2015.07.20.
「ただいまー。なにしてんの?」
夕刻、カルロス・オリヴェイラが帰宅すると、共に生活しているジル・バレンタインがリビングのソファに寝転んでいた。
「あら、おかえりなさい」
なにかを熱心に弄っていた彼女はその手元から顔を上げてカルロスを迎えた。
「それなに?」
「クエントが……ああ、クエント、知ってるわよね?」
「技術屋のメカオタ」
カルロスはその名を聞いて、つるりと禿げ上がった頭を思い出していた。クエント・ケッチャムは彼女らの同僚でBSAAのエージェントだが、組織内でも指折りのメカニックでもある。機械類のみならず生物工学にも精通しているというなかなかの頭脳派だ。
「そう。そのクエントが、新しいの作ったから試してくれって。改良のために感想が欲しいんですって」
ジルが《それ》を持ち上げて軽く振ってみせた。一眼レフのカメラのようにも見えるが、それにしてはレンズとは思えない物が付いているしボタン類も多すぎる。そもそもクエントが作ったものなら、見かけ通りの機能を持った代物であるはずがない。
「なんだそれ」
「《ジェネシス》よ」
名前を聞いてカルロスは不思議そうに首をかしげた。
「俺が知ってるのとずいぶん形が違うけど。ジェネシスってもっと……どっちかと言えば銃っぽく構えて使うもんだったろ」
そうよ、とジルが頷く。
「機能に文句はなかったんだけど、使い勝手が不評だったらしくて。彼、意地になって作り直してるみたいなの」
カルロスは訳知り顔で頷いた。《ジェネシス》はハンディタイプのウィルススキャナーだ。対象物をスキャンすることでそれがウィルスに汚染されたものなのか、そうであるならどのウィルスなのか、を判定できる。最終的にはサンプルを採取して持ち帰り分析に回すことになるのだが、それでも現場である程度の見当や判断が付けられるようになり、それが登場する以前よりは格段に素早く処理や対応が行えるようになったのだ。
実際何度かカルロスも使ったことがある。確かに素晴らしい装置だと思った。だが装備品として携帯するには大きく、重いと思ったことも確かだ。
「それで、その形?」
「そうみたい」
ジルは起き上がり、ジェネシスをカルロスに向けた。俺はBOWでもウィルスに汚染されてるわけでもないぞ、と言いかけたところで、ジェネシスから「ピピ……カシャリ」と電子音がした。これまでに聞いたことのあるジェネシスの作動音としては異質、しかし第一印象の形状としては正しい音。カルロスの表情が引きつる。
「あら、ブレちゃった。もう一度」
「ジルまさかそれ」
「ほらカルロス笑って」
そう言われて笑えるのは、撮られることが好きか、少なくとも苦痛ではない人間だ。残念なことにカルロスは撮られたくないタイプで、撮影者が最愛の女性(ひと)であってもそれは変わらない。うろたえた末、腕で顔を覆い隠した。
「いや、ちょっ……」
「もう! 沢山撮ってみなきゃ使い心地なんて分からないんだから協力してちょうだい」
「だったら俺じゃなくても」
腕の下からちらちらとジルを見ながらカルロスは後ずさる。
クエントから渡されたという改良型のジェネシスは、ウィルススキャナーとしてはもちろんのこと、その見た目通りの機能も備えているようだ。これまで現場やBOWの記録用に写真を撮るにも、いちいち機材を持ち替えねばならなかった。仕方ないとはいえそれが面倒だと感じていたのがカルロスだけではなかったということか。
「試作機だからこれひとつしかないし、私だけじゃなくて他の人にもって言ってたから、明日返さなくちゃいけないの」
そうは言われても、やはり自分を被写体にしなくても、という思いがカルロスにはある。そのくらい彼は撮られることが苦手だった。
「それに私は景色やなにやらよりもあなたを撮りたいの。データは返す前にちゃんと消すから、ね、お願い」
いいでしょ? と半分上目遣いでジルが重ねてくる。
大切な女性がこうして頼んできている。それにデータはちゃんと消すと言っているのだし、被写体になるくらいどうということはないではないか。せいぜい一時間、どんなに長くても数時間。朝には終わっている。
「わかっ……た」
渋々了承すると彼女の表情がぱっと明るくなった。
「よかった、ありがとうカルロス」
「それで、俺どうしたら……」
「適当に撮るから、普通に動いていていいわよ。私のことは気にしないで」
そうは言われても、気にしないというのは無理な話というものだ。レンズもジルも、どちらも気になる。でも、ジルの『ほらほら、気にせずなんでもしていていいのよ』という半ば期待に満ちた視線に負け、ひとまずレンズから逃れようと一旦リビングを出た。
壁に凭れると思わず溜息が出た。普通の行動、普段通りの行動。意識した途端動きが不自然になるのは人の常というもので、考えれば考えるほど分からなくなる。うっかりしたら歩こうとして右手と右足が同時に前に出る、といったことになりかねない。
彼女の気配を感じてそちらに顔を向けると、案の定……と言うべきか。シャッターを切る音がした。この『撮影会』から逃れるにはもう、彼女の気が済むまでつきあうしかなさそうだ。でもどうせなら――
カルロスは楽しそうにシャッターを切り続けるジルに向かって手を伸ばす。そっと手のひらでレンズを覆うようにジェネシスに触れると言った。
「俺にも撮らせて」
少し考えてからジルは、そうね、と頷いた。意見の数とその人数は多い方がいい。その全てが反映されるのではないにしろ、改良の参考にはなるだろう。
「普通のカメラと扱いは一緒なの。シャッターボタンを押すだけだから、大丈夫よね」
そのくらいなら軽いものである。はい、と手渡されたジェネシスは見た目通りにずっしりと重かった。本来はバイオスキャナーであって、カメラとしての機能はおまけのようなものだから仕方ないのであろうが……。軽量化を望んで悪いことはあるまい。
両手で支え持ち、小さな液晶画面を見ながら何を撮ろうかと思案する。そしてすぐにカルロスはレンズを愛しい女に向けた。
ジルが笑って言う。
「私なの?」
「いいだろ? これであいこだ」
にんまりと笑い、カルロスはシャッターを切った。
撮る立場になって、彼にもわかった。「あなたを撮りたい」と言ったジルの気持ちが。そうだ、どうせ撮るなら好きなものがいい。物ならば興味があったり気に入っていたりするもの。人なら断然、好きな人。
それからは奪い合い、競うように互いを撮りあった。そうして一時間が過ぎたところで二人は揃ってソファに沈み込んだ。
くすくすと笑いながらジルが膝の上にジェネシスを置き、二・三回ボタンを押す。液晶画面にはこれまでに撮影した数々の写真が表示され始めた。カルロスは彼女の腰に腕を回し、肩越しにその小さな画面を覗き込んだ。
次々と映し出される最初の十数枚は、カルロスが知っている人物と知らない人物が半々の割合で写っていた。背景がBSAAのオフィスや施設のようだから、借りた直後に彼女が撮ったかその前に試用した者が撮ったか、だろう。
それから見慣れた室内や小物が現れる。
彼女お気に入りのカップやアクセサリー、揺れるカーテンと光、窓からの景色。どれも知っていて、見慣れているものであるはずなのに、カルロスにはまるで初めてみるもののように見えた。不思議なものだ。彼が同じものを撮っても多分、同じようには撮れないのだろう。これがジルが見ている景色。ジルにはこんな風に世界が優しい色で輝いて見えているのか。
そのあとに続くのはカルロスとジル、それぞれが写ったもの。
初めのうちはこわばり、硬かったカルロスの表情が、段々と柔らかく自然なものになっていく。ふざけてポーズを決めているものもあれば、不意を突いた素のものもあり、この短時間でこんなにも様々な表情を引き出せたのはやはり、ジルであればこそなのだろう。
ジルの表情も自然体で可愛らしいものばかりだ。それはたぶん、外では決して見せない、見せる機会もない表情であって、つまりカルロスだけが知る表情であるに違いない。
ひとしきり互いの写真についてああだこうだと言い合ったあとに、間に落ちる一瞬の沈黙。ジルがぽつりと漏らした。一緒に写っているものが一枚もない、と。
カルロスは思わず言葉を詰まらせた。だって、それは仕方がないではないか。ここにはジルとカルロスの二人しかいないのだし、そもそもカルロスは写真を撮られるのが好きではない。
でも、彼女のためなら。
ジルの喜ぶ顔を見られるなら。
「ねぇジル、ちょっとそれ貸して」
ジルは怪訝そうな表情をしたものの、ジェネシスを持ち上げカルロスに手渡した。カルロスは受け取るとボタンを押し、再び撮影できるようにする。そうして片手で持ってぐっと前に突き出した。ただし、通常とは逆にレンズを自分たちに向けている。
「これで一緒に写れるだろ? ほら、笑って」
ぐいと頬を寄せたところでシャッターを切った。数枚撮ってみたところで、撮れぐあいを確かめる。二人から揃って漏れたのは、苦笑混じりの感想だった。
「イマイチだな」
「イマイチというよりも、全然ダメじゃない?」
今撮ったものを行きつ戻りつしながら見直す。丁度良い具合に二人が画面に収まっているものが一枚もない。上すぎたり下すぎたり、上下は良くともどちらかが半分ほどしか入っていなかったり。
「もうちょっと簡単だと思ったのになぁ」
「案外と難しいものね。ね、今度は私に撮らせて」
先ほどのカルロスと同じように、ジルはジェネシスを持ち上げた。ちょっと顔をしかめて心の中にメモをする。このままでは重くて取り回しに難儀する。やっぱり軽量化してもらおう。
「撮るわよ、ほら、Say cheese!」
そうして撮影会の第二幕が上がる。
- Fin -