微睡みのなかで

エンディング後・ランクCG 船編

2001.10.22.

 それはまるで羊水に浮かんでいる様な、心地良い夢だった。そこは暖かくて、自分は無条件に安全だと、完全に守られていると感じられた。夢と分かっていても、目覚めるのが怖いほどくつろいだ気分だった。
 彼は少し前から、自分が目覚めに向かっていることに気付いていた。もっとこの夢を見続けたいと、抗う。それでも、いつかは目覚めてしまうもの。やがて夜が終わるのと同じくらい、それは確実。あがけばあがくほど急速に夢は薄れ、それだけ目覚めの時は近づいてくる。


     * * * * *


 はっきりしない意識と視界の中で、世界がゆったりと揺れていた。どこからか力強いエンジン音と壁を打つ水音が聞こえてくる。あまりにも見慣れない室内の様子、耳馴れない音。ここは……俺は……。一瞬自分の名前さえも分からない程酷い混乱に襲われたが、すぐに立ち直る。
 俺はカルロスだ。カルロス・オリヴェイラ。彼女の仲間と合流するためにヨーロッパに向かっている途中だ……。
 ぼんやりと横たわったまま手を伸ばして自分の隣、ベッドの上を探る。しかしそこに期待したようなぬくもりは無く、あったのはほんの少ししわが寄った冷たいシーツだけ。安堵とも落胆ともつかない思いが胸に広がった。
 自分以外には誰も居ない船室内で目を閉じて、深く息を吸う。一旦止めて、呼気と共に寝起き特有のけだるさを鋭く吐き出しながら目を開ける。それから寝乱れたブランケットをはねのけて、素足のまま床に立つ。まだ少し身体にだるさは残っているが、調子は悪くない。
 下着姿のまま数歩でバスルーム内の洗面台へ向かい、盛大に水を撥ね上げながら顔を洗う。それから髪についた寝癖を目立つものだけ直す。手近にあるタオルで水気を拭い、狭いバスルームから出る。適当に服を着て何とか人前に出られる格好になると、昨夜この腕の中に居た筈の、彼女の姿を求めて船室を後にした。
 やっと人がすれ違える程の幅しかない廊下を右手方向に進み、突き当たりにあるドアを開けると、ダイニングルームへ続く喫煙室に出る。そこに彼女は居ないだろうと踏んで、喫煙室内の左手奥にあるドアから後部甲板に向かう。甲板では潮を含んだ空気の流れと、巨大なスクリューが海水を攪拌する音を感じる事が出来た。だが、辺りをざっと見渡してもそれらしい人影はない。
 手近な階段に手をかけ初めの5段あまりを一息に上る。そこで一度止まり、少し身を屈めてもう一度彼女が居ないことを確認した。それから無意識に足音を忍ばせて、滑り止めのついた金属製の階段を昇ってゆく。昇りきった先にあるのは、穏やかな朝日を浴びる、先程よりもより開放的な甲板。丁度ダイニングルームの上になる。
 注意深く、というよりは用心深い目つきで甲板を見渡し、彼女が居ないかどうか探る。数人ちらほらと居るが、距離があるのでその内のどれが彼女とは特定出来ない。さらに甲板に出ると、身を潜められそうな遮蔽物がほとんどないことに、不安を感じた。こんなに無防備に全身を晒すような場所では、何かあった時に安全が確保できない……。
 そこで彼は思い出す。もはや自分は、そういった世界で生きている訳では無いことを。身体に染みついた習性というのは、恐ろしいものだ。もう消し去ったつもりでいた癖や自分の行動を決めていたあれやこれが、今でも不意をついて顔を出す。ここはあの組織があった場所でも、銃弾の飛び交う市街地でもない。身を潜める遮蔽物が無くて当然の、船の甲板なのだ。こんな所で、一体どんな危険があって誰から狙われるというのか。
 つきまとう過去や不安を追い払うように何度か頭を振り、意を決して甲板にその身を晒す。何も、危険はない。当り前だ。必要以上に緊張している自分に気付き、薄く笑って言い聞かせる。もっと力を抜いて、リラックスするんだ。緊張は、伝染するんだぞ。こんなんじゃ彼女を警戒させちまう。
 二度深呼吸をしてから、左手で手摺りを触りながら時計回りに甲板を移動していく。人に不信感を与えない程度の早さで、意識してゆったりと構える。最初の角を曲がって前方(舳先)に目を向けた時、そのうしろ姿が目に飛び込んできた。


     * * * * *


 一瞬、まだ夢を見ているのかと思った。
 それほど現実離れして見えたのだ。甲板の先に立つ、白いサンドレスを着けた彼女の姿が。朝日を受け、凛と立つその姿が、彼の目には声をかけるのもためらう程に神々しく映る。まるで女神か天使のようだ。
 いいや、彼女は本当に天使なのだ。真の暗闇だった彼の人生に、その剛さをもって希望という光を一筋、投げてくれた。進むべき道を、示してくれた。ジル・バレンタイン。それが彼を導いた天使の名。
 このまま彼女の隣に立つには、自分は酷く不釣り合いな存在だと感じたが、せっかくここまで探しに来て見つけたのに踵を返して船室に戻るのは癪だった。だが、どう声を掛けよう……。どうしたら自然に振る舞えるだろう?
 じっと彼女を見つめたまま、数秒迷って立ち尽くす。やっと決心して足を踏み出し、口を開いた時、彼女がゆったりと振り向いた。彼を見止めて微笑んだあとに唇が動いたが、声が届くには距離があり過ぎて、なんと言ったのかまでは聞き取れなかった。それでもおよその見当はつく。
 一瞬視線を泳がせて、彼は行き場のなくなった半開きの口を無理矢理笑みの形に直す。彼女までの10メートル余りを不自然でない程度の早さで、しかし極力急いで詰めた。そして傍らに立ち、朝の形式的な挨拶をもぐもぐと言う。言うだけ言ってしまうと、彼は両腕を手摺に乗せてそこに体重を預けた。
「案外寝坊助さんなのね」
 彼女の瞳の中に、いたずらっぽい光が浮かんでいる。その声の奥にからかいが潜んでいるのを感じて、彼の機嫌が少し傾く。たとえそれが彼女でも、からかわれるのは嬉しくない。だから……と言うわけではないが、その後の言葉が拗ねたように聞こえてしまうのは、仕方の無いことだろう。
「たまたまだよ。それより、散歩するんなら起こしてくれれば良かったのに」
「あら、それだけの事で気持ち良く眠っている人を起こすなんて。そんな酷いこと出来ないわ」
 彼女は小首を傾げて、起こさなかった理由をそう説明する。本当は全く起こそうとしなかった訳ではない。それどころかいつ目を覚ましてもおかしくない位の事を色々したのだ。確かに目が覚めてから服を着るまでの数分は、起こさないように細心の注意を払った。いくら二人が「そういう」関係になっているとは言っても、白日の下(モト)で身体を見られるのは流石に抵抗がある。しかしそれ以外ならば普通の物音を立てて、普通に行動していたのだ。シャワーを浴びてみたり、幸せそうな彼の寝顔をじっくりと――少なくとも5分は――眺めたりした。それでも彼は目覚める気配も見せなかった。だから無理に起こしたら可哀相な気がして、その寝顔の薄く開いた唇にキスを落として船室を出てきたのだ。しかしそんなことを言う必要はないだろう。
 だが、その程度の説明でカルロスが納得するはずもない。今の彼は、子供じみた感情に支配されている。今までずっと無縁だった感情だ。彼は少し傷ついたような、とてももろい表情を浮かべてこう言った。
「目が覚めた時に、君が隣に居ないことの方がよっぽど酷い」
 ジルは一瞬虚を衝かれた。てっきり短い同意の言葉が来るとばかり思っていて、そんなに真面目な言葉が返ってくるとは思いもしなかったのだ。その真意を探ろうと彼の深い琥珀色の瞳を覗き込む。彼女に向けられるまっすぐな瞳の中に、同じくらいにまっすぐな想いと微かな欲望が閃くのを見た。同時に身体の芯が疼くのを感じて、過敏過ぎる自分の反応に戸惑いを覚える。
「そんな風に感じるなんて……わからなかった。ごめんなさい」
 視線を逸らして謝る。あれ以上視線を合せていたら、彼に反応する淫らな自分を気取られてしまいそうで恐かった。気付かれたらもう、自分を押さえてはおけない。きっとその胸に、飛び込んでしまう。ジルは彼に気付かれないようにそっと深呼吸する。
「ジル?」
 名前を呼ばれるだけで、心臓が跳ね上がる。あぁ、どうしよう。気付かれてしまったのだろうか? 精一杯感情を隠して、彼女は再び視線を重ねる。
 先に動いたのは、どちらだったのだろう。瞬きひとつのあと、気付けばジルは彼の胸に身体をあずけていた。彼のその胸からは、動物を思わせる低い刺激的な音が響いてくる。その音と自分の鼓動が重なった瞬間、彼女は悟ってしまう。さっき彼の中に見た欲望は、自分自身のそれだったのだ。カルロスは彼女を優しく抱き留めて、ためらいがちに、しかしきっぱりと彼女の耳元で囁く。
「このつぎからは、君の腕の中で。君をこの腕に抱いて、目覚めたい」
 それはまるで愛の告白めいていて、なんて甘美な響きなのだろうと思わずにはいられない。囁かれる言葉がまるで福音にも聞こえる。この時ばかりは彼に巡り逢わせてくれた全てのことに、あの忌まわしい生物災害にすら感謝したい気分だった。
「俺の我侭と言ってしまえばそれまでだけど、どうかいいと言って欲しい」
 嫌だなんて、言える筈がない。それは今まで気付かなかった、彼女自身の望みでもあった。自分の望みでもある彼の願いを、どうして拒否する理由があるだろう。それでも口を吐いて出てくるのは、あまり素直でない言葉。
「仕方がないから許してあげる」
 いかにも彼女らしいその言いぐさに、カルロスは声をたてて笑う。それはとても幸せそうな笑顔。つられてジルも笑い出す。それから手を伸ばして、彼の頬に触れた。ほんの少し背伸びをして、まるで羽毛の様に軽くふわりと唇を重ねる。1センチも離れる前に、今度はカルロスから彼女に。



 ――微睡みのなかであなたを感じていたい。生きていると実感させてくれる、あなたの存在を感じたい。
    この未来(サキ)どうなるかなんて誰も知らない。だから、あなたがいる今を。大切にしたい――



- Fin -





アトガキ

 ヒロさんからのリクエストです。『エンディング後ラブ度最大級のカルロス×ジル』ってことで〜。取りかかりまでに時間がかかった割には、意外にすんなり書けて楽しかったです。
 ……毎度のことですが、書いてる最中&書き上げ直後は、本当に寒いんです。今はもう平気ですが。

 前半は、カルロスの一人称といっても通じるような感じです。でも三人称ですよ、一応は(汗)。嫌に説明調なのが気に入らないです。そしてなんだか殺伐とした文章(滝汗)。うーん、でもエンディング直後ってのは、カルロスはまだまだ(自分の中でも)過去を消し切れてないと思うんですね。だから「戦場の兵士」のような、ピリピリした危うい領域にいる人間なんだろうなと。……っても、なんだか私はそんな小説の読み過ぎって印象も受けますね(汗)。特にカルロスが上部甲板に上がるシーン……。

 しかし毎度毎度、名前の出し方に悩みます。いやでもカルロスは案外すんなりだせますね。それよりジルだよ。今回危うくジルの名前出しそびれるところでした。つってもこんな出し方しちゃって、かなり恥ずかしいです。あぅあぅ(TxT)  一応この頃のカルロスのジルに対するイメージって感じでやってみたのですが……こんなん? なんか違いませんか??
 悩むついでにもう一つ。
 どうでも良い(良くもない)けど、カルロスの言葉遣いに苦労します。ゲーム中の通りに使うと、どうにも私の文章に合わない(というか書きにくい)ので、ちょいキザっぽく(違)普通の言い回しに変えてしまっているんですが、駄目? ですかね。
 カルロスの言葉遣いについて、意見求ム(本気)。

 えーっと、コレも毎度の事ですが大暴走です。誰がって、自分(爆)。今回の暴走一等賞は、書いてる本人です。大体あのCGは夕方だったような気がするんですが。朝に変えちゃってるし。実は一度は本気でエロに転ぶと思ってたんですよ、コレ。でもどうにかゲロ甘位で止まりましたね(笑) 結局エロは書けないんだなぁ……私。無駄に自制心が働きます(って、仕事中に会社で書いてる所為もある?)。あぁでも、当初のリクエスト通り(?)ラブラブな感じにはなったような。おかげで心臓痛かったです(壊)。でもコレ書きながら気付きましたよ。なにもコトをヤってるのだけがエロじゃないって(爆)。なにも行動しなくても、えっちく出来るみたいです。精神的エロですね(死)。
 そして何気に私はキスシーンを書くのが好きみたいです。恥ずかしいんですけど。でも書きたい……。最後はもっと「濃く」しようと思ってみたけど、結局あっさりに落ち着きました。初々しい感じで〜(違)。
 ……この後の二人ですか? そりゃ朝御飯食べに行きましたよ(笑) って、そうでなくて?

 この先私はどこまで暴走するのか、自分でも不安であり、楽しみでもあります。
 それではまた、次作でお会い致しましょう。