やくそく

2013.09.19.


 短い髪からのぞく耳に、見慣れぬ輝きがあった。
 鋭い銀のきらめきに、ぬるりとした乳白色の柔らかな光。銀の花をあしらった丸い粒が真珠であるのは、宝飾品から縁遠い生活をしているビリー・コーエンにも分かった。
 可愛らしい女性の魅力を損なわない、清楚なひかりとデザインだ。まるで今身につけている女性のために作られたかのようにも見える。
「それ。似合ってるよ」
 それ?
 なにを指して彼がそう言ったのかすぐには分からず、レベッカ・チェンバースは目をしばたたかせた。彼が初めて目にするものはなんだったか思い当たると、ありがとう、と笑む。自分自身も初めて身につける、このピアスに違いない。
「どうしたんだ。《自分へのご褒美》とかいうやつか?」
「ううん、プレゼント。もらったの」
 プレゼント。そう聞いた瞬間、男の表情がわずかに険しくなる。反射的に浮かんだ疑問が唇からこぼれでた。
「誰から?」
「ステキな人から」
 照れくさそうな、はにかんだ、ためらいがちな笑み。その表情から、レベッカがその人物に少なからぬ好意を持っていると知れた。
 そして、その表情はビリーをひどく動揺させた。贈り主は間違いなくレベッカをみている。どのようなものが彼女に似合うか考え、選び、高価な品を贈ることも厭わない。レベッカに対し、なにがしかの好意を持っていることは間違いない。思うにその相手は同性ではなく、おそらく異性だ。
 異性から好意を寄せられ、まんざらでもない彼女。
 動揺は胸の奥でざわつきに変わる。その感情の正体は、認められなかったから無理をして目をそらした。
 自分たちの関係をどう呼ぶべきか、ビリーはいまだに決めかねている。時折会い、心を満たし、身体を重ねる。彼女をどう思うかと問われれば、迷いなく愛していると答えられるし、それはレベッカだって同じだろう。遊びや快楽のために誰にでも身体を開くような女とは思えないから。
 だから、普通なら胸を張って《恋人》だと言えただろう。
 でも。
 彼は《死人》だった。
 死ぬ前は、死刑囚だった。
 今は別人としての生活を始めているとはいえ、そんな男が彼女の恋人を名乗って良いものか。自分と彼女の未来についてどんな保証も約束もしてやれないのに。
 恐らく彼女は、恋人のような男(ビリー)の存在を誰にも言っていないのだろう。ほのめかしたことさえないのかも知れない。だとすれば、思いを寄せる相手も特定の相手もいない妙齢の女性になにがしかのアプローチがあるのは、自然なことではないか。
「ビリー? ここ、しわ寄ってるよ」
 レベッカは小首をかしげ、指を自分の眉間に当てた。彼の胸の内について、なにかを感じ取った様子はない。彼は密かに胸をなで下ろした。そして訂正し、認めることにした。
「すまん、最近付いたクセみたいなもんだ」
 さっき感じた胸のざわつきは、嫉妬だ。でもそれを彼女に知られたくなかった。
「食事にしよう、お嬢さん。オレはもうハラペコだ」

   * * *

 ビリー・コーエンは珍しく連休を取っていた。その際、普段なら応える緊急の呼出しやシフトの交替も、この日程だけは無理だからと言い置き、承諾されていた。
 なのに、応えざるを得ない要請が入ってしまった。
 結果的にはそれで良かった、と思う。そうでなければ一人で出かけることなどできないし、彼女のための買い物など尚更無理だ。半日ばかり仕事に就いて交替したあと、彼は宝飾店に足を向けた。
 
 もっと華やかなデザインがいいだろうか。それとも、シンプルでも石に力があるものか。
 ショーケースに凭れ、ガラスの向こうに並ぶピアスやネックレスを眺める。そしてそこにあるものが、彼女の首すじや胸元を彩るさまを思い描いた。
 つくづく、女のアクセサリーとは不思議なものだと思う。こんなにも華奢で、こんなにも小さな留め金で。こんなにも存在感があるものなのに、女の肌に触れた途端、脇役に回ってしまう。
 同時に、おや、と思う。彼女は普段どんなものを身につけていた? 必死に考えて、ようやく思い出せたのは、黒っぽくくすんだ銀色の鎖だけだった。あまりにも馴染みがありすぎて、見えているのに普段は意識の外に行ってしまっている、あれは――……。
 彼はその場に頭を抱えてうずくまりたくなった。
 あれはアクセサリーなどではない。
 彼女を彩るどころかきっと逆の効果しかなくて、どんな場面にも服装にもそぐわないに違いない。だけどレベッカのことだ、それがもたらす危険もなにもかも承知の上で、それでも身に着け、外そうとはしないのだろう。
 その正体は、かつて彼のものだったドッグタグ(認識票)だ。一枚は《証拠品》として軍に提出した、と聞いた。その片割れをあの日から大切に持ち続けてくれていることを、喜ぶべきかどうか。いまだ彼は決めかねていた。
 ただ、今のところそれは彼女にとってのラッキーアイテムであるらしい。だからそれを捨てろ、とか、外せ、と言うのは無理な話だし、元持ち主だとはいえその処遇について意見はできない。
 思えば、レベッカになにかをあげたことなどないような気がする。ビリー自身は彼女からなにもかもを、全てを――命や人生といったものが含まれる、今現在の《全て》だ――貰ったというのに。そもそもあのドッグタグは、プレゼントには分類されないだろう。実際、ビリーが渡したのではなく、彼女は持ち去っただけなのだ。
 いい機会なのかもしれない。
 だからビリーは必死に考えていた。
 自分用にと買っても不自然ではないもの。
 しかし、あまり買いそうにないもの。
 欲を言えば、彼女にはなにがしかの《予約》があるのだとさり気なく主張できそうなもの。
 そんなに都合のよいものがあるのか。結局自分では見当も付かず、内心呆れながらも、センスの良さそうな女性の店員に相談してみた。彼女は少し考えた後、店の一角へ彼を案内した。彼の意に沿うなにかがあるのだろうか。

   * * *

「これを」
 その日の晩、ビリーはレベッカの前にちいさな白い箱を置いた。円筒形の布張りで、直径が二インチに少し欠ける。まんなか辺りで上下に割れるようだ。
 レベッカはそれに見覚えがあった。今身に着けているピアスも色こそ違えど似たような小箱に入っていた。だから、その中身がなんらかのアクセサリーだ、ということは察しが付いた。でも一体なんなのだろう?
「なあに?」
 包み込むように両手でそれを持ちビリーを見やると、いつもの少しシニカルな笑みを口元に刷いて「やるよ」と言った。それ以上の答えは期待できそうになかったので、レベッカは小箱を開けた。
 小箱の中に鎮座しているのは、蔦を模したデザインの、銀色の指輪だった。
 レベッカの心臓は驚きのあまり一瞬止まりそうになった。いいや、本当に止まったのかもしれない。声も出せず、目を見開く。深呼吸をして早鐘を打ち始めた心臓を落ち着けようとしたが、うまくいかなかった。
 動きの止まったレベッカから、ビリーは小箱を取り上げる。中に鎮座していた指輪をつまみ上げるとレベッカの左手をとり、正しい場所にそれを収めた。
「いまは、ここが精一杯だ」
 指輪と彼女の指にそっと口づけてからその手を解放する。レベッカはまじまじとそれを見てからその手をライトにかざし、うっとりとした眼差しで微笑んだ。視線の先には自身の小指と、そこに収まる可愛らしい指輪がある。
「気に入ったか?」
「もちろん! ビリー、ありがとう」
 同時に彼女は心の中で別の人にも礼を言う。それは、ピアスをくれた人。その人にビリーのことはおろか、気になる人がいるかどうかすら話したことはない。なのに、その人がなぜ《彼》のことを知っているのか見当もつかないが、あの時のやり取りを鑑みるに、彼の素性までをも正確に把握しているようだった。
 そうして、ピアスとともにもらった助言に従った結果がこれだ。
 きっと素敵なものをくれるだろう。あの人はそう言った。当初はそれがなんなのか分からなかった。ただ、それがなんであれ、このピアス以上に高価な物は望めないと思っていた。
 たしかにピアスほど高価ではないだろうけれど。
 もっとずっと素敵なものだ。
「このピアス。くれたのがどんな人なのか知りたい?」
「……どうでもいい」
 もちろん知りたい。しかしその反対の気持ちも同じくらい強くて、結局口から出るのは曖昧な言葉だけだ。
「うそ! 知りたくてたまらないって顔してる」
 レベッカはふにゃりと笑む。
「本当にステキな人なの。尊敬してるし、とても好き。でもビリーが考えているような人じゃないから安心してね」
 心の内を見透かしたかのような彼女の言葉に、ビリーは渋い表情(かお)をする。
 今の言葉のどこに安心できる要素があるというのか。たとえ相手が既婚者であったとしても、どうなるか分からないのが男女の仲というものだ。そもそも《死人》を相手にこんな危険を冒す女だ。そのくらいのことは障害ですらないかもしれない。
 彼女はふたたびとろけるような笑顔を浮かべ、伸び上がるとふわりと羽毛が掠めるようなキスをした。
「こんなことしたい相手なんて、ビリーだけなんだから」

 ビリーがピアスについての真実を知るのは、もう間もなくである。


- Fin -





アトガキ

 このあとレベッカはビリーに思うさまお仕置きされればいいと思います。男の純情を弄んだ報いを受けるがいい……て(笑) まー、それを言うならビリーだってレベッカを信じ切れてなかったわけですからね! おあいこ、というものです。

 実はこれ、ひとさまの作品に触発されて滾る妄想を抑えきれずに書きました。なので、これ単体ではどうしようもない感がモリモリします。
 元ネタは『 Sand Crown 』のゆのみさんが、御自身のサイト一周年記念に書かれた短編連作『 Jewels 』の、「 Pearl 」(とそのエピローグ)です。いやもうジルさん美人だしレベッカはキュートだしでホント大好き!
 そんなこんなで過日お会いした時、「実はネタ借りちゃったよテヘペロ☆ あ、おじょーちゃんの方ね」(意訳)とお伝えしたら、「え、そっちすかw」(意訳)とツッコミ貰ったのはいい思い出です。そーだよなぁ、コイツなら(略)って思うよねぇきっと。自分でもそう思うもん。
 んで、普段クールな人が慌てふためく姿が見たい、が発端だったのに、なにがどうしてこうなった orz
 なんか本当にごめんなさい。自分の文じゃ全然萌えねぇです。あれこれ書きすぎるんでしょうか。妄想している間にナニカが抜けてしまうのでしょうか。ひとさまのを読んでる時は顔の筋肉ゆるみっぱなしなんですけども。自分の読んでると「ああ、うん。そうね。あ、ここ変だな……」てなるのはデフォですか。もうイヤ……(TT)
 つーかネタ浮かんでから何年も放置した後に形にするとこんなにも歪むのはどうしてなんだろな……(放置するからだろ)