03 : Meet again, and...?
2003.12.27.
乾いた銃声が森の静寂を突き破る。
それは男三人の耳にも届いた。駆け足で南方へ進む彼らの顔に、緊張が走る。かなり近い。ここが豊かな森であるのを考えればハンターの可能性も捨て切れないが、今の銃声は猟銃のものではなく、口径の小さな拳銃のものだった。日常的に拳銃で狩猟をする人間はいない。ならば、何者かから身を守るために発砲したと考えるのが妥当だろう。
今、この付近で発砲するほどの危機に瀕している人間はさほど多くあるまい。彼ら三人を除けば、該当しそうなのは一人だけ。
続けてさらに数発の銃声が耳を打つ。発砲の間隔も短くなってきた。
走るスピードを上げながら、彼らは冷静に数えていた。
既に八度、かの銃は空気を震わせている。弾倉が空になるまで、あとわずか。
* * * * *
そういえば、犬って群れで生活する動物だったな。
茂みの中から飛び出してきた犬――ただし、皮膚が酷くただれて肉が悪臭を放っている――を反射的に撃ち殺した時、当然感じて然るべき恐怖や嫌悪感よりも先にレベッカの頭をよぎったのは、そんな考えだった。
レベッカは悪臭を放つ犬の死骸に背を向けると方位を調べ直し、走り始めた。一頭や二頭なら、同時に対処も出来る。しかしそれ以上となったら、上手くあしらえるかどうか自信がない。
数拍の後背後の茂みが揺れ、同時に犬の獰猛なうなり声が聞こえてきた。この時にはもうそこから20ヤード以上離れていたが、しかしたったの20ヤードだ。いかに腐りかけの犬といえども、その運動能力は少しも衰えてはいないらしい。彼らの走るスピードは人間のそれよりもずっと速い。数百ヤード先の館まで追いつかれずに走りきるなど、まずもって不可能だろう。
彼女は思いきって右肩越しに後ろを見た。少なくとも三頭の大型犬が死骸のそばにいた。しかも見ていた僅か半秒の間にその内の一頭が追撃を始めている。
決断せねばならなかった。
このまま逃げられる所まで走り続けるか、それとも立ち止まって迎撃するか。
一瞬で覚悟を決めると、彼女は足を止めて迫る犬たちと対峙した。両足を軽く開いて銃を正しく教則通りに構え、弾む呼吸を整えながら先頭の犬に狙いを定める。その距離がおよそ8ヤードにまで詰まったとき、引き金を引いた。
頭部を狙った銃弾は犬の耳をかすめて腹に食い込んだ。
白く濁った瞳が被弾の衝撃で大きく見開かれる。それまでの獰猛さからは想像もつかないほど哀れな悲鳴をあげて倒れたが、起きあがろうとしたので更に二度引き金を引いてとどめをさした。
あと、三頭。
銃口を下げる間もなく、次の犬が迫る。
じっくりと狙っている余裕はないし、相手もそれを許してくれそうになかった。一番手前の犬に向かって発砲したが今度はかすりもせずに、数インチ左側の土を跳ね上げただけだった。銃声や近すぎる着弾に怯みもせず、犬は力強く大地を蹴って飛ぶ。
犬の巨体が宙に浮いた。
中空で静止する一瞬を逃さず、レベッカは眉間を狙って撃つ。わずか6フィート先のターゲット。どんなに射撃が不得手であったとしても、この近距離では外しようがない。犬の眉間に吸い込まれていった弾丸はまっすぐに頭蓋骨を突き抜け、腐り始めた後頭部を吹き飛ばして大きな射出孔をつくった。
勢いの付いた巨躯は小さな弾丸一発の衝撃くらいでは止まらずに、そのままレベッカを押し倒さんと迫ってくる。彼女は冷静に左へ飛び退きそれをかわした。こと切れた腐肉の塊は彼女の背後に落ちて、小さく一度大地を揺らした。
残るは二頭。
* * * * *
緑で染まった世界の中で、それはひときわ異彩を放っていた。だからこそ、遮蔽物の多い森の中でも比較的容易に発見出来たのかもしれない。
およそ50ヤード先に見えるのは、白い防弾ベストとその背中に描かれた鮮やかな赤十字。それは世界共通の衛生担当員の証であり、こんな所にいる衛生担当員といえばラクーン市警S.T.A.R.S.ブラヴォーチーム所属のレベッカ・チェンバース以外にいなかった。
チームメイトであるリチャード、フォレスト、ケネスら三人の男は十数時間振りにその姿を目にして、肩の荷が心持ち軽くなった様に感じた。とはいえまだ全く気が抜けず、事態は何も好転していないことは皆十分に承知していた。
彼らはレベッカの30ヤードほど手前で二手に分かれた。フォレストとケネスは援護の為に左手方向へ、リチャードは彼女と合流する為に直進する。
怒った様な唸りと威嚇する犬の声に、銃声が混じって耳に届いた。風に押し流されてきた硝煙が鼻を突く。
彼がそこに到達するまでに、何秒もかからなかった。
レベッカが次の銃声を轟かせる前に、リチャードは彼女の右側に飛び出した。
正面に全神経を集中していたレベッカは、突然脇に現れた明るいオレンジ色の影に驚き、そちらに銃口を向ける。照準の先にいたのは若い男だった。髪は頭頂部に幅数インチ分残して短く刈られ、耳の上から後頭部にかけて丁寧に剃り上げられている。陸軍のレンジャー部隊の隊員によく見られる髪型だ。
その人物の事を、彼女は良く知っていた。
「リチャード!」
青年は銃口を突きつけられていてさえ彼女を安心させるように笑い、さらにはウィンクまでして見せた。そして腰を落として大地に片膝をつくと、愛銃のアサルトショットガンを構え、危険なほど近くに迫っている犬に狙いを定めて引き金を引いた。
銃口から飛び出した散弾が円錐状に広がり、その射程内にある物に襲いかかる。その内一割強は下草を切り裂き地面に着弾したものの、ほとんどはバケモノとなった犬に命中した。無数の小さな鉛玉が犬の半身を挽肉に変える。おびただしい量の腐肉と血液が地面に散り、犬はそのまま絶命した。
それとほぼ同時に、もう一頭が打ち倒された。左側を下にして腐肉を散らしながら最後の犬が崩れる。
轟いた銃声はレベッカのハンドガンでも、リチャードのショットガンのものでもなかった。レベッカは銃弾の飛んできた方向に顔を向ける。リチャードもざっと周囲に視線を走らせて危険がないことを確認すると立ち上がり、彼女と同じ方向を見た。もっとも、見ずともそこに誰が居るのかは分かっていたが。
レベッカにとっては予想外、リチャードにとっては期待通りの男二人が、左方に15ヤードほど離れた場所で手を振っていた。リチャードは片手を上げてそれに応じる。彼らはきっちりと仕事をこなした訳だ。お陰で、あっさりカタがついた。
二人の男が駆け寄ってくる。
そして再会と互いの無事を軽く喜びあうと、踵を返し屋敷に向かった。
* * * * *
屋敷に戻ると彼らは一階にある一室に向かった。そこは医務室、とでも呼べば良いだろうか。事務机や簡易ベッド、壁際には沢山の小さな引き出しがついた棚があり、そこには様々な種類の薬品が並べらていた。それらは全てアンブレラ製薬のもので、他社製品がひとつとしてないのは異様だった。
休憩を兼ねて一時間ほど過ごす。別れていた間にあった出来事や情報の交換、傷の手当てなどをして過ごした。
仲間と無事合流できたことで緊張の糸がゆるんだのか、レベッカは強烈な睡魔に襲われた。無理もない。一睡もせずに一晩中異常な世界で活動してきたのだ。医務室の堅いベッドに横たわると、ほどなくして彼女は眠りに落ちた。
こんな状況でも眠れるなんて。よほど肝が座っているのか、疲れていたのか。どちらにしても、大したものだと彼は思う。
邸内の探索はフォレストとケネスに任せていた。腕時計を見ると彼らがこの医務室を出て行ってから半時間が過ぎていた。――もう半時間経ったら、レベッカを起こして自分たちも探索に出よう。
あどけない天使の様な顔で無防備に眠る彼女を眺めて、リチャードは神経質に手を動した。あらゆるポケットを叩き、あるはずのない物をせわしなく探す。
――煙草が欲しい。
あんなものはもうずっと前、軍を除隊すると同時にやめたのに。陸軍時代に覚えた悪癖が、今は無性に懐かしかった。あまり誉められた習慣ではないと分かっているが、少なくとも苛立つ神経を静める役には立つ。
しかしものがないのでは吸いようがない。
――あとでフォレストに持ってないか聞いてみよう。
彼は溜息を吐くとレベッカの銃を取り上げ、クリーニングを始めた。昨夜彼女がどう過ごしたのかについては大まかな話しか聞いていないが、とても銃の手入れをしている余裕があったようには思えない。きちんとした道具がなく完璧な整備をしてやれないが、全くしないよりはマシなはずだ。
一通りの手入れが済むと、銃を彼女のホルスターにそっと戻してやる。そのまま彼女の髪に触れると独り言ちた。
君を守るよ。それがおれの任務だ。
……彼らを待ち受ける現実と結末は、あまりにも過酷で厳しい。
しかし、その先にあるより大きな惨劇を知らずに済むのは、あるいは幸せな事なのかもしれない。
一度は振り払ったかに思えた悪夢の世界。それが錯覚であったことに、まもなく彼女は気付くだろう。この滑稽なまでに過酷で悲惨な劇はまだ終わっていない。第二幕は上がったばかりだ。
- Fin -
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