとも必然だったのか。
全ては神のみぞ知る。
- Fin -
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