2012.11.11.
とある公園の縁にあるカフェの片隅で、小さなコーヒーテーブル越しに連れの男をじっと見つめた末に、ジル・バレンタインはふと笑みを漏らした。会話の途中でこぼれるものとは違う笑みに、どうかしたか、と男は問う。
「なんでもないの。ただ急に思い出しちゃって」
「なにを」
「ずうーっと昔に、友だちに言われたこと」
生まれてから精々三十年ほどなのだから、《昔》と言ったところでたかが知れている。しかし彼女がそういうのならば、おそらく《あの夏》以前のことだろう。カルロス・オリヴェイラはそう見当をつけて、続きを待つ。
「人生も世界も今よりずっと単純で神聖だった、ハイスクールに通ってた頃にね、占い好きな友達がいてね。みんなで色んなことを沢山占ってもらってたの」
カップの中に残る液体を揺らして、彼女は弾けるようなきらめきに満ちた少女時代に思いを馳せる。将来は占い師になると言っていた彼女だが、本当になったのだろうか。
「意外だな、そういうの好きだったなんて」
ジルは少女のようにくすくすと笑う。
「私だって普通に女の子だったのよ。それに今だって嫌いじゃないわ」
「その占いって当たってたのか?」
「まさか。当たるよりも外れるほうがずっと多かったし、そもそもみんな噂話と同じようにその子が言うことを楽しんでいただけだったから。沢山ある《今日のホットニュース》のひとつよ」
理解できない、というように彼は頭を振る。実際、この国で生まれ育ったわけではなく、またそういう世界を垣間見たこともないので、その年頃の少年少女がどういうものなのか彼には全く想像が及ばない。
「それに、全然信じてなかったから、かな。ずっと忘れてたの、でも当たってたのね。彼女、こう言ったのよ」
カップを置いて、視線と気持ちを現在に戻す。そうして、真っ直ぐに琥珀色をした男の瞳を見て、言った。
「将来出会う《特別な人》のイニシャルは“C”だって」
「……あいつだってCじゃないか」
カルロスは不満を口にする。その目に浮かぶのは、紛れもなく嫉妬。
「そうね、クリスも《特別な人》には違いないわ。確かに彼とは特別な絆がある。――でも、分かってるでしょ? そういう意味じゃないことくらい」
「分からないよ。ハッキリ言ってくれ」
絶対に分かっている。ジルはそう知っている。もちろん言った本人も分かっている。だが彼の胸には常に嫉妬と不安があった。ジルがクリスに向ける視線は他者へのものとは違う、明らかに《特別》なものだったから。
だからいつでも、彼女の確かな言葉が欲しい。
「喜びも悲しみも、苦しさも楽しさも、人生の全てを分かち合いたいと思う人。なにがあってもかえりたい、抱きしめてキスをして欲しい――そういう《特別》よ」
それをもっと簡潔かつ適切に言い表す言葉がある。これが違う相手だったら、彼女も躊躇わずにそちらを使っただろう。しかしこの男には、そう軽々しく口にしていいものかといつも迷う。迷って、言葉を尽くすほうを選ぶ。
「カルロス」
歌うように、愛を告白するように、ジルは男の名を唇に乗せる。そうして見惚れるほどに柔らかな笑みで、彼女はなんとも意地の悪いことを言った。
「あなたにそういう人はいる?」
問われて思わずカルロスは顔をしかめた。答えなんて知ってるくせに、彼の人生においてもっとも気高く美しい女は、いつでもこうやって彼を試そうとする。
「もちろん、いるよ」
試す必要などない。それはジルにしても分かってはいることだが、それでも問わずにはいられない。
だって、こうしなければこの男から望む言葉を引き出せない。こうしなければ、愛をささやくことも本心を晒すこともしない男の気持ちなど、知りようがない。だから何度でも問うのだ。子供のように。わがままな小娘のように。
きっと今回も得られるだろう。彼女が望んだ通りの、完璧な答えを。
「今俺の目の前にいる。ジル・バレンタイン、きみがそうだ」
ごく真面目な表情でカルロスは言った。
これでジルが照れたり恥ずかしがったりしてくれたら、と期待する。だがそれはいつだって裏切られる。今度もまた彼女は生徒を褒める教師のような笑顔でこう言ったのだ。
「良くできました」
- Fin -