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−ゆのみさまより−

2005.01.05.

 晩夏の夜。己がうちで抱える闇よりも深い闇。そこで見たのは、欲望と絶望がおりなす馬鹿げた悪夢だった。
 何物をも覆い尽くさんとするその深き闇に、今にも飲み込まれそうになっていた俺を救い出してくれたのは彼女だった。
 暗黒よりも暗き闇と、絶望という衣を幾重にも纏った俺を貫いた、神の如き彼女の輝き。
 お互い、人並みに順調な人生だったら、決して出会う事はなかっただろう。
 あの夏が終わりを告げようとしている時、俺たちの運命が交差した・・・。

     * * * * *

 こんなにユニークな街は見た事がない。
 街の中のほぼ全ての人間が腐ってるなんて街、そうそうあるもんじゃない。
 これがハロウィンかなんかの仮装だったら楽しいのに、生憎これはそういうものじゃない。
 俺はアサルトから手を離し、ポケットをまさぐって煙草を取り出した。
 ちっと舌打ちして箱をぐしゃっと握りつぶし、アスファルトに叩きつけた。空の箱を後生大事に持っていた自分に腹が立つ。
 煙草の箱が転がった先には、俺が今仕留めたばかりの死体が微かに痙攣していた。撃ち抜かれた頭部から流れ出るどす黒いどろっとした体液が、男の全身を濡らしていた。
 この死体がどんな人間だったにせよ、亡骸を抱えて嘆き悲しむヤツはいない。この街には死者を弔う人間も、弔われる死者も、もういない。
 目の隅にうつる暗闇に影が揺らめいた。一つだけではない。それを視界の中央に置く。ゆっくりと影が近付いて来た。ホルスターからハンドガンを引き抜いた。
 影の一つに狙いをつけてトリガーを引く。たて続けに3発。影が大きく仰け反り、アスファルトに崩れ落ちた。
 次の影に狙いを絞り発砲しようとした時、たった今影が崩れ落ちた地面が盛り上がり、それはゆらりと揺れたかと思うと、人の形をしてまた俺にせまってきた。
 微かな灯りに照らされた躰には無数の傷跡。撃ち抜いた傷口から黒く変色した血が滴る。腐肉がぼとりと落ち骨が露出した。それを気にもせず近付いてくる、死んでいる人間。
 「・・・狂ってる・・・」
 この街に来てからもう何度目かのその科白を呟き、俺はアサルトを手に握りしめた。


 つい2週間前までは普通の街だった。どこにでもある田舎町。
 この街が腐った連中に占拠されたのは数日前の事だ。
 きっかけは、とある企業の研究所から漏れ出でたウィルス。
 そいつは瞬く間に街中に広がり、住民の8割以上が感染。感染者の9割が発病した。
 ウィルスは感染者の肉体を腐らせ、知能を低下させる。腐った肉体はさながら死体のようだ。感染者はその死体のような肉体を抱え、ただ食事の為だけに動き回る。知能の低下は全てを奪い去り、唯一考える事は食べる事だけ。
 やがて、全ての生命維持活動が一旦停止し、その間に完全な発病者へと移行し活動を再開する。死体が再び動き始めるのだ。
 どれほど食べても、何人の人間を食い尽くしても満たされない本能。それは飢餓を叫び続け、何度撃たれても起きあがり、脳を撃ち抜かれるまで狩りを続ける。
 生の喜びも死の崇高さも自己の尊厳も・・・もう何もない。
 非合法なそのウィルスの生みの親達は慌てふためき、なんとか事態を収拾しようと俺とその仲間たちをこの無秩序な街に送り出した。「市民の救出」という高尚な命令を持たせて。
 ふん。何が救出だ、くそったれ。
 俺たちが来た時、既に手遅れだった。救出すべき市民は新鮮な食事として俺たちを襲い、投入直後に部隊は壊滅させられた。今や救出されるべきは俺たちだった。俺の部隊の生き残りは、俺しかいない。他の部隊との交信は繋がらない。
 不意に、俺が今の名前になる前の事を思い出した。あの時も、俺一人だけが生き残った。あの日・・・、あの時が人生最悪の日だと数日前まで思っていた。でも・・・。今のこの状況に比べたら天国と地獄だ。
 ・・・また俺だけなのか? この世界に生きているのは。・・・いや、そんな事はないか。海千山千の連中だ。どんなに汚い手を使っても生き残ってる奴がいるはずだ。何でかな? 生き残っても、まともな道を歩いていけるわけじゃないのに。
 その問いは俺自身にも向けられる。何で、そんなに生き残りたいんだ? 自分の過去すら捨てて、何の為に? 今も昔も、生き残る事を考えている。
 死ぬのが怖いわけじゃない。産まれた時から覚悟は出来てる。じゃぁ、何故?
 ・・・所詮、それも本能か。この腐った奴らが持つ食欲と同じ。
 死に場所を求めて生き続けるなんて、そんなの、生きてないのと同義だろ? この腐った連中と同じじゃないのか?


 カーン・・・。
 最後に吐き出された薬莢がアスファルトに撥ね、金属音を響かせた。
 累々と築かれた死体の山。傭兵として雇われる前に殺した人間の数を、ここ数日で楽々と超えてしまった。
 罪悪感はない。相手が人型をしただけの木偶だからなのか、俺がおかしくなってるからなのか。
 一つの死体に目が吸い寄せられた。俺と同じオリーブ色の服を着た男の死体。
 ・・・近い未来・・・例えば数秒後の、俺の姿かも知れない。
 思いついた暗い予感に首を振り、おそるおそる彼に手を伸ばす。・・・大丈夫、動かない。
 動かない死体が俺と同じ装備を持った死体だった時は、マジで有り難い。遠慮なくポケットやマガジンパウチに手を突っ込み、死人には不要な物をいただく。
 ホルスターから銃を抜き取る。装填されたマガジンの中身を確認して、ベルトの間に挟み込んだ。大した弾数は入っていない。ポケットの予備弾薬もそれほど多くはなかった。
 胸ポケットから封を切ったばかりの煙草が一箱。だが、腐った体液に濡れて吸えそうもない。くそっ、惜しいな。
 立ち上がって辺りを見回す。腐った連中の相手をしながら闇雲に動いたお陰で、ここが一体どこなのか見当もつかない。ストリートの表示はひしゃげていて読みとれない。
 大きな通りのようだが、バリケードが道を塞ぎ、頑丈な門が侵入を阻み、大型バスが塀に突っ込むように停まって道路を分断している。言うなれば袋小路。
 街中のそこかしこに組まれたバリケードは、腐った連中の侵入を防ぐ為、まだ非感染者がたくさんいた頃に築かれた。
 良かれとしたそれが、街を分断し救助と避難を妨げた。その事に気が付いた時はもう手遅れだっただろう。或いは、それに気が付く事もなかったか・・・。
 俺はどうしてもバリケードの向こうに行きたい。向こう側に非感染地域があるなんて思ってるわけじゃない。どこへ行っても同じなら、立ち止まるよりも歩いている方がマシだろ。もしかしたら大型トレーラーとかヘリとか、何らかの脱出手段があるかも知れないし。非感染地域があると思うよりも、多少現実的な希望だ。
 俺は一つの建物を見上げた。煉瓦造りの古ぼけたビル。そんなに高くない。せいぜい4階建て。
 このビルに接する形で大型バスは道を塞いでいるが、建物自体は壊れた形跡はない。
 俺はほくそ笑んだ。建物を抜ければ障害物の向こう側へ行けそうだ。こんな袋小路でうろうろするより、2階の窓から飛び降りる方が建設的だ。
 俺はドア勢いよく開けた。


 壊れた自動販売機に繋がらない公衆電話。床に倒れた観葉植物。散乱したごみ。割れたガラス。エントランスは嵐が通り過ぎたように散らかっていた。
 古いからか、それほど高くないからか、上に行く手段は階段しかないようだ。
 俺は階段の前を素通りして、公衆電話の前に落ちている紙を拾い上げた。『特ダネ!』の走り書き。裏返して見れば、発病者の顔が大写しになった写真だった。これを写したヤツが、この写真と瓜二つに変貌してない事を祈るよ。
 写真を無造作に公衆電話の上に置き、アサルトを構えながら注意深く階段を昇る。一歩毎にぎしっと軋む階段に冷や冷やしながら。
 二階の部屋を覗く。散らかっているが腐った連中の姿は見えない。
 階段はまだ上に続いている。飛び降りるのはこの部屋の窓からとして、三階を見ずに行く事は出来ない。もしかしたら、何か役に立つ物があるかもしれないだろう? 例えば弾薬や他の武器。例えば水や食料。もしかしたら・・・生者。
 階段を昇りきった所にあるドアを開けた。細長い通路が壁の突き当たりまで続いている。その途中には首のない女が自分の血の海に沈んでいた。壁と言わず天井と言わず、血と脳漿が飛び散っていた。
 誰かが先に来たらしい。と言う事は、何もないという可能性の方がでかい。まぁ、いいさ。無駄足を承知で来たんだから。
 廊下を奥へ進み部屋の中へ入る。ひどく荒れた室内には、原稿とおぼしき書類と写真が散乱していた。死体は見あたらない。油断なく銃を構えつつ奥へと進む。
 ・・・何もない。
 くそっ。チョコバーの一つくらいあってもいいじゃねぇかよ。心の中で悪態をつく。ざっと見回しても、役に立ちそうな物はなかった。
 何もない所に長居は無用。階下へ戻る為にくるっと回れ右をしたその時。爆発音と共に建物が震え床が動いた。俺は躰を支える間もなく様々な書類と共に床に倒れ、強か頭を打ち付けた。
 真っ白い天井と舞い散る書類に靄がかかり、あっという間に世界は閉ざされた。


 どれだけの時間が経ったのか。俺は何かふわふわした気分だった。酔っぱらった時とも違う、何と言えばわからない、初めて感じる心地良さ。
 ・・・もしかして、俺、死んだのか?
 遥か遠くから人の声が聞こえ、躰がゆれた。それさえも気持ちが良い。
 「ねぇ、起きて! しっかりして!」
 ・・・誰だ? 心地よく響くその声の主を俺は知らない。誰だ? 俺はその声の言う通りに、ゆっくりゆっくりと瞼を持ち上げた。
 視界いっぱいにきらきらと瞬く光が溢れ、周りの全てが眩く輝いていた。俺は開きかけた目を細めずにはいられなかった。
 眩しさに慣れた視界に飛び込んできた物を見て、俺は吐き出すはずの息を飲み込みこんだ。きらきらと溢れる光る中の、一際輝いている物に釘付けになった。
 神々しいとさえ言えるほど、その見慣れぬ女は美しかった。聖人の様に後光を背負い、俺を見つめている。視線が重なった瞬間、俺はまた目を細めた。
 あぁ、俺、本当に死んだんだ。そうじゃなきゃ、こんな光景、あるはずがねぇ・・・。

     * * * * *

 それが俺と彼女の人生が交差して、俺の人生が大きく動き出した瞬間だった。
 あの時死んだと思ったのは大きな勘違いで、直後に激痛におそわれたり化け物に襲われたり、生きていた事に感謝すべきか悲しむべきか、ちょっと複雑だった。もちろん、今は感謝してるさ。
 俺は彼女の「生きる」という意志の強さが放つ輝きに惹かれた。彼女がいなければ、俺はあの街のどこかで、街の終末と共に自身の終末を迎えていたに違いない。あれほど意志の強い女でなきゃ、俺は救われなかっただろう。
 凄いよな。他人に・・・俺に希望を与える強さって。
 何故生き残りたいかという自問には、未だ答えは出ていない。でもあの時思ったんだ。この先の人生を彼女と共に(たとえ特別な存在でなかったとしても)生きたいと。だから、今は死んでなんぞやらねぇって。
 俺はあの日以来、きみに負けたくなくて努力してきたけど、どうかな? 俺はきみに近付いてるのかな? 俺は今でも、後光を背負ったきみを眩しげに仰ぎ見てるような気がするんだけど、どうよ?
 あの街の見せかけの朱夏が終わる時、俺は生を受けたんだと思う。
 それまでの俺は街と共に葬られ、きみの傍らでようやく俺は「カルロス・オリヴェイラ」になった。



- Fin -





多謝

 ゆのみさまから頂戴いたしましたお歳暮にございます。
 もうっもうっ。いつも本ッ当〜〜にありがとうございますですよッ! こんなにツボで萌え悶えなカルちゃんネタを戴けるなんて私ってとんでもなく幸せ者ですねッ。なんと御礼を申し上げたら良いものか見当も付きませぬ。
 二人が出会うあのイベント、しかも新聞社の方は私本当に考えたことがなくて。見事に疑問の穴を埋めてくださいました。
 礼拝堂でのカルのセリフに「いつかとは逆になったな」ってのがありますが、レストランで会っているとこれが全くもって意味不明になりまして……。今回拝読しててもの凄い勢いで納得、そして合点がいきました。なるほどねーッて。やっぱりあの「いつか」って新聞社での出来事だよね。。。ガソリンスタンドでのこと、と考えられなくもないけどそれはちょっと強引に過ぎるし。
 なにはともあれ、傭兵で男前なカル♪ ごちそうさまでした^^

( 金井瑞樹 )