Semper Fidelis

St.Valentine's Day

2003.08.28.

 冬のピークは過ぎたとはいえ、依然として寒さは厳しい。
 復興作業を続けるラクーンシティの上空はガラスのように蒼く透き通っていた。しかし、街のそばにそびえるアークレイの山頂は真綿のような雪雲に覆われている。風向きによっては、今夜もまた雪が飛ぶかもしれない。
 二月も後半に差し掛かろうかというこの日、男が一人この街に流れ着いた。身長は6フィートに半インチほど足りない。長い間肉体を酷使する職業に携わっていたのだろうか、頑丈な肉体を持っている事が厚い服の上からでも分かる。
 男は唯一の持ち物であるくたびれたキャンバス地のバッグを肩に引っかけると、ダイナーを探してゆっくりと歩き出した。


 正午を少し回った時だった。
 ラクーン市警察署で電話が鳴った。正確に言うならば、それはS.T.A.R.S.オフィスへの直通番号だった。
 この都市が壊滅する以前のS.T.A.R.S.は、激増する都市型テロや多様化する犯罪に柔軟に対処する部隊だった。現在はその性格を大きく変え、未だ撲滅しきれないウィルスとB.O.W.対策が主任務となっていた。おかげで日々様々な人や機関から、ウィルスに関するそれぞれの用件で電話がかかってくる。だから、その電話が鳴った時点では何も不審には思わなかった。
 デスクワークに励んでいたジル・バレンタインは目を上げて室内に視線を走らせた。生憎と、今は彼女しか居ない。皆それぞれの用件で出かけているようだ。仕方なくジルはけたたましく鳴る電話に手を伸ばす。
「ハロー? こちらS.T.A.R.S.オフィス」
 イスの背に凭れて取った受話器から流れて来たのは、落ち着いた男の声だった。
『そちらにチェンバース巡査は、まだ居るかな』
 相手のうしろから流れてくる騒々しい雑踏が、まるで趣味の悪いBGMのように聞こえる。食器が触れあって立てる金属的な音が耳につく。ジルは壁に掛かる時計を見やった。針が正午を指したのは随分前のようだ。相手は昼食客で混みあう店から電話を掛けてきているらしい。
「今は外に出てるわ。……どちら様?」
 一瞬の沈黙が落ちる。わずかなためらいの後、電話の向こうにいる男はこたえた。
『――ジョン・ドゥ。昔のちょっとした知り合いさ』
 そう名乗る声には、こころなしか自嘲するような響きがあった。同時にそれは、おしゃべりはもう終わりだという宣言でもあった。
「ちょっ……」
 切られる、と思った瞬間に思わず呼び止める声が出たものの、時既に遅しだ。声が相手に届く前に通話は切れていた。
 受話器を元に戻しながら、ジルは眉をひそめる。
 ジョン・ドゥ(身元不明人)ですって? 知り合いだかなんだか知らないけれど、ふざけるのもたいがいにしなさいよ。
 ため息を吐いてペンを取り直し、机上を覆う書類に視線を切り替える。
 それきり、彼女の頭からその不審な電話の事は綺麗さっぱり消えてしまった。

     * * * * *

 男は混み合うダイナーのドアを押し開けると、襲いかかる冷気に思わず身震いした。開けたままだったコートの前を急いでかき合わせる。暫くは外に居ることになるだろう。だから、あまり体温を失いたくなかった。
 数ブロックほど目的のある振りをして歩くと、男はすっかりこの街に馴染み溶け込んでしまった。決して多くはない人の流れに紛れ、姿を消した。
 二月の空。
 山から吹き飛ばされた雪が、澄んだ青空から舞い落ち初めている。

     * * * * *

 同日、夕刻。
 まだ早い時刻にもかかわらず太陽は完全に落ち切り、夜が始まっていた。
 本日の勤務を終えたレベッカ・チェンバースは、うっすらと雪に覆われた歩道を歩き家路を急ぐ。風はなかったがブーツの先から、コートの裾から冷気が染みこんでくる。骨の髄まで凍らせるような二月の冷気。
 レベッカは翌日の予定を思って、そっと空を見上げた。
 星を隠すあの重い雪雲は今夜この街を今以上に白く染め上げるだろうか。明日になってもこの街の上に居座るだろうか。
 ――雪、降らないといいな。
 明日は旧市街地に出向き、ウィルスの汚染除去作業がどれほど効果を上げているのか調査に行かねばならない。その場ですぐに結果の出せるものもあれば、サンプルを採取して研究所送りにするものもある。雪があっても問題ないが、ない方が色々と都合がいい。
 雲の切れ間に星を探しながら、彼女は家路を急いだ。

 警察署を出た時から、一対の瞳が彼女を追っていた。つかず離れずつきまとったそれは、彼女が赤煉瓦で装飾されたアパートに入るのを見届ける。それはしばしその場にとどまった後、闇に紛れた。
 その存在に、レベッカはもとより誰一人気付く者はなかった。

     * * * * *

 30時間後。
 雪雲ではない雲が空を薄く覆う、暖かい夜。
 月はその輪郭をぼかされ、心許ない光をなんとか地上に注ごうと躍起になっていた。
 街灯に直に照らされそうな場所は慎重に避けながら、薄い月明かりの下、男は確固たる足取りで歩道を進む。この街に来たときに持っていたキャンバス地のバッグは、代金を現金で前払いしたホテルの部屋に置いてきていた。だから今は手ぶらで、身軽だった。
 男は幾度も角を曲がる。
 まっすぐ歩けばたいした距離ではない場所まで、通常の何倍もの時間を使い馬鹿馬鹿しいほどの遠回りをしてそこに近づく。
 こうすることでこの男は地勢の把握と周辺の安全を確認していた。万が一尾行されていれば気付くし、撒ける。尾行(つけ)られているとは思わなかったが、用心するに越したことはない。自分と、何より相手の安全のために必要なことだった。これは近年身につけた癖であり、今は意識的にそうすることで高ぶる気持ちを落ち着けていた。
 ようやく男は目的地に到達する。
 目の前にそびえるのは、赤煉瓦で覆われた五階建てのアパート。
 青白い蛍光灯の明かりに目を細めながら、上階へとのびる階段を見上げる。まるで一度は逃れた絞首台への階段が、再び目の前に現れたかのようだった。
 階段を上りきった先に待つのは、天国、それとも地獄か。

 男は段差を確かめるように足を踏み出し、上り始めた。

     * * * * *

 いつの間に眠り込んでいたのだろう。
 手の中から書類が滑り落ちる感覚と音で目が覚めた。慌てて周囲を見渡したが、記憶にある最後の状態と全く同じだった。付けっぱなしのテレビから流れる映像だけが時間の経過を知らせている。レベッカはテレビの前に陣取るカウチに座り、クッションの山に埋もれていた。
 目尻から一筋の涙が伝い落ちる。
 指でそれを拭い、溜息をついた。
 ――またあの夢だ。
 幾度同じ夢を見れば気が済むのだろう。彼女は人生を大きく変えたあの夏の日の出来事を夢で再体験していた。辛く苦しい、見るたびに鮮明さを増す記憶。忘れてしまえればどんなに楽だろう。
 けれど忘れられない、絶対に忘れてはならない、忌まわしい事件の記憶。あんなことが二度と起こらないように誰かが警告を発し続けるべきで、それはことの発端から関わり続け、解決に尽力した者たちが行うのが一番相応しい。
 明日もハードな一日になる。もう寝たほうがいい。レベッカは立ち上がると床に散った書類を拾い集めた。
 その時玄関チャイムが鳴った。時計に視線を走らせ、時刻を読む。日付が変わるまであと何分もなかった。
 ――こんな時間に、一体誰?

     * * * * *

 ドアに付いているボタンを押してチャイムを鳴らす。
 部屋の主が中に居るのは分かっていた。建物に入る前に見た時、この部屋の窓は明るかったし、何よりドアの向こうには人がいる気配がする。そして今、中で人が動いた。
 男はドアに付いた魚眼レンズの視界から外れる場所までそっと移動する。姿を見られるからといって、気にすることはないのかもしれない。しかし向こうから見えるのに、こちらから相手の姿が見られないのは不公平だ。
 息を潜めて見ていると、たっぷり5秒はレンズから差す光が遮られた。
「……誰?」
 苛立ったような警戒の滲む声で誰何(すいか)する。いまだに子供扱いされることが多いとはいえ彼女もれっきとした女性であり、警官だ。こんな時間に事前連絡もなしに来るような、誰とも分からない相手にドアを開けるほど不用心ではない。
 記憶にあるのと同じ、そしてずっと聴きたいと思っていた女の声。自分でも気付かない程微かに口元がゆるむ。
 どう名乗るべきか逡巡した後、男はあの日捨て去った名前を久方振りに口にした。いままでいくつもの名を使って来たが、ドアの向こうに居る女に告げるべき名はこれしかない。相手が知らない振りや、拒絶するような素振りを見せればこのまま踵を返して立ち去るつもりだ。
「――ビリー・コーエンという名前に覚えはないかい?」

 心臓が止まるかと思った。その名も、声も。片時も忘れたことなどない。ずっとこの瞬間を夢見て来た。しかし――。
「……彼は死んだわ」
 自分に言い聞かせるように、震える声を抑えてドアの向こうの男に言い放つ。しかし声ににじむ微かな期待は隠し切れない。素知らぬ振りなど出来なかった。そうするには、その名はあまりにも彼女の心を揺さぶり過ぎる。
「そうとも。オレはゾンビ野郎なのさ」
 自嘲するような忍び笑いが漏れた。
 最初は声を聞くだけで十分だと思っていた。だが一言でも声を聞けた今では、それだけでは満足できずどうしても間近で彼女の顔が見たくてたまらない。ささやかな願いが叶う度に、人は少しずつ欲張りになる。知らぬ内に欲望はそっと大きくふくらんでいく。
 ビリーは氷のように冷たいドアにそっと手を触れた。二人を決定的に隔てるこの厚さ一インチしかないドアが恨めしい。どうすればこのドアを、彼女の心を開かせることができるのだろう。
 あの夏の日。朝日を受けて去る彼女の背中に誓った。彼女を傷付けたり裏切ったりするような真似だけはするまいと。あの日以降いつか会いたいと思っていたのは、自分だけだったのかもしれない。ならば、これ以上彼女の心を乱す前に去ろう。
「……礼を言いたかったんだ」
 ――君がくれた新しい人生。表舞台には出て行けないし多少の不便があるとしても、自分の思い通りに生きている。
「殺してくれてありがとう。感謝してる」
 乱暴な言い方なのかもしれない。だがそれが全てだ。ビリーは後ろ髪を引かれる思いで踵を返し、歩き始めた。
 足音は、ドアの内側にいるレベッカにも届いていた。ビリーと名乗った男の気配がゆっくりと遠のいていく。
 ――本当に、貴方なの?
 声は確かに同じだった。言う内容も彼女の知る事実と矛盾はない。内鍵に手が伸びる。
 確かめずにはいられない。ドアを開ける事で後悔するような事態になるかもしれない。だが開けずに後悔するよりは数段マシなはずだ。これがきっと最初で最後のチャンス。……どうなってもいい。覚悟を決めて内鍵を外し、ドアを開けた。
 部屋から溢れる細長い光の帯が、男の後ろ姿を照らす。
 見間違えようもなかった。今は冬だから記憶にある彼の服装とは当然違うが、あのシルエットは、あの背中は、あの日レベッカが“殺す”と約束した男のもの。
 ドアの開く音と足下に差し込む光に気付き、今まさに彼女の人生から消えようとしていた男は驚いたように振り向いた。深呼吸できるだけの間を置いた後、男の深い藍色の瞳と視線が重なった。そうと分かるほどはっきりとした笑みが男の口元からこぼれる。つられてレベッカの緊張も、頬もゆるんだ。
「ビリー」
 やっと彼の名を呼び、ドアから10フィートほど離れた場所に立つ男の元に駆け寄った。
 ビリーも向き直り、駆け寄ってくる彼女と対面する。
「やぁ、お嬢さん」
「そう呼ばないでって、言ったはずよ」
 眉をひそめて反論する。しかし嬉しさで顔がほころんでしまい上手くいかなかった。それを見て、男はからかうような声で呼びなおす。
「じゃあ“チェンバース巡査”」
「白々しい」
 頬を膨らませ、拗ねた表情を作ってみる。今度は上手くいった。なのにビリーはそれを見て喉の奥で低く笑う。彼女の表情や仕草ひとつひとつが記憶にあるものとそっくり同じで、おかしくて――愛しくて仕方がない。
 あの日以来ずっと求めていたぬくもりが、目の前にある。しかしあの日と同じで、わずか1フィートの距離がどうしても詰められそうになかった。二人を隔てる象徴的な1フィート。今ならばなくしてしまえるだろうか。
 束の間沈黙が落ちる。どちらも相手に訊きたいことや話したいことがありすぎた。何から切り出せば良いのか分からなくて、両者共に見つめ合ったまま微笑むことしか出来ない。そうした後にビリーがようやく口を開いた。
「 Semper Fidelis 」
「なぁに? それ」
 耳慣れないその言葉に戸惑い、レベッカは困惑気味に聞き返す。
 分からないならそれでかまわない。彼はその問いに答えず、二人を隔てていた1フィートの距離を詰めた。左手を彼女の頬に添え、右手で彼女を抱き寄せる。それからただ微笑んで、彼女の愛らしい唇を覆った。



 “ Semper Fidelis ”
 それは海兵隊のモットーであり、除隊した今も変わらず彼のモットーであり続ける。厳密に言えばその対象物は変わってしまったけれども。その精神は今も持ち続けていた。


 神と己の良心と、そして君に。
 常に誠実であれ!



- Fin -





アトガキ

 本当に申し訳御座いません(土下座)
 特にビリ×レベな方々。イメージをぶち壊してしまったのではないかと不安です。わ、私はもうカルと傭兵ズに残りの物書き人生を捧げるべきなのかもしれん……。
 久々にチャレンジした三人称は、当初の予想を上回る厳しさでした。そのうえよせばいいのに視点を固定してないもんなぁ。出来上がってみれば、想像を遙かに超えるへっぽこへぼ文章。もう涙も出ません。いい加減ホントに(以下略)。
 でもやりたかったことは殆どやれました。無理矢理過ぎて前後のつながりがおかしい所が多々あり、いつも以上に激しく自己満足文になり果てましたが。
 つか、ビリーさんの思考回路が未だに把握出来ません(涙) えぇもぉ書き上がった今でさえ。正直言うとレベッカの考えもイマイチわからんです。なんでだろ。ゼロのプレイ回数が少ないせい? よく考えたらたったの2回しかクリアしてないや(笑) キャラもカップリングも凄く好きなのにね。
 これは単に私がひねくれているだけなのでしょうが。この二人って完全に相思相愛(注:自分設定)なのに、相手を思いやりすぎてすれ違い気味な感じがします。そしてどちらも不器用でね。なまじビリーが抑制の利いた大人で微妙に受け身なだけに、ひょっとするとレベが押さないとダメなのかもしれん。

 そうは見えないと思いますが、一応コレ、バレンタインネタなのです。
 も〜どこが?! ってな感じになってますな。そのツッコミ、謹んでお受け致します。だって季節くらいしか合ってないし(涙) 本当はちゃんとバレンタインらしいセリフを言わせる予定だったのに。どこに入れても変なので結局やめました。バレンタインネタはカル×ジル(と、さり気なく板前×幼妻)で別に用意してありますが、そっちはまぁ、またの機会ということで。

 それからタイトルにまでしたくせに、結局作中でマトモに説明しきれなかった“ Semper Fidelis ”。仕方ないのでこっちで説明します。英語にすると“ Always Faithfully ”、神と国家と海兵隊に対し『常に誠実(忠実)であれ』という意味を持っています。
 ビリーさん折角海兵隊員だったんだからさ。それらしさ、というのをちょっと表現してみたかったのです。まぁいつものようにグズグズになってるね。ごめんね。もっと勉強しないとダメだね。軍人や兵士がちゃんと書けるように頑張ります(結局そっちか)。
 次回はもっとまともな文章になっているよう、祈っていてください……。
 ではでは、ここまでお付き合いくださり誠に有難う御座いました!