2008.03.17.
2003年2月
真夜中に電話が鳴ったり、ドアを叩かれたりするのは珍しいことではない。むしろ、就いている職業――私設の対バイオハザード部隊に所属することをそうと呼べるならば、の話だが――を考えれば、それは当然で避けられないことであり、むしろ日常茶飯事だとさえ言えるだろう。
それでも、その夜ドアを叩いたのが意外な人物だったというのは間違いないだろう。通常その人物は“叩かれる側”であって、決して“叩く側”になることなどないからだ。
数日後に予定されている作戦に参加すべく二人の隊員がロシアに発つ、前夜。その人物はロシアに行く二人のうち片方の部屋のドアを叩いた。他の人間に知られたくないという思いから、あまり気楽に、強く叩くことは出来なかった。だから、ごく控えめに。気付いてもらえなければ明朝に出直すつもりだった。しかしそれも杞憂に終わりそうだ。室内(なか)で人が動く気配がする。
ノックに応じてドアが開く。
顔をのぞかせたのは、軍人のように髪を短く刈った精悍な顔立ちの男――クリス・レッドフィールド――だった。元はS.T.A.R.S.の隊員で、その前はアメリカ空軍にいたという。そのクリスの前に、黒髪の、陽気でありながらもひどく鋭い目をした青年、カルロス・オリヴェイラが立っていた。
クリスにとって、この青年は元敵(アンブレラ)側の人間だ。しかし共通する思いがあること、そして四年という年月を共にすることによって、現在では信頼の置ける盟友――戦友、と言っても良いかもしれない――となっている。付け加えるならば、弟のような存在だと思ってもいた。だが、もしそんな風に思われていると知れば、カルロスはとてつもなくいやそうな表情(カオ)をするのだろう。
その男が、ふてくされたような表情でそこに居た。
「……よう」
表情に似つかわしい、挨拶とも言えないようなぶっきらぼうな挨拶。それを見、クリスは漏れそうになる苦笑を押し隠し、首をかしげて相対する。出会った頃の二人は、どちらも感情を偽ったり隠したりするのが苦手だった。当時よりは随分上手くなったとはいえ、相も変わらず苦手なことに変わりはないらしい。
「――どうした」
「ちょっと、いいか」
ちらと室内を見、尋ねる。クリスは微かに頭を動かし、青年を部屋に迎え入れた。
「ビールでいいか?」
返事を待たずに冷蔵庫から冷えた瓶を二本取り出したクリスは、片方をドアに近い場所に座るカルロスに渡すと、そのはす向かいに腰を下ろした。それを視界の端で捉えながらも、カルロスはそちらに視線を向けることなく、うつむいたままぼそぼそとした声で用件を切り出した。
「今度の作戦のことだけど」
クリスはそれを聞いて反射的に顔をしかめた。カルロスが言う“今度の作戦”とはつまり、クリスと、彼の背中を守るパートナーとしてジル・バレンタインが参加することになっているロシアの作戦のことだ。それについてはそうと決定された次の瞬間からうんざりするほど抗議されて議論して、不承不承ながらも承諾されていた……はずだ。なのにこのラテン男は、出発を数時間後に控えた今また同じことを繰り返そうとでもいうのだろうか。
「――それに関しては、納得してくれたと思ってたが」
「早まンな、そうじゃねえよ。命令だから従うさ」
手を振ってクリスの言葉を遮り、カルロスはその懸念を消し去った。クリスのこわばった表情はそのまま困惑へと変わる。――ならば彼は何をしに来たのか?
クリスが浮かべた表情から疑問を読み取り、それに答えるべくカルロスは渋々ながら口を開く。
「あのさ」
「なんだ」
再度口を閉ざし、唇をきつく引き結ぶ。本当は言いたくないことなのだ、というのが表情からわかる。手にしていたビールをぐいと煽り、それと同じ勢いでビール混じりの呼気と共に言葉を吐き出した。
「――ジルを頼むよ、クリス。あんたにしか頼めない」
深呼吸をするように溜め息を吐き、弱々しい笑みを浮かべた。対してクリスは困ったような、それでいて意地の悪い笑顔を作ると肩を竦めてみせた。しかし存外に眼差しは優しいものであるのだが、部屋に入って以降カルロスは一度としてクリスを見ようとしないのでそれには気付かない。
「意外だな。お前はオレが嫌いなんだと、ずっと思ってたんだが」
「……好きか嫌いかで言ったら、もちろんあんたなんか大嫌いだ」
嫌い、というのは正しくない。背中を預ける相手として指名しあうくらいには互いに信頼しているし、好感を持ってもいる。ただし、ある一点に於いてカルロスはクリスを一方的に敵視してもいた。
それは、ジル・バレンタイン――クリスと共にロシアへ行く女性――に関してのことだ。
カルロスが彼女に好意を持っていることは、同僚たちの誰もが知る事実だ。彼女にしてもまんざらではないようで、時々二人で行動する姿を見かける者もいる。ただし、二人が親しい同僚以上の関係になっているのかどうかは、誰も知らない。
ジルとのつきあいの長さで言えば、カルロスよりもクリスの方が期間は長い。灰燼に帰したラクーンシティでの一連の惨劇が起こる以前から、二人は同僚だった。一度ならず二人の仲を噂されたこともあり、その通りになってもいいかと考えた時期もある。ただし、あの最初の惨劇以降、互いを異性と意識することはなくなってしまったので、今後二人の関係が友人以上に発展することはないだろう。
ただし、そうと理解しているのは当人たちだけであって、二人があまりにも親しすぎるがゆえに、はたから見ればいかにも怪しい、誤解されても文句の言えないような場面にはいくらでも遭遇する。
自分のものでもない人に対する独占欲、そして嫉妬。実際に目撃したり、噂を耳にしたりするたびにそういった感情がカルロスの胸の奥深いところで燠火のように燻る。
相手がクリスでさえなければ、そんな感情を抱くこともないのかもしれない。あるいは、ジルが誰を見ているのか分かれば思い悩まずとも良くなるのだろうか。
燻る燠火を嚥下してカルロスは言う。
「でも、あんたは強いだろ? それを認めないほど俺だって馬鹿じゃないよ」
「それは光栄だな」
この話はどこに落ち着くのだろう? クリスの瞳に成り行きを面白がるような光が浮かぶ。アルコールの影響なのか、その気持ちがそのまま声に乗って表に出てしまい、続く言葉がつい茶化すような声音になってしまう。
「ジルだって強いじゃないか」
「分かってる。彼女は誰の助けも要らないくらい強いさ。でも、不死身のヒーローじゃない」
「……オレだって違うぞ」
不満そうにクリスはぼそりと漏らす。それを取り合わずに聞き流すと、ようやくカルロスは視線を上げて真っ直ぐにクリスを見た。
「知ってるんだろうけど、結構無茶する人だから気を付けてやって。……今回それ、俺出来ないから。あんたに頼むしかないんだよ」
――随分と可愛いことをやるじゃないか?
仕方がないとはいえ、恋敵と目されているような男に好きな女を託すなどおいそれと出来るものではない。ここに至るまでにどれほどの葛藤があったのか。それを思いクリスの片頬に笑みが浮かぶ。だが、クリスの考えなど知る由もなく、笑みを見咎めたカルロスがそれを非難するように声を荒げた。
「何がおかしい」
「いやいや、なんでもない。ただ、お前は本当にジルに惚れてるんだなと思っただけさ」
こう言えば、多分の例に漏れず、きっと惚気話をするときのようなはにかんだ笑みを見せるに違いない――しかしクリスの予想とは裏腹に、カルロスは思いがけず疲れたような表情を見せた。
「それもあるけど。……俺にとって、彼女は特別なひとだから」
言うと、溜め息にも似た息を吐き、年下の男は立ち上がる。
「明日早いんだったよな? 悪かったな、こんな時間に押し掛けちまって」
――いいってことさ。そう言ってクリスはドアに向かって歩き出した男に瓶を振ってこたえた。それから自身も立ち上がり、思い出したように相手の名を呼び振り向かせる。
「置き土産代わりに、いいことを教えてやろう」
見送るべく共に戸口へと近寄りながら、クリスは琥珀の視線を捉えて言う。
「ジルはお前を見てるよ」
数秒の間を置いてから、自嘲にも似た笑みを浮かべてカルロスは呟いた。
「……だと、いいんだけどな」
本当に、そうであれば良いと願う。もしそれが嘘であるならば相当残酷な部類に入るのだろうが、クリスはそこまでのことが出来る男ではない。それはカルロスにも分かっている。しかし彼にはその言葉を素直に受け入れ喜べるほどの自信がなかった。信じたいというのが本音ではあるが、そうするにはあまりにも多くの裏切りに接しすぎていた。
淡い笑みと共に、それじゃあ頼んだよともう一度念を押すように言い残すと、黒髪の青年は踵を返して歩き出す。うなだれ肩を丸めた背が遠ざかる。クリスは新たに課せられた任務の重さを推し量りながら、その場を動かず見送った。
青年の背が、闇に溶けて消えるまで。
- Fin -