PREQUEL
2004.02.12.
1998年9月29日。深夜。ラクーンシティ、アップタウン。
聞こえるものといえばかつて人間だったものがあげるうなり声ばかりで、逃げまどう人の気配や悲鳴は絶えて久しい。銃声に至っては、最後に聞いたのは一体どれだけ前だったのか思い出せないほどだ。
静寂が耳に痛い。
――この辺りで生きてる人間なんてもう、俺くらいかもな。
街のあちらこちらに築かれたバリケードを軽やかに乗り越えながら、オリーブドラブの戦闘服に身を包んだ男は考えた。
逃げ場もなく、周囲は敵だらけ。それでもただ前進するしかない。
その状況はあの日の出来事を否応なしに思い出させる。まだ彼が南米のある国に居て、別の名前で呼ばれていた最後の日。さらにそこから続く数日。じりじりと狭まる政府軍の包囲網を突破する為に、文字通り寝食を忘れて進み続けた、人生最悪の日々。捨て去ったはずの過去が、記憶の底から亡霊のように現れる。
人生が劇的に変わってしまったあの日から、まだ一年と少ししか経っていないだなんて、にわかには信じがたい。もっと何年も昔の様な気がするのに。
癖のある黒髪が顔にかかって視界を遮る。それを掻き上げるようにして払うと同時に、つまらない記憶を追い払った。あんなこと、今更思い出したところでどうにもならない。もう過ぎたことだし、なによりそれは“俺の記憶”ではないのだから。
そうやっていちいち自分に言い聞かせてやり過ごそうとするたびに、どうしようもない現実を突きつけられている様で嫌になる。過去を捨て、あるいは隠して名前を変え別人を装ったところで、人間の中身や本質は変えられない。傭兵なんて。奴等の飼い犬でいる限り、“新しい人生”を手に入れることなど出来ないのかもしれない。
足下に落ちた淡い影に気付き、彼はそれとは反対の方向を振り仰いだ。空には月も星も見えず、暗い雲が重く広がっている。ぽつんと立つ街灯から投げかけられる白い光が何とも言えずもの悲しい。
意外にもこの都市はしぶといらしい。それとも、機械設備が頑丈なだけなのか? 都市のあらゆる機能や細胞が死につつある中で、都市全域とはいかないまでもいまだもって送電が続いているというのは、驚くべき事実だった。
その時彼の暗く広がる思索を砕くように、銃声が空気を震わせた。
近い。
影を引き連れ、彼は薄暗い路地を走りだした。銃声の方へと。
* * * * *
あとからあとから。
引きも切らずに押し寄せてくる人の波。
……いや、“かつて人だったもの”の波、か。
彼らを何と呼べば良いのだろう。マガジンに弾薬を込め直しながら青年は考えた。いつだったか見た古いホラー映画に、そっくりなのが登場していたのを思い出す。それに倣って“ゾンビ”とでも呼ぶのが相応しいか。
彼らはかつて人であったが、今はもう違う。撃たなければ自分が殺られると分かっていても、最初は相手に向かって引き金を引くのが怖かった。何十体と撃ち倒してきた今でさえ、その怖さは変わらない。
青年には人を撃った経験が無い。警官となった以上、いずれはそんな日も来るだろうと覚悟もしていたが、それはまだずっと先のはずだった。まさかこんなにも早くにその日が訪れようとは。人に近い物として射撃のターゲットにマネキン人形を使ったことはある。しかしそれとこれとは大違いだ。
警官が銃を使うのは相手を無力化するためであって、殺すためではない。勿論殺すために発砲することもあるだろうが、そこまでの事態になるのは稀だ。彼は今現在その稀な事態に出くわし、この街に着いてからずっと相手を“殺す”ために発砲を繰り返していた。
9月29日。もうじき終わる今日という日は、彼が正式に警官となる記念すべき日になるはずだった。警察署が廃墟と化し事実上機能していない今、それも望むべくもない。
無性に腹が立つ。
自分の着任を待たずに消え去った警察に、そしてこの街をこんな状態にしてくれた何かに。この辺りで起きていた猟奇事件に興味があっただけなのに、この仕打ちはあんまりだ。……まぁ、それについてもっと詳しく知りたかったというのがここへの赴任を希望した理由だから、動機が不純といえばその通りなのだが。
――この街にはもう生きてる人間はいないのか?!
装填の終わったマガジンをやや乱暴に本体へ戻すと、手のひらに浮いた汗をジーンズの腿で拭った。それから青年は安全な場所を求めて動き出した。
一歩踏み出すごとに、プラチナブロンドの髪が揺れる。僅かな光でも反射させるその髪は、闇の街に良く映えた。
行く手を阻むようにどこからともなく立ち現れるゾンビのうち、一番邪魔そうなのを慎重に選んで撃ち倒す。手持ちの銃弾には限りがある。目の前のゾンビ全てを倒して行くなど、無理な相談だ。しかしもしそう出来たら、きっと最高だろう!
無作為に選んだ角を曲がり、まるで迷路のような路地に入り込む。彼がこの街を歩くのは今日が初めてだし、地図も持っていない。路地がどこに繋がっていてどこに出るのか、まるで見当も付かないとなればこれは実質立体迷路だった。それでも進むしかない。引き返すなんて論外だ。
早足で進んでいた青年の足が止まった。数ヤード先の路地突き当たりに見えるのは、自分の身長よりも遙かに高いブロック塀。
「クソッ」
悔しさを奥歯で噛みしめ周囲を見回した。ジャンプしても塀の上に手は届きそうになく、踏み台に出来そうな物もない。建物と塀の間はわずか数インチ。いくら青年が細身だとは言ってもこれは無理だ。こんな隙間を抜けられるのはネコくらいだろう。
戻って別の道を行くしかない。
仕方なく青年は踵を返した。しかしいくらも進まない内に再び青年の足が止まる。
――もうこんなに近くまで!
予想以上にゾンビの移動速度が速い。十分に引き離していたと思っていたのに、4・5体のゾンビが角を曲がった所まで迫っていた。先頭のゾンビまで20ヤードもない。横をすり抜けようにも、この路地は狭すぎて無理だ。
進退ここに窮まれり。
だからといってそう易々と奴等のエサになるつもりはない。青年はハンドガンを構えて先頭のゾンビの胸にに狙いを定めると、続けて三度引き金を引いた。狙い通りに全弾がターゲットの胸に、内一発は心臓の位置に吸い込まれる。被弾したゾンビはそのすぐうしろにいたもう一体を巻き込んで仰向けに倒れた。いい腕だ。あれなら即死間違いなし――但し、それは普通の人間を相手にした場合の話だ。
青年の得た手応えに反して、倒れたゾンビは何事もなかったかのように起きあがる。
――なんで大人しく倒れてないの!
青年は舌打ちすると今度は銃口をもう少し上向け、新たに先頭に立った別のゾンビの眉間を狙って引き金を絞った。その銃口から凶弾が放たれたその時、ゾンビと青年の視線がかみ合った。単なる錯覚なのだろうか。傷だらけで腐敗の進んだその顔が、とても切なく悲しそうに見えたのは。青年は様々な何かで汚れたスーツを着た、相手の人生に思いを馳せた。――あのゾンビは……彼は一体どんな男だったんだろう? こんな事が起こらなかったら、何を為しどんな死を迎えたのだろうか。
どんな死に方にしろ、これより酷いことはないだろう。一度死ねばそれで終われる。こんな風に、二度も死ななくていいのだ。
次の瞬間には狙い通りに着弾した9mmパラベラム弾がその頭部を吹き飛ばしていた。それは腐ったトマトを壁に投げつけた状態にそっくりだ。その光景が青年を現実へと引き戻した。ねっとりと甘い腐臭が一層強く漂う。
青年は気を取り直し別のターゲットにその銃口を向けた。
じりじりと距離が詰まってくる。
何かがタタタッという軽快なリズムを刻む。それは確かに銃声で、しかし青年の持つ拳銃のそれとは明らかに異質なものだった。刹那、青年が今まさに撃ち倒そうとしていたゾンビが、頭の半分を吹き飛ばされて倒れる。
さらに続けて軽快だが重みのある銃声が響き、その都度ゾンビは頭を吹き飛ばされるか身体のどこかしらをもぎ取られるかして倒れた。全てが片付くまで恐らく10秒もかからなかったろう。
その殺戮の瞬間を青年は信じられない面持ちで見ていた。
To be Concluded...
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