Carlos & Jill
2004.04.07.
今回のクライアントは、随分とキップのいい男だった。契約通りの金額にプラスして、警護任務に携わった男たちのためにちょっとした“パーティー”を開いてくれたんだからな。
「なぁ、お前はどれにする?」
バーカウンターのスツールに座りひっそりと酒を飲んでいた俺に、同僚が下卑た笑いを浮かべて問いかけてくる。俺はフロアのあちこちに散らばるドレス姿の女たちを一瞥した。華やかだがやや露出過多で、あざとい印象も受けるあの服装。手元のグラスに視線を戻す。
「俺は……いらない」
同僚は信じられない、といった目で俺を見た。まぁ、その気持ちは分からなくもない。あそこにいる女たちは、いわば高嶺の花だ。仕事につきまとう危険が高い割には安い給料の俺たちにとって、一生に一度手が届くかどうか、お目にかかれるかどうかの高級娼婦なんだから。
「冗談だろ? お前が先に選んでいいぜ」
多分、どう説明しても分かってはもらえないだろう。俺は肩をすくめて苦笑した。
「本当に欲しくない」
だって、俺が欲しいのはあの女だけ。
ジル・バレンタイン。
この世に彼女よりも魅力的な女はいない。
抱きたいのは、彼女だけ。
* * * * *
“パーティー”がお開きになったのは日付が変わってからだった。コールガールの肩を抱き散っていく同僚たちを尻目に、俺は独り静まりかえった深夜の街を車で抜ける。アパートの地下駐車場に車を置くとエレベーターで三階まで上がった。俺の生活する部屋はさらにもう一階上だが、いつもこの一階分は階段を使う事にしている。いつか役に立つかもしれない、くだらない習慣のひとつとでも思ってくれればいい。
鍵を差し込んでドアを開けると、光が溢れてた。アパートの中は温かく湿った石鹸の香りと、俺の一番大切なヒトであるジル・バレンタインの匂いがしている。彼女がいる、そう感じただけで嬉しくなるなんて、ティーンエイジャー顔負けの単純さだよな。
「ただいま」
そう言った声は我ながら陽気すぎたと思う。どうも酒が抜けきってないらしい。
「あら、お帰りなさい」
リビングから現れた彼女はバスローブ姿で、髪がまだ濡れてる。きっと肌も温かく湿っているに違いない。
「ただいまー」
彼女に近寄り抱きしめると、当然のようにキスをする。それもとびきり濃いヤツを。
長々と――10秒とか20秒とか、あるいはもっと長かったかもしれない――彼女の唇と舌を味わう。いい加減にして、と言わんばかりの表情で彼女がキスから逃げた。俺としてはまだまだ物足りないのだが……。
「飲んだのね?」
彼女が言うのは、酒のことだ。分かってると思うけど、一応、念のため。
「うん」
嘘で誤魔化した所で、今のキスやにおいなんかで絶対にバレてる。だから素直に認めた。彼女の完璧に整った眉が片方跳ね上がる。
「それで、運転して帰ってきたの」
腰のポケットから半分垂れ下がっていた車のキーを二本の指でつまんで引っ張り出すと、彼女は当てつけるように顔の前で揺らせた。悪びれもせずに俺は答える。
「検問はちゃんと避けてきたぜ。それにホラ、事故らずに帰ってきた」
「……あきれた。そういう問題じゃないでしょ」
声に険のある辛辣なセリフ。でもそらすら愛しく感じるのは酒のせいか、それとも単なる惚れた弱みか。
「だったら逮捕してよ、俺の巡査。逃げない内に、君のキスで」
「交通取締は私の仕事じゃないの。第一そんなことしたらあなたが喜ぶだけじゃない」
……さすがはジル様。わかってらっしゃる。
腕の中からするりと抜け出ると、ジルは俺とドアの間に入り軽く背中を押してきた。いつまでも玄関先で遊んでるなってことか。追い立てられて放り込まれたのは俺の部屋。当たり前と言えば当たり前だけど、そこがジルの寝室じゃないのは残念だった。
「ジルの部屋じゃないの?」
促されるままに俺はベッドの端に腰を下ろす。
「少し酔いを醒ましなさい。酔いが醒めたら相手をしてあげてもいいわ」
意味深長な言葉と視線を残して、彼女は部屋を出ようと俺に背を向けた。途端に言いようのない寂しさがこみ上げてくる。
――行かないで。
単に側にいて欲しい一心で、遠ざかっていく彼女に向かって手を伸ばした。指先に触れたものを反射的に掴む。それはバスローブを留めるベルトの端だった。引っ張ったつもりはなかったが、結び目は大した抵抗も見せずにほどけた。
故意、ではない。あくまでも事故だ。それも嬉しい事故。
彼女が怒ったような表情(カオ)で――それが本気じゃなくてフリだってことくらい分かる――身体ごと振り向いた。ローブがはだけてなめらかな肌と揺れる乳房が視界に広がる。ローブと華奢なショーツ一枚身につけただけの彼女の肢体は、清楚であると同時にひどく官能的だ。
「酔いならもう醒めてるよ」
バスローブの中に両手を滑り込ませてウエストを掴むと、引き寄せた。そしてへその横にキスをする。
「ちょっと!」
くすぐったかったのか、彼女は笑いながら身をよじった。別に嫌がってる訳じゃなさそうだ。調子に乗って肌を舐め、軽くキスの痕をつけた。
細くて白い彼女の指が俺の髪を掴み、軽く引っ張る。
「シャワー浴びたばっかりなのに」
溜息を吐くように甘い声で囁いてから彼女は俺の膝の上に跨り、座った。……なんだかいつになく積極的みたいなんだけど。気のせいかな。
彼女の背中に腕を回して抱え込む。喉元に出来た窪みに顔を埋め、肌の匂いを嗅いだ。石鹸の香りも勿論したが、それ以上に素肌から立ち上る甘く爽やかなその色香は、俺の理性を吹っ飛ばすのに十分な力があった。
この世で一番、刺激的な匂い。
そうしていたのは時間にしてほんの数秒だったろうが、その間俺がなにもしないのを不審に思いでもしたのだろう。彼女が両手で俺の顔をはさんで上向かせた。それから目を覗き込み「本当に醒めてるの?」って訊いてくるから、俺は言葉の代わりにキスで答えた。
完全に、じゃないけど。ほとんど醒めてる。
心配しなくたって、きみが相手ならいつだってちゃんとできるさ。
彼女の右手が俺の喉元をするりと撫で降りる。そして指がシャツの最初のボタンに引っかかると、それを片手で器用に外し始めた。
- Fin...? -