Carlos & Jill
2017.05.30.
「なぁ、レベッカって」
二人一緒の夜も更けてきた頃。ついつい見ていたテレビ番組に区切りがついて長いCMに入ったのを機に、私はコーヒーを淹れ直そうと立ち上がった。マグカップを二つ手にキッチンへ向かう私の背に、カルロスの問いが飛んできた。
「うん?」
「恋人とかなんか、いたっけ?」
知っているくせに。これはまた、珍しいことを聞くものだ。カルロスがレベッカと一緒にいるところを見かけた誰かが、また仲介役でも頼んできたのだろうか。
コーヒーメーカーにフィルターをセットして、粉の入ったキャニスターを出す。ああ、もう半分近くまで減っている。買い置きはまだあっただろうか。
「いないって聞いてるけど」
――表向きはね。と心の中で付け足した。少なくとも本人はそう公言しているし、普段そういうそぶりも気配もないから、周囲もその言葉を信じている。それに疑問を感じているのは多分、私くらいだろう。
疑問どころか、最近それは確信に変わりつつある。
レベッカには片思いの好きな人どころか、両想いの恋人がいるに違いない、と。
理想や好みを聞けば、毎回俳優の話で誤魔化そうとする。そうでなければまるでティーンエイジャーのように、絶対に存在しないパーフェクトな理想像を語る。それでも注意深く聞いていれば、あいまいな表現の中からぼんやりした人物像が浮かんでくる。それはたぶん年上で、冷静沈着かつ少しシニカルな、軍人風の男。
「そうだよなぁ」
彼の返答は、予想していたものと違っていた。それは自分の持つ情報に間違いがないことを確認して、しかしなにかが腑に落ちない、という声だった。
「どうして? また誰かが紹介しろとでも言ってきた?」
「いいや、この間……見かけたからさ」
言い淀むなんて珍しい。その歯切れの悪さが気に掛かる。なにを見たのだろう。その疑問はそのまま口からこぼれでる。
「なにを」
「レベッカが男と歩いてるところ」
なんだ、そんなことか。水を入れてコーヒーメーカーのスイッチを入れながら、私は笑みとともに吐息をもらした。そのくらいなら私だっていくらでも見かける。毎日誰かしらと歩いている。普通のことではなかろうか。
「あの子だって仕事をしてるし友だちもいるんだもの、そのくらい普通でしょ」
それはそうだけど、とカルロスは口を尖らせた。
「そういう、なんでもない相手には見えなかったぞ」
「なんでもない?」
「同僚とか、ただの友だちとか。そういう男と……腕を組んだりしないだろ?」
ぼんやりとテレビ画面に向いていた視線がチラリと私に飛んできた。そこには、少なくとも私はそうであって欲しい、という願望が透けて見える。それは、そうなんだけど。でもそんなにもわかりやすい表情されちゃったら少し意地悪したくなるじゃない。
私は少し考えるふりをしてから頷いた。
「そうね。よほど親しいか、そうする事情があるかじゃないとね」
わざと含みのある言葉を選んでみる。確かに友人程度の異性と腕を組んで歩くことはない。でもどんなことにも例外はあるし、必要ならばその程度のことを躊躇いはしない。
今度はぐいっとこちらを向いたカルロスの表情がわかりやすく歪んだ。それはどんな事情なんだ、とか、きみは俺以外の男の腕を平気で抱くのか、と問いたいのだろう。少し、可哀想なことをしただろうか。無用な不安や嫉妬を抱かせてしまったろうか。ごめんね、あとで償いはするから。今は少しだけ愉しませて。
きゅっと口を結び言葉を飲み込んだカルロスは、改めて何かを確信したようだ。
「そしたらやっぱり、『そういう』ことだよな?」
「たぶん、そうなんでしょうね」
当面できるせめてもの償いとして、彼の仮定に同意する。
秘密に気付く人が増えるのは仕方がない。良くも悪くもレベッカは――私も、だけど――名も顔も知らていて、それなりに目立つ存在だ。そんな人間にそういう相手がいる以上はいつまでも隠しておけるはずもないし、きっといつか誰かが暴いてしまう。そもそも墓まで持って行くようなもの(秘密)でもないだろう。でも明かさない、ということはそうすべき理由があるのだ。そう、なにか、理由が。
コーヒーは当分落ち切らない。私はキッチンを離れてリビングに戻る。彼の横に立ち少しかがんで琥珀の瞳と視線を合わせた。
でも――
言葉を置いてから、私は指で彼の唇を塞ぐ。
「あの子が自分から教えてくれるまで、秘密にしておいてね」
「俺、口は堅い方だよ。でもこの口止め料は高くつくぜ?」
カルロスは私の手を取ると、そのまま指にキスをした。なんだかくすぐったくて思わず笑ってしまう。にっと笑った琥珀の瞳にいつもの悪戯っぽさと少しの色欲が見えて、さっき私がした意地悪の仕返しをされている気がした。
- Fin -