Rebecca & Jill
2002.08.23.
復興事業がようやく軌道に乗り始めた新生ラクーンシティの、ある春の昼下がり。
長引いたつまらない会議からようやく解放された彼女は、警察署の裏庭をぶらぶらと歩いていた。手にした紙袋の中身は、近くのカフェからテイクアウトしてきたサンドウィッチ。どうやら日だまりで遅い昼食を摂るつもりのようだ。
警察署の裏庭と言っても公園のように整備されている訳でもなく、一度芝を敷いて以来まともな手入れをされていないので、あちこちから雑草が顔をのぞかせている。言うなればただの野原だ。ただ、今はまだ春も浅く草丈も低いので、それほど景観は悪くない。
普段は滅多に歩くことのない草地を歩くと、それが思いがけないほど柔らかく弾力がある事に驚く。随分と長い間草や土とは無縁だったようだ。
肩よりも少し上で切りそろえた薄茶色の髪が、風に吹かれて揺れる。抜けていった風は少しだけ甘い春の香りがした。
奥まった場所にある目当てのベンチに目をやると、先客がいた。正確にはその横、濃い緑の草の上にかがみ込んでいるのだが。ほんの少しボーイッシュな印象を受ける、少し癖のある濃茶の髪をショートカットにした彼女は・・・。ラクーン市警の誇る特殊部隊『S.T.A.R.S.』最年少の隊員、レベッカ・チェンバースだ。『特殊部隊』から想像されるような人間からは程遠い容姿のうえ、実際の年齢よりもはるかに幼く見られがちの彼女が一人前の女性として扱われるようになるまでには、もう少し時間が必要だろう。
知らない仲じゃないし、いいかな。
一瞬ためらった後そう思い直して彼女はそちらに歩み寄る。
* * * * *
「ハイ、レベッカ」
レベッカが顔を上げて声のした方に視線を向けると、同じS.T.A.R.S.メンバー、ジル・バレンタインがそこに居た。レベッカが密かに憧れ、目標にしている女性だ。眉目秀麗頭脳明晰。その言葉はジルにこそ相応しいと常々思っている。
「あぁ、ジル。随分お疲れの様ですね。会議長引いたんですか?」
「大分ね」
うんざりした声を出して、肩を竦ませる。いまだ旧市街地で発生し続けるB.O.W.対策の定例会議だったのだが、外部から来た実状をまるで理解していない頭の固いお偉方のおかげで、まとまるはずだった話が破綻してしまったのだ。現場に連れ出してやれば多少は考え方も変わるのだろうが、万が一怪我でもされたら後が大変だ。また明後日同じ議題で会議が開かれる。何とかしてその時までに、説得する手段を考えねばならない。
憂鬱な気分を振り払うように、努めて明るい声を出して話題を変える。
「貴女はそんなところで何してるの。探し物?」
「大した事じゃないんですけど。四葉を見つけようと思ったんです」
レベッカは照れた様にはにかんだ笑みを浮かべ、芝よりもなお濃い、まるで絨毯の様に辺り一帯に広がるクローバーを示した。
なるほど。四葉をね。
ジルは軽くうなずく。
四葉のクローバーを見つけると幸せになれる。そんなのは言い古された、少女趣味な迷信だとジルは思っている。過去に四葉を見つけたけれども、その後幸せや幸運が舞い込んだことなど無いからだ。もっとも迷信だとは思っているが、心のどこかで信じてもいる。幸運の四葉の話は、大人になった今なお否定しきれない魅力があった。
「ジルも一緒にどうですか?」
屈託のない、無邪気な誘い。レベッカは、信じているのだろうか。ジルが迷信だと思っているその話を。
「……そうね。コレを食べたらね」
紙袋を胸の辺りまで持ち上げて見せた。とにかく今は、胃を落ち着かせたかった。それに四葉は逃げやしない。
* * * * *
「知ってますか? どうして四葉を見つけると幸せになれるのか」
まるで不意打ちの様な問いかけ。最後の一口を口の中に押し込み、数回まばたきをしてジルは小首を傾げた。
「滅多に無いから、じゃなくて? 言い古された迷信でしょう?」
「えぇ、そうです。勿論そうです」
レベッカは笑って言う。その笑顔はまるでタンポポの様だなとジルは思った。春に咲き誇る黄色の、可愛らしいと同時に誇り高いその姿。百獣の王の名を持つ花。
「ではクローバーの葉が、それぞれ何を意味しているのかは御存知ですか?」
いいえ、知らないわ。素直にジルは首を横に振った。そういった方面の知識はゼロに近い。無知を認めるのは恥ではない。新たな知識を得るチャンスを逃す方が愚かで恥ずかしい事だと思う。
「それぞれの葉に意味なんてあるの? 私はずっと四葉だけに意味があるんだと思ってたわ」
意外そのもの、といった表情でジルはぬるくなったコーヒーを胃に流し込む。
先輩の言葉を聞きいてレベッカは、心密かに喜んだ。
いつも教えてもらうばかりの自分にも、教えてあげられることがあって嬉しい。こんなの、知っていてもなんの役にも立たないのだけれど。他愛もない知識が、憧れの人との距離を少しずつ縮めてくれる。
「三枚の葉は、誰でもその気になれば手に入れられるものです。それが希望と信仰と愛」
誰でも容易にとは言い難いが、それでも望めば手に出来る。望む望まないは別として、それらはいつでも誰にでも分け隔てなく手をさしのべてくれている。希望然り。信仰も然り。そして、愛も然りだ。
夢を見るような瞳でその意味をひとつ挙げるごとに指折り数える後輩を眺めながら、ジルは全く別の事に思いを巡らす。あんなにひどい経験をしたのに、彼女がこの純真さを失わなかったのは奇跡に近い。この先もずっと彼女がこのままでいてくれたらいい。守ってあげたい。でも、それは私の役目ではない……。
年上の女性は頷いて先を待った。聞かずとも、予想出来たが。
「そして四枚目の葉が幸福」
誰もが望んで探すのに、なかなか見つからない。それでも誰もが。常に誰かがどこかで。見つけられることを祈って、信じて。探している。思いもよらないほど深い意味に気付いて、ベンチに座る彼女は妙な感慨に浸る。
「でも可笑しいですよね。クローバーなんて本当にただの雑草なのに。そんなものの四葉を見つけたら幸せになれるなんて」
自然の絨毯に直に座り、手のひらでクローバーを撫でるレベッカからいきなり飛び出す現実的なセリフ。感心しながら彼女の言葉を聞いていたジルが唖然とする程夢のない事を言う。どうしちゃったの、この子は?
「私思うんです。四葉のクローバーを見つけたら幸せになれるんじゃなくて、幸せを見つけられるようになるんじゃないかなって」
別に今が不幸せだとは思ってない。辛いけどやりがいのある仕事もあるし、周囲の人々は強く厳しく、そして優しい。大切な人もいる。
だけど。
幸せをただ待ってるなんて嫌。私は追いかけて、掴み取りたい。
幸せなんて努力して、苦労して手に入れてこそ価値のある物のはずだ。だから私は幸運を運ぶ四葉の話は信じない。私が信じるのは、幸せを見つける……掴み取る力。自分の力を信じたい。
レベッカの普段滅多にお目にかかれない、その大人びた表情を見てジルは頼もしさを感じる。と同時に思う。可愛い後輩が幸せになれるよう、女心に今ひとつ鈍い同僚にさり気なく発破をかけておくべきかしら?
ジルは立ち上がり、レベッカと向かい合うようにしゃがみ込んだ。
「さて。私も幸せを見つけられるかどうか、四葉で試してみようかしら?」
「あ、ジル知ってます? 2ブロック先に出来たカフェのケーキ。すごく美味しいそうですよ」
悪戯を仕掛ける子供の様な笑顔。それで何が言いたいのか分かった。そうだ、どうせ二人で探すなら、何か賞品があった方がいい。探すのにも気合いが入るだろう。知らずにジルの口元もほころぶ。
「らしいわね。私もまだ食べてないんだけど」
「賭けません?」
挑むような、それでいてやはり憎めない悪戯好きな瞳。多分ジルも同じ表情をしているのだろう。
「負けないわよ」
幸せと呼ぶにはあまりにもささやか過ぎるけれど。美味しい物を食べて、素直に美味しいと喜ぶ。そんな『幸せ』もアリじゃない?
ささやかな幸せも。出来るだけ残らず掴み取っていこう。
そうしたらいつか巡り会う大きな幸せも、逃さずに捕まえられるはず。
- Fin -