Lupo
2012.12.26.
9月も下旬に差し掛かろうとするこの日、《狼の母》と呼ばれる女は簡素なメッセージを受け取った。曰く、チームを集めろ。そのただ一言で彼女の血は沸き立ちはじめる。
彼女とそのチームは、これまでにも数多のミッションをこなしてきた。しかし今回はデルタチーム――ルポが指揮する《ウルフパック》はごく最近《アルファベット付のチーム》に格上げされた――として向かう、最初のミッションだ。最初とはいつでも特別なものだ。
それが、どのような任務であろうとも。
Beltway
2012.12.26.
「今度のミッションは、《死神》のサポートなんだってな」
義足を履いた大男《ベルトウェイ》が任務に携行する装備品――工兵である、ということを勘案しても爆薬とそれに類する物があからさまに多すぎる――をバックパックに詰めながら、誰とはなしに言った。
室内には他にも人がいるのだが、彼が発した言葉は誰にも受け取られず、しばし中空に漂う。五秒あまりがすぎたところでようやく、受取手が見つかった。それはいささか健康を害しているのではないかと思わせるほど青白い肌をした、陰湿な眼差しの男《スペクター》だった。
「らしいな」
特に会話がしたかったわけではない。しかし誰も相手にせずに放置しておくと、あの男は人の気を惹くためだけに尋常ではない騒ぎを引き起こしかねない。たとえば建物を一つ爆破する、といったような。その被害の矛先が物品だけに向いていればいいが、それはしばしば人にも被害を及ぼす。ベルトウェイ本人に言わせれば、それはちょっとしたイタズラの類らしいのだが、周囲の者にとってはそれどころではない。
「ウワサは聞くけど、実際に会ったことねぇんだ。どんなヤツなんだろうな。楽しみだよなぁ」
満面の笑顔でベルトウェイは言う。子供のように無邪気で屈託のない笑顔だ。この男なら、表情と言葉を額面通りに受け取っていいだろう。この部隊の誰よりも裏表の少ない人間であり、《分かり易い》性格だ。だが、この大男は同じ表情で爆薬を仕掛け、破壊と死をまき散らす。戦場にあっては頼もしいのだろうが、それ以外の場所では爆破マニアなど危険で迷惑な存在でしかない。実際、彼が片足を失ったのは事故でもなんでもなく、本人が語るところによれば「原因は溢れんばかりのユーモアとサービス精神、結果がコレ」ということだ。
しかしそれだけの代償を払っても、彼の爆破に対する愛と情熱を失わせるには至らなかったらしい。いまだ大いなる喜びをもって彼は工兵であり続けている。
チームを組んで以降、スペクターが彼を観察し、得た結論は至極単純なものだった。
馬鹿は死ななきゃなおらない。
それに尽きる。
Vector
2013.02.10.
「そこにいる《弟子》に聞いてみたらどうだ」
スペクターは頭を傾け、部屋の隅にいるアジア系の男を指した。随分と若そうだが、アジア系は男女問わず年齢の割りには若く見えるから、見た目の印象に5から10歳ほど足したくらいが実年齢と見ていいだろう。
彼の名は《ベクター》といった。顔つきや発音、仕草などから、おそらく日本人だろうと見当を付けている。本名がわかれば断定できるのだが、スペクターの技量を持ってしても生憎なにも洗い出せなかった。
それはベクターを鍛え育てたという《死神》ハンクについても同様だ。彼らに関する一切合切の情報が、分厚いベールに包まれ、さらに強固な壁に阻まれ近付くこともできない。隠されれば隠されるほど、知りたくなるというのが人間の性というものだ。いつか暴いてやる、スペクターはそう考えていた。
「なるほど、そりゃ良い考えだ」
ベルトウェイは心底感心した表情で同意すると、身体ごとベクターの方を向く。一方のベクターは眉を顰め、会話に巻き込まれた不快感を隠そうともしなかった。ましてやその内容は彼が師と仰ぐ人物に関してだ。浪費されるくだらないスキャンダルやゴシップのように話のネタにされるのは不愉快なのだろう。
「で、死神ってのはどんなヤツよ?」
好奇心に満ちたベルトウェイの眼差しはあまりにも純粋だ。しかしそれに答えるベクターは辛辣だった。
「百聞は一見にしかず」
「……なんだそりゃ」
「噂なんてあてにならない。おれが耳にしたのは、どれもこれもガセばかりだった。そこに欠片でも真実があればマシなほうだ」
それに、と言葉を置いてからベクターは続ける。
「マスターは《死神》なんかじゃない」
「でもよ、一人で帰還したのは一度や二度じゃねぇって話じゃねぇか」
「まるで彼が殺したかのような言い方はやめてくれ。一緒に出動した奴らが弱かった、それだけのことだ」
――ほう。一人で帰還、は否定しないのか。
スペクターは興味も関心もない、といった表情だったが、しっかりと聞き耳を立てていた。なにしろこれまで聞いてきた風評などとは違う、間近にいた人間の言葉だ。多少のフィルターは掛かっているだろうが、それでもこれまでよりは遙かに歪みのない情報だろう。火のない所に煙は立たない。少なくとも最も有名な噂の裏付けはとれたわけだ。
「その目で確かめるんだな。それが一番いい」
そう言って死神の弟子は一方的に会話を打ち切ってしまった。
ふいと横を向いたベクターを見ながら、ベルトウェイは口をへの字に曲げてぼやいた。
「……会ったことねぇから聞いてンだろ」
Four Eyes
2013.07.01.
「なあに、なんの話だい?」
金髪の女がロッカールームに入ってきた。長い髪は後ろでまとめてあり、彼らの戦闘服と同じ闇色をしたポーチと、湯気の立つ紙コップを手にしている。ポーチには本体の生地よりはやや光沢のある素材で、太い十字が縫い付けられていた。中には彼女の最大の仕事道具である、医薬品が詰まっている。衛生兵の《バーサ》だ。
彼女の言葉は、その発音にあるドイツ訛りのせいで少々荒く響く。
ベルトウェイが爆破に執着するならば、バーサが執着するのはなんなのだろう。そう思い、スペクターは彼女を調べ、観察したことがある。
ここに来る以前は、普通に看護師をしていたらしい。ただ、病的なまでに抱くその執着のせいで、受け持った患者に対し人体実験にも近い行為をしていたという。それを知ったとき、その患者たちに対し同情を禁じ得なかったものだ。
その対象とはつまり、痛み。
どの部位にどの程度の力を加えるとどのような痛みがあるのか、彼女は知り尽くしているようだ。とはいえバーサは他人に痛みを与えそれに悦びを感じるような、サディストではない。おそらく純粋な興味や好奇心ゆえの執着なのだ。
看護師としての腕は、間違いなく良い。痛みを軽減する方法もよく知っている。戦いの中にあってそれはとても重要なことだ。
「次の任務の話さ。なぁおまえらはどうよ?」
「だから、なにが」
「うわさの《死神》とご対面、だぜ?」
「興味ない」
バーサが答えるより先に、別の声がした。バーサの影に隠れるように立っていた女が、氷のように冷たい眼差しでベルトウェイを見た。黒髪で、バーサよりは小柄で華奢、平坦な顔立ちをしている。分厚い本を抱えていた。
「お前が普通の男に興味がねぇって事くらい知ってらぁ」
けたけたと笑いながらベルトウェイは答える。普通かどうか、という基準で考えたら、死神は明らかに普通ではない部類に入りそうなものだが、彼女の基準でみれば死神でさえも普通の男にすぎなかった。
小柄な女の名は《フォーアイズ》。日系人で、BC兵。他のどんなことよりもウィルスに心を奪われている。フォーアイズという奇妙な名はその辺りに由来するのだろう。人の生き死に関心はなく、《研究》と称して何人かにウィルスを投与したらしい、と噂がまことしやかに囁かれた。
こいつも相当イカレてる、とスペクターは思う。
しかし必要なのは彼女ではなく、彼女の持つ能力だ。どんな異常者であろうが、彼らが赴く先で求められる役割をきちんとこなしているぶんには、なんの問題もないのだ。爆弾魔しかり、黒い看護師しかり、ウィルスマニアしかり。もちろんスペクターもしかりだ。
「でもこっちには興味あるだろ? 行き先、どっかの研究施設らしいぜ」
「研究施設……」
部屋の奥へと向かっていたフォーアイズの足がぴたりと止まり、暗い瞳が一瞬輝いた。確かに研究施設は彼女が好きそうであり、一番親和性が高そうな場所だ。
「それなりの準備をしないと、かな」
上手くすれば、なにがしかの戦利品があるかもしれない。きっとそんな風に考えているのだろう。くるりと踵を返して歩き去ってしまった。
Bertha
2013.07.16.
「あたしは興味あるよ」
フォーアイズの背を見送ると、バーサは自分のロッカー近くにある奥のベンチに向かい、腰を下ろした。
「だろだろ? ベクターがもったいぶって教えてくれねぇんだよ」
「ふん、減るもんじゃあるまいし。ケチな子だねぇ」
二人が足並みを揃えてベクターを非難し始める。その口ぶりが子供の悪口そのままで、鬱陶しいことこの上ない。
ベクターが苛立ちを堪えきれない表情で顔を上げると、吐き捨てるように言った。
「これだけは教えてやる。お前らに興味持たれたって、マスターは嬉しくもなんともないだろうよ。どうせろくなもんじゃないだろう、お前らの興味なんて」
その推測についてはスペクターも同感だった。爆弾魔と黒い看護師が抱く興味など、およそまともなものとは思えない。特に怪しいのは、バーサだろう。
「そんなことないぞ」
「言ってくれるわね」
二人揃って心外だ、といういかにもなポーズをとった。しかしそれが本気ではないことは場にいる全員が承知していた。本気でそう思っているなら、口よりも先に身体が動くような連中なのだ。呑気に座っておしゃべりをする雰囲気ではなくなるだろう。
ずっと傍観していたスペクターが口を開いた。
「しかしお前が爆破以外のことを楽しみにするなんて、珍しいな。……まさかとは思うが、死神になにか仕掛けようってのか?」
「オレだってそこまで馬鹿じゃねえ。ケンカする相手は選ぶぜ」
からからと笑い、それから一転ひどく神妙な眼差しになるとベルトウェイは言った。
「大体な、オレは殺しを楽しんだことは一度もねえ。オレのユーモア(爆弾)で誰かが死んだとすれば、そりゃ《不幸な事故》ってヤツだ。これでも人命は尊重してんだよ」
これほど信憑性も説得力もない言葉も珍しい。スペクターは片眉をわずかに上げただけだった。それに気付いたかどうか、ベルトウェイは「なぁ、バーサ」と衛生兵に話の水を向ける。メディパックの中をチェックしていたバーサは視線をあげ、ベルトウェイを軽く睨んだ。
「それをあたしに聞くわけ?」
死神の弟子に対してならまだしも、確かに衛生兵に言うのは間違っている。
「人って結構あっけなく死ぬもんだからね。人命なんて尊重しすぎるくらいで丁度いいのさ」
世間一般からしても衛生兵としても、正しいことを言っている。なのに、バーサの言葉は薄ら寒く響いた。しかもひどく場違いで虚ろでさえある。今の言葉が誰の心にも――言った当人にすら――届かなかったのは明白だった。
本当に人命を尊重しているのならば、ここには来ない。闇に蠢き、文字通り血で血を洗うような世界の住人になどなりはしないのだ。
「あら、モルヒネが切れてる……ま、必要ないか」
その言葉に一番反応したのは、スペクターだった。チーム内でもっとも痛みに耐性がないのはフォーアイズだが、その次に弱いのはスペクターなのだ。
「待て待て待て、万一に備えるのがお前の仕事だろう。そんなことで満足な仕事ができるとでも思っているのか」
「なに言ってんの、モルヒネが必要なほどだったらまず助からないよ。その時はちゃんと選ばせてあげるから心配しなさんな」
一体なにを選ばせてくれるというのか。スペクターの額に嫌な汗が噴き出してくる。おおかた、苦痛が長引かないよう止めを差すか、命が尽きるまで痛みに悶えるかの二択だろう。
「ま、そうは言っても道具は完璧にしておかないとね」
元々青白い顔がさらに青くなったスペクターを見てバーサはにんまりと笑った。医務室で補充してくる、と言い、メディパックを持って部屋を出て行った。
その背を見送りスペクターは内心溜息を吐く。
毎度の事ながら、ここにはもっとまともな衛生兵はいないのだろうか、と考えずにはいられなかった。
- Fin -