24.December
2002.12.05.
地平線に太陽が沈んでから早数時間が経っていた。
ダウンタウン地区の一角にある小さな教会。
疲労と睡眠不足で充血した目をこすり、漏れるあくびをかみ殺す男が二人、礼拝堂最後列の長椅子に座っていた。
「お前はアレを信じるか?」
長い蜂蜜色の髪を首の後ろで一つに纏めたシンジ・マクファーレンは、頭をわずかに動かして祭壇の奥にある信仰の対象物を指すと、隣に座る青年に尋ねた。シンジよりも一回りは年下のオリーブ色の肌をした青年――身に纏う雰囲気は老練の兵士そのものだが――は憮然とした表情で答える。
「……お前目が腐ってんじゃねぇの」
予想以上にきつい返答をされ、口の端に苦い笑いを浮かべてシンジは首を振った。いつだってコイツは憎まれ口ばかりだ。
蜂蜜色の髪を持つ男はカルロス・オリヴェイラと名乗るこの青年と、いくつもの仕事を一緒にこなしてきた。かすり傷では済まない怪我を負うような状況になったことも一度ならずあり、その都度隣の青年は大事に至る前に危険を回避してきた。だからシンジはこの年若い同僚の能力も腕も信用している。たとえその能力が年齢に相応しくない、不自然な程高いものであるとしても。共に戦う相手として不足はない。
「折角のクリスマスなのに、なんで仕事なんか入れたんだ?」
カルロスは馬鹿げた質問をしてくるシンジを睨みつけた。うるせえ、そんなの俺の勝手だろ。そう目が言っている。
「今の言葉、そっくりそのままお前に返す」
シンジは肩を竦めた。
やれやれ。取り付く島もないとはこのことかね。
「オレは単に、この時期の仕事は実入りがいいからやってるだけさ」
それに、暇潰しになるし。仕事をしていれば、他のことを考えずに済む。
カルロスはその言葉を馬鹿にするように鼻で笑うと、今までにも増して不機嫌そうな棘のある声で言った。
「……あんたらヤンキーは家族が一番なんだろ? どんなに遠くにいても、死ぬほど忙しくても、今日だけは全部放りだして家族揃って家の中にこもってるんじゃないのか」
「大体はそうだろうな。だが全員じゃない」
言いながらシンジは無意識に懐に入れてある札入れを探った。肌身離さず持ち歩いているその札入れの中には、愛した女と幼い息子を写した写真が入っている。今は独り身になっているが、暫く前までは彼にも家族があった。
仲違いして別れた訳ではないから、今も彼女とは親しい友人としてつき合いを続けている。独りになってからの初めてのクリスマス。一緒に過ごさないかと彼女と息子に誘われた。二つ返事で誘いに乗る所だったが、思いとどまった。いずれは独りで過ごすのが当たり前になる。その時の為にも“独身になった”、この事実に向き合って少しずつでも慣れて行かなければ。
「さてと。俺は帰って明日に備えるぜ」
大きくあくびをしてからカルロスは立ち上がった。
今彼等が請け負っているのは長期的な警護任務だ。ほんの数時間前に交代して、今は24時間の休憩中。明日の陽が落ちたらまた、極度の緊張の中に身を置かねばならない。今彼等に必要なのは天使のような声で歌われる賛美歌でも、神の祝福でもなかった。たっぷりの睡眠と少しの食事。二人にとってそれが考え得る限り一番のプレゼントだった。
もっとも、二人が本当に欲しいのは別の物なのだが。
カルロスは年上の同僚に構わず移動を始める。これ以上こんな所で時間を潰したくない。第一、ここに俺の居場所はない。
清らかに賛美歌を歌い続ける聖歌隊に名残惜しそうな視線を向けると、先に歩き出したカルロスの後を追ってシンジも席を立った。
「カミサマもクリスマスもクソ食らえだ」
礼拝堂から一歩出たところで、吐き捨てるように呟いたのはカルロスだ。いかに神を信じないといえども、神の領域でそれを言わない位の分別は持ち合わせている。
彼のすぐ後について礼拝堂から出たシンジは、その言葉を聞き逃さなかった。青年と違い多少は神を信じている彼はわずかに眉をひそめたが、何も言わなかった。
神を信じないと言い切るお前も、いつか神に祈りを捧げる日が来るだろう。いつかはその存在を感じるようになるだろう。何故ならオレたちは皆等しく神に愛され、守られてるんだから。
……それともお前は、神ではなくて別のものを信じているのだろうか? いつか機会があったら聞いて見よう。
肩を並べて2ブロックほど二人は歩き、それぞれの家へと別れた。別れてすぐにシンジは立ち止まり振り返った。
少しずつ遠くなる同僚の背中。彼は逡巡した後、命を預け合う青年の名を呼んで振り向かせた。こんな日だから、誰かに言っておきたい。
「メリークリスマス!」
すぐには反応は返ってこなかった。表情を読むにはあまりにも遠く、暗すぎる。ややあってからカルロスがためらうように左腕を挙げ、軽く振ったのが見えた。
こちらからカルロスの表情が見えないのと同様に、恐らく向こうからもシンジの表情は見えないだろう。それでもシンジは満足そうな笑顔を返した。その笑顔がカルロスに見えていなくても構わなかった。それからカルロスと同じように手を振ると踵を返して家路についた。
* * * * *
吐き出した息がまるで煙草の煙のように白くわだかまり、顔の横を流れて消える。
何日か前に降った雪はすっかり除雪が終わり、路肩のいたる所に小さな雪山が出来ていた。この雪はきっと溶けきれずに、春まで残る根雪になるだろう。
冬の夜気がむき出しになった肌を切り裂く。まるで研ぎたての刃の様に鋭利な冷気。鋭すぎていっそ甘く感じる。青年は襟元から入り込む冷気を全く意に介さず、背筋を伸ばし、顔を上げて闊歩する。その歩き方は堂々としたもので、自信に満ちていた。しかしそうする事によってこらえ切れない怒りを辛うじて押さえ込んでいる様にも見える。本当のところはどうなのだろう? 冷気でこわばった顔からは一切の表情が消えているので、そこから何かを読みとることが出来ない。
彼は近道のために公園を横切る。途中外灯の明かりから外れた薄闇の中で立ち止まると、空を振り仰いだ。近頃では珍しい位に良く晴れ、星が見える。二千年余り前に神の子が産まれた晩も、星が輝いていたそうだ。多分、こんな風に。
シンジ。お前はさっき、神を信じるかと訊いたな。
俺がそういう人間に見えるか?
だとしたら、お前はまだ俺のことを誤解しているか、解っていないよ。
神様が居ないとは言わない。あんたが居るというなら、そうだな。あんたの神様は居るんだろう。だけどそれは絶対に俺の神様ではない。
ただ、俺は信じていないだけだ。神なんて、信用出来ない。
それに奇跡も。そんな不確定なものにすがるだけ愚かだ。
それでも。まだ、半人前だった頃は信じてた。何処かに神様は居て、いつか奇跡は起きると信じてた。
信じて、祈るたびに。ことごとく裏切られてきた。そしていつしか、この世にそんなモノは存在しないと知った。
愛するただ一人の女(ヒト)さえ傍に居てくれない。
何が“Merry(おめでとう)”だ。
くそったれ。
- Fin -