2013.06.25.
24時間、いつでも必ず誰かがいるオフィスではあるけれど、日中と夜間ではやはり人数は格段に違う。日が暮れ夜が更けるにつれ、勤務している人数は減っていく。
人気(ひとけ)の少なくなったオフィス区画で、私は椅子に座ったまま両腕を突き上げ、後ろに反らして背筋を伸ばした。低いパーティションで仕切られた半個室のような自分のスペースから天井を見上げると、半分ほどの照明が消えていた。
時計を見ると、もう22時近い。思いのほか書類仕事に没頭していたようだ。おかげで随分片付いたが、さすがに限界はある。今日はもう十分に働いた。明日に備え、心身共にエネルギーと休息をとる頃合いだろう。
机上を整え、パソコンの電源を落とす。バッグをとって立ち上がるといくつか明るいところがあった。そのうちのひとつはSTARS時代からの同僚、レベッカ・チェンバースのスペースだ。
担当する分野が私とは少し違うものの、彼女の仕事量もやはり膨大だ。圧倒的に人手が足りないせいもあるけれど、それなりに――《オリジナルイレブン》の一人であるがゆえか――重要なポジションにいるから、しばしば重い仕事も回っていくだろう。それでも愚痴ひとつ零さず誠実に向き合うその姿は、とても健気だった。
そうは言っても、休息は必要だ。彼女も多分朝からここに居るのだろうし、そうだとしたら、いいやそうでなくてもオーバーワーク気味なのだ。倒れる前に休ませなくては。
「レベッカ――」
近付いてパーティション越しにのぞき込むと、彼女は机に伏せて静かな寝息を立てていた。その右手の中に、細い鎖に通された一枚の薄い金属プレート。それがなんなのかはすぐに分かった。兵士たちが身に着けている認識票に違いない。
好奇心が疼いた。誰のものだろう?
少なくとも、レベッカ本人のものではないだろう。その昔上官を殴り飛ばしたことがある、という相棒ならいざ知らず、レベッカが軍籍にあったという話は聞いたことがない。そもそも、飛び級で大学を卒業してすぐにSTARSに入隊したのだし、初出動であの事件に遭遇だ。以来ずっと一緒に活動している。戦術や銃器の訓練で一時入隊ならしたかもしれないけど、正式に軍人となったことはないはずだ。
私はプレートに刻まれた文字をよく見ようと、そっと動いた。そうして読み取れたのは、やはりというべきか、男の名だった。それにチェンバース姓ではなかったから、レベッカの親兄弟ではなさそうだ。
可能性があるのは、遠縁だが親しかった誰か、兄妹同然に育った誰か。あるいは恋人か。誰であるにせよ、レベッカにとって大切な人なのだろう。しかし見たところプレートは一枚きりのようだから、もしかしたらその人はもういないのかもしれない。
ビリー・コーエン。
どんな男だったのだろう。
いつか聞いてみようか。
詮索を中断し、私はレベッカに近付いた当初の目的を果たすことにする。
「レベッカ、風邪ひくわよ」
そっと肩を揺すり、眠りの淵から引き戻す。いくら若いからといっても、うたた寝は良くない。それに女性なのだから、いくら職場とはいえこんなにも無防備な姿は晒さない方が安全だ。
「んん……ジル?」
レベッカのまぶたが引き上げられ、焦点の合わない視線が動く。
「その様子じゃ、いい仕事はできないわよ。今日はもう帰りなさい」
眠たい声の返事を背中で聞いて、私はオフィス区画をあとにした。薄暗い駐車場へと向かいながら再び考えていた。
ビリー・コーエン。
その名を、どこかで見たような気がする。
最近? いいえ。少なくとも数年前。
テレビや新聞? いいえ。報道ではなかった。
あれは確か、レベッカが持ってきた書類の中にあったはず。そう、提出する報告書になにかおかしなところがないかチェックして欲しい。そう言って持ってきたのだった。なぜ彼女はチェックの依頼を? それは外部に渡すものだったからだ。
妙だな、と思った記憶がある。軍宛に、死亡報告書だなんて。
それは多くの仲間を失った最初の事件の直後で、ゾンビやBOWのことなんてまだ誰も信じてくれなかった頃だ。だから不本意ではあるがゾンビがどうの、というのはぼかしたらどうだろう、と言ったものだ。
その後レベッカがその報告書をどうしたのかは知らない。当時は事件直後の混乱のさなかで自分のことで精一杯、彼女を気遣う余裕がなかった。見ず知らずの犯罪者、ましてや死んだ男のことなど尚更どうでも良かった。
なぜレベッカはそんな報告書を書いていたのだろう。
考えて、ひとつの可能性に思い至り、溜息を吐いた。
それは多くの可能性のひとつでしかないが、一番もっともらしいと思えた。いうなれば、女の勘。
あの日彼女が生き残れたのは、人の助けがあったからだと聞いた。それは単純にエンリコ・マリーニを始めとする、ブラヴォーチームの面々のことだと思っていた。だが、そうではなく私の知らない第三者――ビリー・コーエン――のことだったのだとしたら。
極限状態の中、見ず知らずの人と行動と生死を共にしていれば、たとえ相手が犯罪者だろうが情は湧く。恋にだって、落ちるかもしれない。
全くない話、とは言えない。それどころか自分自身に覚えのあることだから、十二分にあり得る話だ。
レベッカの気を惹こうとする男は多いのに、成功した、という話は聞かない。そしていまだ浮いた話がひとつもない理由も、あんなものを身に着けている理由も、それで説明ができる。
きっとレベッカは、《死んだ男》を想い続けている。
地下駐車場に到着して、私は再び溜息を吐いた。
だから――そうなのだろう。
本当は、ビリー・コーエンという男は死んでいないのだ。その男を解放するために、レベッカは嘘の報告をしたに違いない。犯罪者だという事実を差し引いても、それだけの借りか魅力か、もしくは両方があったのだ。
可能性があるから、諦めきれない。
ああ、なんて不毛なんだろう。
会いたいと願っても、死んでいる男を――ましてや自ら《殺した》男を――おおやけに捜すことなどできないし、こっそり捜すことも難しい。相手が同じように願い、動いてくれるよう祈るしかないなんて……。
うっかり知ってしまった同僚の秘密。
このことは、胸にしまって知らないふりをしよう。
それにゾンビなんて、いつもなら「二度と動くな」と思うけど。
今ばかりは「早く動きだせ」と願ってしまった。
- Fin -