ある晴れた日に
−ゆのみさまより−
2002.08.04.
窓の外は素晴らしく良い天気だった。あまりの素晴らしさに窓を開けて、爽やかであろう戸外の空気を思い切り胸に吸い込みたかった。しかし、ここの窓は一つとして開かない。
眼下に広がる景色は焦土だ。今なお終結しない戦争の、無惨な姿を晒している。
ここにはラクーンという小さな街があった。アメリカ中にある何の変哲もない普通の街だった。製薬会社の力で発展し、その代償を自らの体と命で払わされたことを除いては。住人は死のウィルスの、臨床試験の被験者となった。
もはや打つ手がなくなったこの街を、国はミサイルで攻撃した。アメリカ全土がウィルスに犯されないように。そうして、総てが無に帰るはずだった。が、今も焦土の中でウィルスは生きている。だからこそ、彼らと共に私もここにいるのだ。
「レベッカ、どうしたの? 何か面白い物でも?」
窓の外をぼーっと眺めていた私に、同僚が声をかけた。
「ううん。いい天気だなと思って」
「ほんとよね。こんな日に研究室に籠もってるなんてもったいないわよね」
彼女の言葉に頷く。こんな日は彼が羨ましい。高圧電流の流れるフェンスの内側で、最高の警戒態勢でいるとしても、とにかく戸外でドライブ(本当はパトロール)なのだから。閉め切った研究室にいるよりはマシだ。
「今日は彼、出勤してるの?」
「うん。今は外にいるわ。ドライブ中。羨ましいわ」
同僚はくすくすと笑った。
私は化学の専門家だったために、彼やみんなとは別の、この研究室に配属された。
別に、好きだから構わないのだけど、ずっと一緒だったみんなと一人離れるのは寂しい。同じビルの中にいて、同じ街に住んでいるのだから、関係ないといえばそうなのかも知れない。でも私はまだそれほど大人ではない。
両腕をぐぐぐっと突き上げてのびをする。完全に仕事モードから外れてしまった。全く、天気が良すぎる。
「私、射撃場に行って来る。午後まで戻らないから」
彼女は仕方なさそうな顔で手を振った。試験管と顕微鏡から解放され、軽い足取りでエレベーターに乗り地下に行く。そこで気が付く。天気が良いから研究室を逃げ出したのに、なんでわざわざ薄暗い地下に行くのを選んだのか。
ポーンという音と共にエレベーターが止まった。IDカードを差し込み、厳重なドアを開ける。射撃場だ。
ここの職員はどんな職種に限らず、射撃訓練が義務づけられている。ショットガンやマシンガンを平気で扱えなければ、この施設では働けない。緊急事態になれば、誰も他人を守る余裕などないからだ。
IDを係員に見せて銃を受け取る。毎回違う銃を渡される。成績が悪ければ、次回も同じ物で訓練する。
ヘッドホンのようなイヤーウィスパーをして、指示されたブースに入る。
装弾していると、隣のブースから視線を感じた。目だけでそちらを見ると、カルロスが手を振っていた。私の大切な友人で、憧れの先輩の最愛の人。
カルロスはここの職員ではない。職員達の居住区(といっても普通の街だが)の保安官助手をしている。彼もここでの射撃訓練を義務づけられてる。
彼に笑顔を送った。装填の作業を止めて、彼の射撃見る。相変わらず、ため息が出るほどの完璧さだ。
私も的に向き直る。続けざま、トリガーを引いた。弾倉をカラにしては装填し、それを何度か繰り返した。イヤーウィスパーを外し、銃を返して射撃場を出た。
射撃場前には休憩所がある。そこからカルロスの笑い声が聞こえた。休憩所をのぞく。
「お疲れ」
カルロスと話していたのは彼だった。笑顔で声をかけてくる。私も笑顔になる。
「クリス。パトロール終わったの?」
「違うって、レベッカ。ただのドライブ」
「あぁそっか。ドライブね」
「仕事だって。異常なしならそれでいいじゃないかよ」
カルロスと私はくすくすと笑っていた。そうだ。パトロールがドライブになるのは、ウィルスに影響された生物に遭わなかったと云うことだ。
「じゃーなクリス、またな」
「おう、またな」
カルロスが扉の向こうに消えた。
彼は煙草を灰皿に押し込んだ。私の背に手を当てて、エレベーターの前に促す。
「研究室に行ったら、地下だって言われた。後ろからずっと見てたよ」
かーっと顔に血が上る。上手くなったとはいえ、クリスやカルロスに比べたらまだまだだ。そんなところを見られてたなんて、壁を叩き壊してでも、彼の前から消えてしまいたい。
ポーンと云う音がしてエレベーターの扉が開いた。二人で乗り込む。
「上手くなったな。あれなら一緒に出動しても大丈夫だな」
「ほんとに?」
「ほんと」
扉が開いて、彼が降りるように促す。ちょうど昼時とあっていつもよりは多く職員が行き交っている。彼と並んで歩く。
「で? 何か用事?」
「何か用事って・・・あのなぁ」
少しあきれた感じで彼が言う。研究室まで会いに来てくれたのは嬉しいけど、珍しいことなので目的が分からない。
「ランチを一緒にどうかと思って。同じシフトで仕事なんてあんまりないだろ?」
確かにそれは滅多にない。シフト勤務の都合上、すれ違ってばかりいる。
「それにレベッカ、最近ずっと研究室にカンヅメだっただろ? 天気もいいし、連れ出すにはちょうどいいと思ってさ。迷惑だったか?」
私は思いっきり首を振る。迷惑なわけがない。
「で、街に戻って食べようと思うんだけど。お嬢さんがウィルスチェックが面倒でなければ」
ここに出入りする度に、ウィルスチェックをする。確かに面倒だが、毎日のことなので慣れてしまえばどうと云うことはない。
「嬉しい。出勤しちゃうと外に出る事なんてないから」
出入り口のウィルスチェックをすませ、セキュリティを抜けて駐車場へ向かう。彼の車はすぐに分かる。黒のマスタング・コンバーチブル。もちろん、こんな日はフルオープンだ。
「ベルトした?」
「うん」
エンジンが呻りをあげた。
こんな日もある。悪夢のような日常からぽっかりと浮かび上がる、こんな夢のように穏やかな日。警報も緊急出動もなく、ただ普通にすごす日。
彼がアクセルを踏み込んだ。オフィスが、その先に拡がる焦土が、どんどん遠ざかっていく。
運転に集中している彼を見た。それでも私の視線に気が付いたらしく、私の方をちらっと見た。
「何? 暑いか? 屋根、閉めようか?」
「ううん。大丈夫だよ」
「そうか? 暑かったら言えよ」
「うん」
いつかこんな日が当たり前になるといい。どんな悪夢でも良い夢でも、覚めない夢はない。普通の日常を夢にしないために、そのために私たちはここにいるのだから。
- Fin -