2005.05.25.
何十マイルにも及ぶ封鎖線。
しかしそれが明確に存在するのはゲートが設置された主要な道路と、地図の上だけだ。嘘だと思うならその目で確かめてみるがいい。道路から外れ、右でも左でも好きな方へ“封鎖線”に沿って進むのだ。そこに何がある? フェンスや、緩く巻いたコイルの様な有刺鉄線や、黄色いテープ。その他そういった進入を制限するようなものが何か一つでも見つけられたか?
答えはノー、だろ?
半マイル置きに歩哨が立ってはいるが、それとて役に立っているとは言い難い。発砲許可付きの厳戒態勢で配置されたは良いものの、何も起きない日が三日も続けば――まぁ大抵はそんなことないと否定するだろうが――気が弛み、あちこちに大きな穴が開くものだ。封鎖線が森に掛かっている場所なんか、特にな。
抜け道なんていくらでもあるのさ。なんなら試してくれたって構わない。薄汚い街路でクスリを買うよりも簡単且つ安全に事が運ぶはずだ。だがもし越境する密入国者みたいなマネするのは嫌だけど、どうしてもこの内側に、あの都市に行きたいというならそう言ってくれ。オレたちゃ別に止めやしないよ。手を振って見送って、オマケに幸運まで祈ってやるぜ。
ただし、戻って来るときは注意してくれ。あっちから来る“怪しい”奴には、たとえそれが人間の姿をしてたって警告無しで撃っていいと言われてるんだ。だから万が一撃たれて風通しのいい身体になったとしても、恨んでくれるな。オレたちはただ、命令通りに仕事をしただけなんだから。
でも安心しろ。そうは言っても警告くらいはしてやる。オレたちだって無害な人間を撃ちたくなんてないんだ。ましてここは国内だ。殺人罪で刑務所送りなんて、ゴメンだからな。
COIN
1998.9.30. Raccoon City
16名からなる陸軍の小隊がベースキャンプを出発して前任の小隊から歩哨任務を引き継いだ時、辺りはまだ夜のとばりに覆われていた。それから間もなく東の空が白み始め、交代から二時間余りが過ぎた今、世界は完全に目覚めていた。
アークレイの山肌を被う森の端を含んだ荒れ地が二マイル。彼らが担当するこの区域だけでなく、この辺りは十数マイルにわたってこのような土地が広がっており、移ろいゆく空の雲と山の姿以外に見るべき物は何もない。
朝とは一日の始まりであり、最も清々しい時間帯のはず。しかし頭上を覆う重い雨雲と相変わらず要領を得ない情報のせいで、その清々しさも台無しになっている。小隊を率いるロバート・レイン少尉はこの荒れ地と朝日を浴びて配置につく部下たちを眺め渡し、そこにはっきりと漂う空気を読んで思わず呻いた。
――まったく、ボーイスカウトのピクニックかこれは?
緊急出動を命じられこの地域に部隊が展開し始めてから五日目の朝。レインと彼の小隊にとってこれが四度目の歩哨任務だ。この状況に慣れてしまったのか、それとも過去三度同様どうせ今回も何も起こらないし何も現れないとたかをくくっているのか。いずれにしても、交代が来る迄のあと十時間このまま何も起こらず過ぎたらいい、その考えにはレインも同意する。しかし、たとえそう思っていても表には出さず、あくまでも命令通りにきっちりと任務を遂行する、それが兵士というものではないだろうか? なんといっても彼らに下された命令は非の打ち所がないほど単純明確なのだ。すなわち、“警戒を怠るな。都市方面からやってくる不審なものは、全て撃ち殺せ”。だというのに、この状態はどうしたものか。
控えめに言っても部下たちの気は弛み過ぎている。常に引き金に指をかけいつでも発砲できる体勢でいろ、とは言わない。しかし両手をポケットに引っかけてライフルを背中に回しているのでは、どれほど贔屓目に見ても“警戒中”であるとは言い難い。
願わくば、ここらで一発何かが――出来れば無害な方がいい――起きないだろうか。それとも“訓練”と偽って、この手で発煙筒でも投げ込んでやろうか。
最初にそれを感じたのは、草の上に寝ころんでいた大柄で厳つい顔の隊員だった。その隊員、ジャック・クラウザー軍曹は雑談をやめ、感じ取った異変に意識を向けた。それまで話し相手になっていた兵士は急に黙り込んだクラウザーに非難がましい視線を投げ、全く別のことに相手の注意が向いているのを知ると肩を竦めて封鎖線の内側に目を向けた。この男は全く何も感じていないようだ。
クラウザーが感じていたのは揺れだった。揺れと言っても地震とは違う、もっと細かな振動だ。このような振動を経験するのは決して初めてではなく、絶対にどこかで以前経験しているという確信があった。目を細めて記憶の棚を探る。どこで、何だった?
不意に鮮明な感覚を伴って記憶が蘇る。鼻孔いっぱいに広がる土埃と炸薬の臭い、耳を聾し身体を突き抜けていく爆発音。それは訓練と呼ぶにはあまりにも生々しすぎる、大規模な戦闘訓練の記憶だった。
今感じるこの振動はその時のものと酷似している。となれば、そう遠くない場所が攻撃を受けているか、もしくはなんらかの事故で爆発が起きているに違いない。何が起きているにせよ、これは退屈な時間を打破する絶好のチャンスだ。クラウザーはそこで一旦考えるのを止め、その巨躯にはあまり似つかわしくない機敏さで跳ね起きた。
周囲を見回したがこのささやかな異変に気付いた者はまだクラウザー以外に居ないようだ。彼は心の中でほくそ笑む。
行動する時だ。そしてチャンスをモノにする。
何気なさを装いながら彼は無蓋のジープに近づいた。イグニッションにキーが差してあるのは分かっている。これを動かすためにあと必要なのは、適当な理由だけだ。さて小隊長のロブ・レインになんと言おうかと思案し始めたとき、退屈で穏やかな空気を叩き壊すかのような爆発音が轟いた。くぐもっていてそれほど大きな音ではなかったが、それでも何事かと注意を引くには十分な音量だった。
これを幸とするか不幸とするかは議論の余地があるが、ともあれ胡散臭い御託を並べる必要がなくなったのは確かだ。クラウザーは車に積んである無線機を掴むと、急いでレインを呼び出した。もはや一刻の猶予もない。ぐずぐずしていたら他の隊員(ヤツ)に持って行かれてしまう。
レインはすぐに応答した。今まさに指示を出そうとしていたか、もしくは単に無線機の近くに居ただけかは分からないが、いずれにしても女神は彼に向かって微笑んでいる。クラウザーはあまり熱心に聞こえないよう注意深く声のトーンを落として言った。
「少尉、今の音聞きましたか?」
『ああ、近かったな。丁度良い、今偵察を出そうと思ってた所なんだ。軍曹(サージ)、二、三人連れて様子を見て来てくれ』
渡りに船とはこういうことを言うのだろうか。彼は声を立てずに笑った。
『分かってるだろうが、何か見つけたらすぐに呼べ』
「了解」
そう言って交信を終えると、クラウザーはジープに飛び乗った。その頃にはもう大分周囲の――とは言え部隊は二マイルに渡って広く散開しているから、近くにいる人数などたかが知れている――視線を集めていたが、彼は気にせず車を発進させた。現場に向かう道すがら、隊員を二人拾い上げる。狙撃手のハロルドと医療担当のヴィンス。どちらも優秀な男で、気心の知れた友人だ。自分の能力と役目を十分に承知している。任務だろうが遊びだろうが、彼らと何かをやるのはとてもラクだった。だからこそクラウザーはこの二人を選んだのだ。どうせ一緒に何かをやるなら、勝手知ったる奴等がいい。
「おい、あれ……」
爆発音があってから十分あまりが過ぎただろうか。それまでたたきあっていた軽口を遮って、助手席に座っていたハロルドが左手の空を指さした。クラウザーとヴィンスはそちらに視線を向ける。彼らはそこに灰色にくすんだ空を更に黒く汚す黒煙を見た。確かに、何かが起こったようだ。
三人の表情(かお)に緊張の色が差す。
そうと認識したこの瞬間、退屈な時間から逃れるためのこのドライブが、予想に反して若干の緊張を伴う本物の偵察任務へと変化する。しかしその緊張さえも楽しむ余裕が彼らにはあった。あの黒煙の発生元で何があったにせよ、そこで何か危険なものを発見、または遭遇するとは思えない。欲言えば、少々の発砲が必要になるくらいの状況になるといい。なんといっても彼らは兵士なのだ。戦う為に日々鍛えられているのだし、手にしたM-16は決しておのれらを強く見せるための小道具ではないのだから。
三人の視線と意識が集中する煙は、森に近い場所から上がっているように見えた。
ジープの進路を鉄道が遮っていた。たどってみるとどうやら鉄道はあの煙に向かって延びているようだ。クラウザーはハンドルを切り、鉄道に沿って車を進める。そこは道路ではないが、もともと道路ではない場所を走ってきたのだ。今更それを気にする必要はないだろう。
やがて鉄道は二本に別れ、支線と思われる方はアークレイの山に向かって森の奥深くへと消えていた。何故、という疑問がちらりと頭をかすめはしたものの、結局そちらには目もくれず彼らは本線を追いかける。山の稜線が平地と溶けあう最後の起伏を回り込んだ所でまたしても現れる分岐点。ただし今度は合流だ。
いつの間にか黒煙を通り越してそれが背後に位置するようになっていたこともあり、彼らは分岐点を過ぎた所で一旦車を止めた。これまで本線沿いに進んできてなにも見つけられなかった。だから彼らは合流してきた支線をたどろうと振り向いた。そして驚きと不審から動きが止まる。
200ヤード後方、それから30ヤード程度森の中に入った所にぽっかりと出来た空き地。そこには周囲に金網を巡らせた貨物用コンテナに似たコンクリート製の施設――恐らく電圧を調整するものだろう――と、山の斜面に穿たれ口を開ける鉄道用のトンネルがある。そのトンネルから刺激臭のある黒煙がもうもうと吐き出されていた。
こんなもの、どうして今まで見落としていられたのだろう?
もちろん答えは森の木々が作り上げた壁。それ以外に考えられない。
「まいったな、あんなの地図に載ってないぜ」
折り畳んだ地図を眺めてヴィンスがぼやいた。
「見る場所間違えてんじゃねぇのか? 貸せよ」そう言ってハロルドはヴィンスの手から地図を取り上げる。そして座標を調べ見ている場所に間違いがないと知ると、不満そうな唸り声をあげた。「確かに載ってない」
これほどはっきりとした施設(ランドマーク)が地図に記載されていないというのは不思議だった。むしろ怪しい、と言ってもいいかもしれない。全員の感想を確認するかのように「怪しいよな」とヴィンスが言う。ハロルドが同意した。
「だからこそ調べる、だろ? ジャック」
その問いかけにニヤリと笑ってクラウザーは答えた。「もちろんだ。なにせそのために来たんだからな」
クラウザーはトンネルと黒煙に向き直り、ジープを発進させようとクラッチを踏む。しかし次の瞬間全ての動きを止めた。――今、トンネルの入口で何かが動かなかったか?
まばたきひとつせず、息を詰めてトンネルを凝視する。ハロルドがそれに気付き、彼を肘で突いて促した。
「どうしたジャック。早く行こうぜ」
「……なぁ、さっきあそこで何か動かなかったか?」
いいや、わからないな。ハロルドとヴィンスは二人揃って首をかしげた。「ならいいんだ。気のせいだろう」自分を納得させるようにそう呟くと、クラウザーはクラッチを踏み直してギアを入れ、ゆっくりとジープを発進させた。彼は気を落ち着けて運転に集中しようとするが、どうしてもさっき見た、あるいは見たと思ったものに意識が向いてしまう。
――人間だった気がする。でも本当にそうだったろうか。分からない。臆病な野生動物か、木立が落とす影と風の悪戯だった可能性も十分にある。200ヤードは決して遠い距離ではないが、肉眼で何かを確信を持って見分けられるほど近くもない。影が揺らぎ遮蔽物も多い森の中とあっては尚更だ。
車は時速20マイル弱という低速で黒煙の吹き出し口に近づいていく。距離が100ヤードを切る辺りで、そうせよ、と誰かが指示したわけでもないのに三人はそれぞれが持つ火器のセーフティを外した。40ヤードにまで迫ったところでクラウザーは再びジープを止める。彼らは地面に降り立つと、いつでも撃てる様にとM-16を構えた。
「さぁ、お楽しみの始まりだ」
左にハロルド、右にヴィンスを従えてクラウザーが先頭に立つ。慎重に歩を進め、たっぷりと時間をかけてトンネルまでたどり着いた。鍛えられた三組の目が異変を探して周囲をつぶさに調べてきたが、注意を引くような何かは見つからなかった。もちろん、人影もない。やはりあれは目の錯覚だったのだろうか。……多分、そうなのだろう。
「なにもないな」
少しだけがっかりしたような口調でハロルドが呟いた。続けて問いかける。「中(トンネル)には入らないだろ?」
M-16のセーフティを掛けクラウザーは頷いた。
「地図に載ってないなら、下手に入らない方がいいだろう。第一この煙じゃガスマスクが要るよ」
「だな。しかしまぁ、誰だか知らんが派手なことしてくれたもんだぜ。しかも俺らが任務に就いてるときにだなんて、ホントタイミングいいよな」
そう言って忍び笑いを漏らしながら、煙草を吸い始める。辺りにふわりと紫煙が漂い、かおった。
「お前もそう思うだろ、ヴィンス」
ハロルドとクラウザーは数歩後ろに立つヴィンスを見やった。二人はやっとその時、彼がフェンスに囲われた変電施設をじっと見つめているのに気付いた。
「ヴィニー? どうした」
「……あそこに――」
全てを言い切らずにヴィンスは口をつぐんだ。つまり彼は施設の辺りに何かを見たか、気のせいでは済ませられない何かを感じたのだろう。ハロルドとクラウザーは顔を見合わせ、うなずき合って二手に分かれた。正体を確かめねばならない。ハロルドはヴィンスを連れ変電施設をぐるりと回り込んで左側から、クラウザーは手前の右側から。ゆっくりとフェンスに沿って進む。
20ヤードと離れていない所まで来た今では明確にそれを感じる。そこにわだかまる“何か”の気配。うなじの毛が逆立つような殺意にも似た緊張。
それまでにも増して一歩一歩慎重に進み、角を曲がる。
木立と建物が作り出す薄闇の空間。そこでクラウザーは小さな穴を見た。
* * * * *
暗く小さな、それでいてこの上なく凶暴な穴。一般に“銃口”と呼ばれるその穴が5ヤード先からおのれに向けられている。引き金に掛かった相手の指が震え、今にも最後まで引き絞りそうだった。ここで問題なのは銃口を向けられている事であって、銃の口径ではない。適切な場所に撃ち込めば、どんなに小さな弾丸であろうが人間を殺せるのだから。しかもその銃を持っているのがひどく剣呑な目をして薄汚れた若い男とあっては、まったく、いい気分ではない。
しかも青年のかたわらには同じように薄汚れた女の子がいる。濃いピンク色のベストを着ているが、まるでサイズが合っていない。華奢な少女にそれは大きすぎるのだ。少女はぐったりと青年にもたれていた。この二人は兄妹なのだろうか? それにしては似ていないし奇妙な取り合わせだと思ったが、年齢が離れていてその上似ていない兄妹など珍しくもないから、決してそうとも言い切れない。彼には判断が付かなかった。
だがそれは現段階ではどうでもいいことだ。その考えを頭の隅に追いやり、クラウザー自身も相手にM-16の銃口を向け、押し殺した声で命令する。
「銃を捨てろ」
ライフルの先に居る青年はピクリとも動かない。30ヤード程向こうの角からハロルドが姿を現した。彼の傍には当然ヴィンスが居る。これで三対一。たとえクラウザーが撃たれ反撃がかなわなかったとしても、間違いなく彼らがこの青年を始末してくれるはずだ。青年に退路はない。数の上でも心理的にも優位に立ったクラウザーは語気を強め言い重ねる。
「捨てろ、捨てるんだ」
片膝を立ててしゃがんだままの青年はわずかに迷いを見せ始めた。長く重い五秒が過ぎたところで、青年は溜息をつくように胸に溜めた空気を吐き出し、日陰に生えたひ弱な草の上に銃を落とした。それから彼は疲れた――しかしどことなく安堵したような――表情で両手を頭上高く持ち上げた。
「よーしいい子だ。立つなよ、そのままじっとしていろ。両手は頭の後ろで組め」
青年は大人しく命令に従う。向かいにいた二人の同僚がその様子を見て当面の危険は去ったと判断し、周囲を警戒しながら彼らの元へとやって来た。三人は無言のまま目顔で会話すると、それぞれの仕事に掛かる。
青年が他に武器を持っていないか、ハロルドが手早くボディチェックをする。ヴィンスは少女の傍にひざまずき、容態を調べ始めた。その間クラウザーは青年を見張りながら、彼が捨てた銃を拾い上げる。それは50口径のデザートイーグルで、ずっしりと重く巨大なその銃は大きさにしてもその威力にしても、“ガン”と呼ぶのがはばかられるような代物だ。“ハンドキャノン”との異名も頷ける。先刻はどうとも思わなかったが、こんなものの銃口を向けられていたのかと思うと今更ながら背筋が震えた。
撃たれなくて本当に良かった。マガジンと薬室内に送り込まれていた弾丸を排出しながら、クラウザーはそう思った。
「武器は無し」
ハロルドに続いてヴィンスも言う。「こっちもオーケーだ」
「確かか?」
他意なく問い返したクラウザーの言葉にヴィンスは片眉を跳ね上げ、わざとらしく傷ついた表情を作って返した。「単に疲れ過ぎて気を失っただけだろう。ジャック、ぼくの所見を疑うのか?」
「悪かった。勿論お前の腕は信用してるさ」芝居掛かった大袈裟な動きで親友の衛生兵に謝ると、今度は地面にひざまずかせたままの青年に向かって声を掛ける。「おい、あの煙はあんたらの仕業か?」
青年は戸惑いの表情を浮かべ、曖昧に頷いた。正直に全てを話すべきか迷う。一晩のうちに体験したこと全てを洗いざらいありのままに話してもいいのだが、どうせこの兵士たちは信じてくれやしないだろう。どう考えても頭がイカレてると思われるのは必至で、自分で体験した事ながらあれらは本当に現実だったのかと訝しみたくなるような、つまりそれくらい途方もない話なのだ。考えた末、結局今は当たり障りのない事実だけを話すことにする。
「半分くらいね。でもオレたちだってラクーンシティから逃げ出す途中でアレに」顎を動かして未だ黒煙が上るトンネルを示す。「巻き込まれただけなんだよ」
ラクーンシティから逃げ出す途中で。
その言葉に兵士三人の表情が渋くなる。ここに居るということは、つまり彼らはまんまとラクーンシティから逃げおおせて来たわけだ。もちろんそれは構わないし喜ばしいことであろう。しかしこんな抜け穴があるのでは、全く、多量の兵員を広範囲に展開させて封鎖線を作る意味がないのではないか。もちろん、これが特別な例だというのはわかる。しかし大規模に展開される作戦でこんなにも大きな綻びがあるのを実際に目にするのは、何とも言えない嫌な気分だった。
でもこれは作戦を指示し立案した政治家とお偉方の落ち度であって、実行する兵士たちのせいではない。自分たちは兵士で、命令に従い――それがどんなに馬鹿げたものであろうとも――遂行するのみだ。それはそれでいい。
そうだ、命令といえば――
「ヴィンス、あの都市から出てきたら、まずCDC(Centers
for Disease Control and Prevention:米疾病管理予防センター)のチェック(検疫)を受けることになってたよな?」
彼らに下された命令は封鎖線の警備と不審なものへの発砲、そして射殺だった。同時に、もし保護したならばすぐさま医療区域へ連れて行き、CDCのチェックを受けさせよ、とも命令されている。
「あぁ。何かヤバイのが流行ってるって話だからね」
「そいつはおれたちも受けた方がいいのかな」
「どうかな。それはCDCのお嬢ちゃんに聞いてみないと」
ヴィンスはハロルドにむかって肩をすくめてみせた。
「それじゃベースキャンプまでまたドライブだな。車取ってくる」
「ハリー、ついでに少尉に報告しておいてくれよ」
「イヤだね軍曹。そいつはアンタの仕事だよ」
ハロルドはわざとらしくクラウザーを階級で呼ぶと、笑いながら車に向かって走っていった。引き止める間もなかった。クラウザーはその姿を舌打ちしつつ見送るしかない。
「チッ。おい、あんた。もう手を下ろしていいぞ。コイツ(デザートイーグル)も返す――ただし弾は抜いておけ。念のためにな」
「そりゃどうも」
仕方ない、という表情を浮かべて青年はマグナムとバラバラになった銃弾を受け取った。それからほどなくして彼らの傍にジープが止まる。全員に乗るよう合図するとクラウザーは無線機を掴み、再びレインを呼び出した。報告は手短に、簡潔に。そして最後に付け足す。
――民間人を二名保護しました。命令に従い彼らを医療区域へ移送します――
- Fin -