ノイズ
2018.06.20.
月に数回ほどの割合でその電話は鳴る。
一度短く呼び出し音が鳴って切れ、数分後にまた鳴る。
鳴り続ける二度目の電話を取れば、長い沈黙。掛けた方も受けた方も互いに一言も発さず、探り合いが始まる。その状態が一分ほども続いたあと、通話が切れる。受話器を置いた彼の胸に残るのはいつも、苦い気持ちと安堵だった。
本来ならただ苛立つだけの無言電話。
しかし彼には、相手が誰なのか分かっている。
三回目のとき、押し殺した躊躇いの吐息が聞こえた。苛立ち、ささくれた彼の胸の奥で、しっかりと封をしたはずの箱がごとりと動いた。違う、と思う反面、あの人だという妙な確信もあった。
五回目で彼はとうとう相手に問うた。きみなのか、と。息を呑む音かすかな音と躊躇いの数秒が過ぎたあとに、短くただ「Ya」とだけの返答。その日はそれで通話が切れた。
受話器を架台に戻さずぶらぶらさせながら、彼は薄く笑った。憧憬、満足、後悔、愛。そのほかそういった彼女に関する一切合切の感情を詰め込んでずっと奥の方にしまい込んだはずの箱。その封が、綻びかけていた。
「――そうか」
触れられなければ、手が届かないほど遠くにあれば。この熱病のような感情もやがて治まるだろうと思っていたのに。現実は真逆だった。時が経てば経つほど想いはつのる。逢いたい。触れたい。抱きたい。
だがあの日別れを決めたのは間違いではなかったと、思いたい。
自分が一緒にいたら破滅する。そんな強迫観念にも似た不安が彼にはあった。破滅するなら自分だけでいい、そう思ったからこそ選んだ別れだ。彼女のためだという独り善がりな感情で自分を殺し、彼女を傷つけてあの部屋を出た。
今無言を貫く彼女を責める資格などない。
八回目。彼女は声を殺して泣いていた。
彼は思う。ばかなひとだ。泣きながら電話を掛けてくるくらいなら、逢いにくればいいのに。そしたら涙が枯れる程に激しく、啼かせてやるのに。
しかし彼女が彼の前に現れることはないし、彼が彼女の元へと駆けて行くことも決してない。ゆえに零れる涙をぬぐってやることも、彼女の肩を抱いて慰めてやることもできない。もどかしくてやるせなくて、悔しくて。貰い泣きしそうだった。
だから、時間が許す限り付き合うと決めた。涙が引くまで。彼女の気が済むまで。――彼女が彼を捨てるまで。
暗がりの中で、今夜もまた電話が鳴るのを待っている。
永遠に鳴らなくなるのを期待して。
- Fin -