01 : Back to the Beginning
2003.09.28.
そこを一言で表現するならば、これ以上適切な言葉はない。
“野性的”。
ラクーンシティの傍にそびえるアークレイの山腹を覆うその森は、自由奔放で情け容赦のない過酷な自然そのものだった。今日まで殆ど人間の介入を受けずに来たせいなのか、一種人間を拒絶するような雰囲気を全体にまとっている。
空を仰げば木々の枝が絡み、重なり合って頭上を覆う。針ほどにも細い木漏れ日すら落ちない樹冠の下は、夕刻かと思うほど薄暗い。森の空気は湿気を帯び、枯れた枝や葉を分解させるカビの臭いがうっすらと漂う。加えて、耳が痛くなるほどの静寂が一帯を支配している。風が葉を揺する音も虫の羽音もない。
獣道さえ無い森の中をレベッカ・チェンバースは進んでいた。彼女が一歩踏み出す毎にブーツの下で落ち葉や枯れ枝が踏みしだかれて悲鳴を上げる。それがこの森の静寂を破る唯一の音だった。
急いではいたが、決して走ろうとはしなかった。走ればその分早く目的地に到達出来るが、体力の消耗が激しいうえ、迫る危険に気付きにくくなる。経験が無いに等しいほど浅いとはいえ、そのくらいの事がわからないほど愚かではない。
アメリカの中西部に位置するラクーンシティには、S.T.A.R.S.(Special
Tactics and Rescue Service)と呼ばれる対テロ特殊部隊が配備されている。アルファ、ブラヴォーの2チームから成り、それぞれは6名で構成される。レベッカは、そのブラヴォーチームの衛生担当だった。
未だ成人年齢に達していない彼女は、少女特有の華奢な体躯で、顔にはあどけない幼さが残る。そのせいなのか、実際の年齢以上に若く見られ、子供扱いされることも少なくない。
だからといって、彼女が見かけ通りの人間だと思うのは間違いだ。弱冠18歳という年齢ながら既に大学を卒業しており、特に化学に関する知識には目をみはるものがある。それ故S.T.A.R.S.にスカウトされたわけだが、入隊が決まってからこちら数ヶ月はわずかながらも軍事訓練に励んできた。
そこで学んだ事全てを体得出来た訳ではない。だが、なめてかかれば痛い目を見るだろう。
針葉樹の葉よりもなお深い緑色の澄んだ瞳を持つ彼女は一旦その歩みを止め、呼吸を整える。予想外に息が上がっていた。異常な世界で夜通し活動してきたせいで今まで味わった事のない疲労を感じている。が、頭は冴えているし気分は良い。
深呼吸を繰り返しながら、自分の進んできた道とは言えない道を振り返る。緩やかに続く斜面。一定の間隔で乱れる落ち葉が、彼女が辿った道筋を示している。これを目印にしてそのまま戻れば……。
数時間前に清々しい朝日を浴びたあの場所に戻れる。
閉じたまぶたの裏に鮮やかな映像が浮かび上がる。
晴れ晴れとした表情で草の上に寝転がる男の姿。儀仗兵が式典で見せる様な鮮やかで美しい敬礼。丘の上で別れを告げた“死んだ”男の事を、彼女は一生忘れないだろう。
……彼はまだ、あの場所にいるだろうか?
そう思った次の瞬間には、レベッカは頭を振っていた。
――居るはずがない。彼は頭のいい男だ。先にあそこから立ち去った私の意図が察せないほど、鈍くない。忘れるのよ、レベッカ。彼は……死んだの。
* * * * *
更に30分ほど森を進む。
段々と地面は平坦になり、樹木の生える間隔も広くなってきた。空を覆う枝の重なりも薄くなり、枯れ葉の積もる地面には幾筋もの木漏れ日が落ちている。それに比例するように、下草の量や丈が増え、低木の藪がそこここで繁る。
まるで違う森のようだった。
しかし間違いなく同じ森である。その証拠に明度や開放感が変わっても、最初からずっと変わっていないものがある。
それは音と気配。
時々は鳥の翼が空気を叩く音と悲鳴の様な鳴き声が聞こえたり、風が葉を揺する音がしていたりした。だがそれ以外は相変わらず静まりかえっていたし、生き物の気配も感じられない。
ここはレベッカが知っているどの森とも違っていた。薄気味悪いばかりか、彼女に敵意を向けているようにすら感じる。それがこの森に対する正直な感想だった。
彼女は今、森の切れ目に到達していた。あと3ヤードも進めば、昨夜の悪夢を浄化してくれた陽光の下にでる。ずっと薄暗い所に居たので、ここからでも夏の強い日差しが目に痛い。暫く目を閉じて慣らすと、ようやく日差しの中に足を踏みだした。
日向の世界には、鉄道のレールが敷かれていた。癒えても消え残る傷痕のように森を走る鉄道。この一方はラクーンシティを通りさらにその先へ、もう一方は一連の悪夢である今回の事件、そして全ての始まりの場所であるアンブレラ社幹部養成所に繋がっているのだろう。
見れば熱気が陽炎のように立ち上っている。レベッカは夏の陽光で熱されたレールをまたぎ越えた。
不意に下から目を射る光が気になって、注意を足下に向ける。
砕けたガラスの欠片や金属片が無数に散っていた。よくよく見ればそれらばかりか、周囲の地面にも虹彩を放つ箇所がある。彼女は屈んでその内のひとつに手を伸ばした。なんだろう。例えるならナメクジのような無脊椎の軟体動物が這った跡によく似ている……。
ナメクジのような。
無脊椎の軟体動物。
そこに触れる寸前でそれが何か思い至り、慌てて手を引っ込めた。幅3インチもある這い跡を残すような巨大なナメクジなど、この辺りにはいない。世界中を探してもいるかどうか怪しい。ただ、レベッカには思い当たるものがひとつだけあった。それは昨夜見た悪夢の欠片。狂った天才が愛し、生み育てた『蛭』。
列車が襲われたのは恐らくこの辺りで、乗員や乗客を殺したのはあの蛭だったのだろう。ならば、停車していたのはここからそれ程遠くない場所のはずだ。
無論それは推測に過ぎず、証明しようにも証拠は何一つない。人を殺せるほど巨大で凶暴な蛭が組織だってそういった事をするなど、あまりにも非現実的で突拍子もない話なだけに誰も信じてはくれまい。見たままを正直に書いた報告書など、笑われ一蹴されるのが関の山だ。実際彼女が相手の立場だったら、相手の正気を疑うだろう。
どうするのが一番良いのか。
経験のない彼女には分からない。第一、今はそんなことよりも仲間と合流することの方が重要だ。報告書など、署に戻ってから考えればいい。
彼女は線路に背を向け、歩き出した。
* * * * *
薄闇の森の中に浮かび上がる、日溜まりの空間。それは偶発的に出来たものではなく、なんらかの力によって強引に作り出された物だった。木立に付いた真新しい傷や折れた枝の瑞々しさからして、そこが出来たのはごく最近のようだ。
長くしなる金属の板が木立の間から不自然に突き出ている。降り注ぐ陽光に照らされたそれは、明らかに人工物だった。見覚えがある。あれはローター(回転翼)を構成するブレードの一枚だ。
……もしかして。もしかしなくても。
風が動き、漂ってきた臭いに胸騒ぎを覚えた。
こんな予感は外れればいい。そう願いながら彼女は腰のホルスターからハンドガンを抜き、慎重に木立を回り込んだ。
折れた枝や低木の茂みに半ば埋もれた格好で鎮座するのは、軍と同じくすんだオリーブ色で塗装されたヘリコプター。ずんぐりとした胴体部からすらりと延びた尾部に白でペイントされた文字列が鮮やかに浮かび上がる。
ひっくり返せば、腹部に描かれたS.T.A.R.S.の紋章が見て取れるはずだ。
間違えようがない。それは紛れもなく、昨夜彼女らをここまで運んできた機体だった。
ついに彼女は戻ってきたのだ。
この、始まりの場所へ。
To be Continued...
Next >>