議会活動

平成13年3月議会一般質問の議事録全文

  

〔1番 布施辰二郎君登壇〕

◇1番(布施辰二郎君) 通告に従いまして、一般質問をいたします。  今回私の質問は、標題で、国土調査について、中心市街地街づくり事業の関連から、そして文化財 に対する考え方についてであります。 項目では、地籍調査について、2核1モール構想について、そして文化遺産と施設についてであり ます。所管にふれることがありますが、ご了承くださいますようお願いいたします。 はじめに、国土調査についてから伺います。昭和37年に国土調査促進特別措置法ができました。 それに基づく国土の基礎調査で、国土の実態を科学的、かつ総合的に調査し、国土の開発、保全並び にその利用の高度化に資するための基礎資料を整備するための調査であります。 この調査は、地積調査、土地分類調査及び水調査の3種類に大別されております。地積調査は、毎 筆の土地について、その所有者、地番及び地目の調査、並びに境界及び地積に関する測量を行う調査 であります。また、土地分類調査は、土地をその利用の可能性により分類する目的を持って、土地の 利用状況、土性、その他の土壌の物理的及び化学的性質、その他の主要な自然的要素、並びにその生 産力に関する調査であります。もう一つの水調査は、治水及び利水に資する目的をもって、気象、陸 水の流量、水質、取水量、用水量、排水量、及び利水慣行等の水利に関する調査であります。  今回は、この3種類の調査のうち主に地籍調査について伺うものであります。地籍調査は昭和26 年国土調査法が制定されて以来着手され、調査初期には、実施主体である市町村等の要望を基礎とし た任意方式で実施されましたが、昭和32年に国土調査法の一部を改正して、特定計画を策定するこ とにより事業を促進する計画方式に移行いたしました。しかしながら、事業の進捗は十分でなかった ため、昭和37年冒頭述べました国土調査促進特別措置法を公布、施行し、昭和38年より10ケ年 計画を定めて実施するようになり、現在第5次10ケ年計画により実施されております。 本市におきましては、ちょうど10年前の平成3年3月、「森林文化に包まれた人間都市…沼田の 創造」をシンボルテーマとして、第三次総合計画を策定いたしました。その中には、市域の開発及び 保全並びにその利用の高度化に資すると共に、併せて地籍の明確化を図るため、本市の実態を科学的 かつ総合的に調査します。とはっきりと国土調査をすると明記してありますが、なぜ実施できなかっ たのでしょうか伺います。 次に、この国土調査が第四次総合計画ではどのようになるのかについてですが、地籍は土地の一筆 ごとの境界、面積、所有者などを示したもので、本市のようにまちづくりなどを進める場合、最も基 礎的な情報となるものと思いますが、第四次総合計画ではどのようになるのでしょうか伺います。  次に、メリットとデメリットについてですが、地籍調査の結果は、土地に関するあらゆる施策の基 礎資料として、広範囲に利用できると思います。例えば土地の境界が明確になり紛争がなくなること。 精度の高い地図により、土木、土地改良、都市計画図等の事業計画が図面上でてきて費用の節約がで きる。土地の売買、分筆などが容易に行えるようになる。公租、公課等の負担の公平化ができる。土 地行政全般の合理化、効率化を図ることができる。などなど良いことづくめのように私は思っており ますが、市長はこの調査のメリットとデメリットについてどのように感じていられるのか伺います。  次に、今後の見通しについてでありますが、群馬県内における地籍調査は、70市町村中、前橋、 安中、渋川市など3市6町5村は、すでに完了いたしております。また、高崎、桐生、太田市など5 市10町11村は、それぞれ地籍調査を実施、継続中であります。本市だけではありませんが、この 調査は遅れていると思います。今後の見通しについてどのようになっているのか伺います。  次に、まちづくり事業の関連から、2核1モール構想についてですが、この構想ができてから20 年位になるでしょうか。材木町の一角を含めて2核の時代がありました。そして一昨年の秋頃から、 上之町と下之町の2核に変わりました。私も過去2回、このことについて一般質問しておりますが、 その都度、2核1モールは変えないでいくということでありました。しかし、20年も30年も経て ば街並みも変わってくると思います。この2核1モール構想は、市長の基本理念とも言われておりま すが、最後まで構想の変更はないのでしょうか、伺います。 次に、商工会議所との連携は順調かについてですが、3年前から始まった街なか再生事業も公共用 地の先行取得が進み、約1万平方メートルの予定地に対し70%を超えたことは聞いております。先 行取得が終われば、換地の準備作業に入ることになると思います。そして2002年度から実際の換 地作業が始まるということですが、換地となれば事業主体の市と、地権者と、そして商工業の改善や 発達をはかることを主な仕事としている商工会議所との連携が重要になってくると思います。まちづ くりについて、会議所との連携は順調に推移しているのかどうか伺います。 次に、西の核サテイの撤退問題で、風評が飛び交っているについてですが、マイカルグループは新 聞等でも何回か報道されましたが、この中で、2004年2月期までに、全体で約50店舗の閉鎖、 そして2,700人の人員削減などのリストラ策を柱とする新中期3ケ年経営計画を発表いたしまし た。本市のサテイもご多分にもれず、新聞報道があるごとにさまざまな風評が飛び交いました。例え ば、市で丸ごと買う話や、沼田郵便局が入る話、あるいは市で半分買って、残りは民間会社などが入 る話などなどありました。市長もお聞きになった話があると思いますが、これは撤退問題が出てから 短期間で決まりが付かなかったり、まちづくりの関連を心配したことなどで、噂話が出たと思います。 市が直接営業とかに携わっているわけではありませんが、出資をしている沼田土地開発株式会社の取 締役の立場などから、市民が安心をして買物ができるようにと思っておりますが、市民説明について どのように考えておられるのか。また、されるのか伺います。 次に、TMOのその後の状況についてでありますが、現在、商工会議所から職員の出向をいただい て取り組んでいることは承知を致しております。産業全体に関係するTMO、まちづくり株式会社で ありますので、1日も早い確立、設立をと願っておりますが、その後の状況についてどのようになっ ているのか伺います。 次に、文化遺産と施設についてから、土岐氏の文化遺産についてですが、沼田土岐氏の祖先となる 土岐山城守定政は、徳川家康に仕え、二代、三代、四代と移り変わり、五代頼稔(よりとし)が17 42年、沼田城主となったのであります。そしてまた、二代、三代、四代と続いて、12代頼知(よ りおき)が明治4年、1871年沼田県知事を退任するまで、土岐氏時代は実に130年間続いたの であります。そして現在も続いておりまして、土岐氏の子孫、実光(さねみつ)氏であります。この 実光氏が、沼田藩諸史資料及び土岐家の古文書、武器具類を多数保存、貯蔵・秘蔵され、多くの貴重 な資料を沼田市に寄贈されました。これは本市の財産であり、宝物であります。その宝物が現在本市 にはなく、県に預けてあると聞いておりますが、どのようになっているのか伺います。 次に、なぜ本市で公開できないのかについてですが、土岐氏12代頼知が、慶応3年最後の沼田藩 主となり、次の年、慶応4年9月に明治に改正されました。そして、明治4年、沼田県が廃止され、 群馬県となったのであります。譜代大名として12代、130年間も土岐氏は沼田で藩政にあたりま した。当時の生活様式、文化など詳しくわかると思いますし、広く一般の人々にも紹介する義務もあ ると思いますが、なぜ公開できないのか伺います。 そしてるる述べましたけれども、本市は、近隣市町村にはない、寄贈された遺産や近世の遺産が豊 富にあります。しかしなぜ博物館や美術館を作らないのか伺います。また、計画はどのようになって いるか、併せて伺います。 次に、本市出身の彫刻家の美術館が他市で設置されたことについて伺います。市長もご存じのこと と思いますが、昨年12月2日に渋川市で、本市出身の桑原巨守彫刻美術館がオープンいたしました。 新聞報道でびっくりしましたが、直観的に、なぜ渋川市なのだろうと一瞬悔しい思いをいたしました。 新聞報道によりますと、群馬銀行が空スペースを約1億4,000万円かけて改修した後、市が借り 受けるもので、市側が金利などを含め今後20年間、改修費分の賃料を同行に支払っていく賃貸方式 をとるということです。そして巨守氏の遺族からは、収蔵品など約400点の寄贈も受けたと聞いて おります。日頃、文化を大切にし、守っていくと言われている市長は、このことを見聞きされてどの ように感じられているのか。最後に伺いまして、最初の質問を終わります。明解なる答弁をお願いい たします。

◇議長(金井数雄君) 市長。

〔市長 西田洽司君登壇〕

◇市長(西田洽司君) 

ただいまの布施議員のご質問にお答え申し上げます。国土調査について、そ の内の地積調査についてでございましたが、はじめに、第三次総合計画期間に載っているのに何故実 施できなかったのかについてでございました。議員ご指摘のとおり本調査につきましては第三次総合 計画の施策体系に盛り込みその実施に向けて研究を進めてまいりましたが具体的な事業化までには至 りませんでした。その理由といたしましては、計画期間の当初はバブル経済の絶頂期にあり土地に対する市民の関心 が極めて高かったことにより境界問題等にシビアな感情があり境界紛争に介入する度合いが多くなる と予想されたことであります。調査計画期間が長期にわたることからこの体制をどうするか、また、 市民の周知、協力に対する熟度が希薄であったことなどなどにございます。しかし、調査に対しては、 全く放置していた訳ではなく国土調査法第19条第5項については可能な限り対応してまいりまし た。次に質問の順ではございませんが調査のメリット、デメリットについてお答え申し上げます。メリ ットとしては、行政コストの削減、行政財産の適正な管理、境界トラブルの解消、災害復旧への対応 等が考えられます。デメリットとしては、調査期間が長期にわたること、それに伴い市の財源負担分 も経常的になること、市民の現状の境界紛争等に介入を余儀なくされ多くの労力と時間を要すること などが考えられますが、メリット、デメリット等についても十分検討をしてまいります。次に、第四次総合計画ではどのようになるかでありますが、今後の見通しについてと、併せてお答 えを申し上げます。第四次総合計画においても第三次総合計画の積み残し課題として引き続き研究を 進めその実行を図ってまいりたいと考えおり、昨年5月に閣議において決定された国土調査第5次1 0ヶ年計画とも時期を一にしておることから、これらの状況にも十分配慮して出来る限り早期に事業 化を図って行きたいと考えています。 続きまして、中心市街地のまちづくり事業の関連から、2核1モール構想について、構想に変更は ないのか、でございましたが、平成11年度に「やさしさの核、にぎわいの核、商業・居住・その他 施設」について、ワークショップから提案を頂きましたが、これを受けて平成12年度では実施本部 において、行政としての検討を行って参りました。実施本部は、まず関係する係長クラスによるプロ ジェクトチームを設置し、「ワークショップがまとめた提案内容の評価と課題整理」を行い、この結 果を基に関係課長による専門部会を設置し、政策的な見地から検討を行い、その結果を「やさしさ・ にぎわいの核提案書」にまとめ、2月19日開催の街なか再生対策特別委員会に、26日にはまちづ くり協議会三役の皆さんに、3月1日には本町通り商店街連合会特別委員会の皆さんに説明させてい ただきましたが、ワークショップ提案に加え、昨年12月には第四次総合計画も策定したことから、 基本的な考え方についても見直しを図ったものであります。 2核1モール構想につきましては、すでにご承知の通り、昭和60年度に策定した「沼田地域商業 近代化計画」で打ち出された、いわば地元の皆さんにより合意形成された構想でありまして、これを 市として応援してきたものでありますが以降、社会・経済状況は大きく変わって参りました。この構 想は、「西と東に商業核を作り、その間を消費者が比較購買のために行ったり来たりすることにより、 モールが形成される」という考え方でありましたが、この構想策定当時と社会構造が大きく変わり、 現在では東に商業核をもう1核作ることではなく、下之町の商業核、中町のやさしさの核、上之町の にぎわいの核及び商店街がそれぞれ異なった役割・目的を持つことにより、これまでの「買物」とい う同一目的の回遊から、「多目的な回遊性が生まれる商店街」という考え方が地元関係者の間で支配 的になってきております。次に、商工会議所との連携は順調に推移しているのか、についてでありますが、これまで通り連携 を取りながら、中心市街地活性化事業を進めておりますが、更なる進展を期待しているところであり ます。 次に、沼田サティ問題につきましては、議員も既にご承知のことと存じますが、2月14日に開催 されましたマイカルグループの経営対策会議において、沼田サティについて検討がなされた結果、経 営を存続することが決定された旨の報告を2月19日に来庁したマイカルの幹部から正式に受けた訳 でございます。このことにつきましては、直ちに所管の委員の皆様方に報告するとともに、当日開催 されました街なか再生対策特別委員会にもお許しを得て報告させていただいたところであります。ま た、4月中にはリニューアルオープンするということでございますのでご理解いただきたいと思いま す。次に、TMOその後の状況について、でありますが、商工会議所は昨年7月13日にTMO構想策 定委員会及びワーキング部会を立ち上げ、今日までTMOの構想策定を進めてきておりますが、昨年 12月6日にはワーキング部会から策定委員会に「中間報告」がなされたところであります。また、 最終的なとりまとめは3月中旬までには行われ、商工会議所会頭に報告される予定と伺っております。 以上申し上げまして、布施議員のご質問に対する市長答弁とさせていただきますが、文化財に対 する考え方につきましては、所管から教育長からご答弁申し上げますので、よろしくお願いいたしま す。

◇議長(金井数雄君) 教育長。

〔教育長 角田利喜雄君登壇〕

◇教育長(角田利喜雄君) 先ほどの、布施議員のご質問にお答えします。  「文化財に対する考え方について」の「文化財遺産と施設について」のうち、「土岐氏の文化遺産 はどのようになっているのか。」でありますが、土岐家の資料は、昭和54年5月子孫である土岐実 光氏より寄贈を受け、翌年から群馬県立歴史博物館に資料の保管を依頼しております。次に、「何故本市で公開できないのか。」でありますが、寄贈を受けた年の8月29日・30日の 2日間利根沼田文化会館において展示公開を行い、平成3年5月、旧土岐邸洋館を寄贈され移築した ことに伴い、県立歴史博物館に預けてあった資料の一部を展示しております。また、平成2年には、県立歴史博物舘において、「沼田藩・土岐時代の歴史と文化」と題して企画 展を開催して一般公開も行ってきているところでございます。次に、「展示品はあると思うが、何故博物館や美術館を造らないのか。また、計画はどのようにな っているのか。」でありますが、第三次総合計画の中においては実現ができなかった訳でございます が、第四次総合計画に基づき整備・建設について検討・研究を進めて行きたいと考えております。 次に、「本市出身の彫刻家の美術館が、他市で設置されたことについて」でありますが、桑原巨守 彫刻美術館は、桑原巨守先生の旧制沼田中学校における、渋川市在住の同窓生の働きかけもあって、 実現したと聞いております。以上申し上げまして、布施議員のご質問に対する答弁とさせていただきます。 ◇1番(布施辰二郎君) ご答弁をいただきましてありがとうございました。何点かについて再質問 をさせていただきます。 まず、地積調査の件ですが10年も前にこの計画を立ててですね、実行できなかったわけですけれ ども、これは特別の理由でもない限りですね、先ほどバブルの絶頂期だとか、あるいは市民から苦情 が出るというようなお話しがございましたけれども、10年も前にこの計画を立てて実行できなかっ たということは、これは一般社会ではちょっと通用しないような話だと思うのですね。例えば、この 第三次総合計画は平成3年にできておりまして、そのまた何年も前から市民の意識調査をしたり、市 民の検討委員会などを作って意見を聞いたり、提言をしていただいたりしているわけですが、そして 審議会条例を作って、審議会でも何回も審議をしていただいて、そしてその計画の入った第三次総合 計画ができたわけです。しかし10年経ってもできませんでした。こういうことはこの検討委員会の 皆さんだとか、審議会の皆さんにこれは申し訳ないと思うのですけれども、市長はいかがでしょうか。

◇市長(西田洽司君) 布施議員のただいまのご質問にお答えを申し上げます。  先ほども申し上げましたが、全然手を拱いているわけではございませんでした。沼田市では、土地 区画整理事業、これは当時行われておりませんで、他市はほとんど行われておりましたが、当時私ど も沼田市は、全面的に農業基盤の土地改良事業に入っていたところでありますし、益々進もうとして いた当時でございました。ご承知のとおり、先ほども申し上げましたが、19条5項の中に、土地改 良事業も国政調査の国土調査と関連をして認可されることから、こちらを進めるべきではないかとい うことで進めてきた経過がございます。したがいまして現在では、街なか再生によりまして区画整理 も行われておりますし、こういったタイミングを図りながら進めていくことがベターであろうと、か ように考えているわけでありまして、19条5項の土地改良事業についての国土調査との連動性につ きましては、今までも努力をしてまいりましたし、そのまま認定されるものと理解をし、これからも 進めてまいりたい。こういうスタンスでございますので、ご理解をいただきたい次第でございます。

◇1番(布施辰二郎君) 一生懸命、皆で計画を作って10年経ってもできなかった。それは、土地 改良事業、19条5項、これは私もちょっと勉強不足でわかりませんけれども、しかし他市ではやっ ていることでもありますし、本気でやろうとしていたとはちょっと思えないのですね。これはだから できなかったのではなくて、やらなかったのではないかと思うのですが、今月いっぱいで第三次総合 計画も終わりになります。この国土調査、地籍調査ですね、本当にどういう検討をされてきてそうな ったのか。計画を立てただけで今日まで来てしまったのだと、実は私も気がしていたわけですから。 その辺いかがでしょうか。どのような検討をされてきたのでしょうか。

◇市長(西田洽司君) いわゆる国土調査を進めるのは、大変長期間、膨大な予算もかかります。各 市におきましても当然でありますけれども、推進室なども設ける。それなりの体制を整えてスタート をしているはずであります。先ほど申し上げましたように、沼田市は農業土地基盤の土地改良事業に その当時から全力投球をしてきた経過がございまして、この土地改良事業がそのまま19条5項で国 土調査と同じ結果として認定されることから、そちらに重点的に職員配置を行い、そちらに全力を尽 くしてきたということでございますので、ご案内のとおり19条5項に係わる部分につきましては、 スタートと同時に沼田市における何10%かはすでに調査済みという形になるはずでございまして、 そのような戦略で沼田市は効率的に進めていることでご理解をいただきたい次第でございます。  いま一つ、なぜ逡巡していたかにつきましては、お詳しい布施議員のお話しでございますから、も うすでにご承知かと思いますけれども、調査方法が大変進歩いたしておりまして、GPS、GIS等 々の方法も変わってきておりますし、近いうちには、今まで行われたところはむしろ訂正をしなけれ ばならない。世界共通の基準を日本も作ろうとしております。したがって、これに合わせてやる方が 再度の訂正がいらないだろうという判断もございます。

◇1番(布施辰二郎君) さすが市長、GPS、GIS、私なんかより勉強しているなと今感じまし たけれども、人に関する記録として戸籍がありますように、土地についてもやはり記録をしておく地 籍というものがあるわけでして、国土を正確に、漏れなく記録するための土地の基礎調査が、基礎調 査であるわけです。その内容は一筆ごとの土地について所在、地番、地目、境界の調査、そして登記 簿に記載された所有者に関する確認と境界の測量及び面積の測定で、調査結果は一定の手続きを経た 後に登記所にある登記簿や公図の書き換え、公図が書き換えられて不動産登記に反映されることにな っているわけですが、西欧先進国ではすでに地籍調査は全部完了しておりまして、土地の高度利用が 図られておりますが、わが国における土地の調査はその時代の基本的政策や制度と結びついて行われ てきておりまして、明治時代に尺貫法で作成された地押し調査図、字切り図とも呼ばれているそうで すけれども、それが現在も土地台帳附属地図として土地台帳が廃止された今日でも利用されているの ではないか。こういうことです。この地図は、当時の幼稚な測量技術や課税に対する配慮などで、実 際の土地と比べて不正確だということですが、しかし土地を基準として市民に課せられる各種の負担 は正確な地籍に基づいて行われなければ平等の趣旨に反する。こんなふうに感じておりますが、その 辺はいかがでしょうか。

◇市長(西田洽司君) お説のとおりでございます。

◇1番(布施辰二郎君) そうしますと地籍の不備、あるいは欠陥、早急に改善する必要があると思 っておりますけれども、この点はいかがでしょうか。

◇市長(西田洽司君) 地籍調査の必要性は私は一つも否認しているわけではございませんで、議員 さんと同じ考え方でございます。したがって第四次総合計画についても、これは進めていきたいとい うことに考えている次第であります。

◇1番(布施辰二郎君) 土地の戸籍と言われているこの地籍ですね、土地の一筆ごとの境界面積、 所有者などを示したもので、本市のようにまちづくりなどを進める場合、最も基礎的な情報となると 言われております。この調査が済んでないと、土地の取り引きの際、個人負担で土地の実測や登記簿 の訂正、隣接の地主との境界確認の協議が必要になり、時間がかかる、それから地震や水害で地形が 変われば現状回復のための土地の権利調整に手間取り、災害復旧が遅れるなどの弊害が出てくると思 うのですが、今後の見通しについて伺います。

◇市長(西田洽司君) 先ほど申し上げましたように、土地改良事業は着実に進め、これが国土調査 と結びつく調査でございますし、また認可もされるわけでありますから、これは着実に行い、さらに 沼田市において中心市街地の活性化事業が始まっておりますので、これを着実に進めながらこれまた 国土調査として認められているわけでありますから、これらを進めながら1日も早く進めていきたい。 かように考えている次第でございます。

◇1番(布施辰二郎君) それからこれは、確認のために1点お聞きしますけれども、現在の旧土地 台帳附属地図は、一般には公図と言っておりますが、明治9年から14年頃にかけての地租改正の際、 地租の対象となる土地の所在、範囲、区域を明らかにするために作成された字切り図などを基礎とし て、さらに正確にするために明治18年頃から現地調査をして作成、補正したものを基本としている ということです。そして明治22年、土地台帳制度の創設に伴い土地台帳附属地図が備えつけられて、 その当時は、税務署、役所に保管されるようになったということですが、その後の土地の移動に伴い 修正され、また書き換えられて現在に至っているということです。当時の測量技術は十分でなかった ので、その制度もあまり高くなっかったと言われておりまして、特に山林、原野については見取り図 的なものが大半を締めていると、こういうふうに言われておりますけれども、この公図ができてから 100数十年経った現在でも、おそらくそんなことはないと思うのですけれども、これに基づいて業 務を行っているのかどうか。これは確認でございますので教えていただきたいと思います。

◇市長(西田洽司君) ただいまのご質問に対しましては、事務的なことでございますので、担当の 方からご答弁申し上げます。

◇総務部長(武井 博君) 命によりお答え申し上げます。  課税につきましてはすべて台帳形式によって課税しているところでございます。

◇1番(布施辰二郎君) 台帳形式ということで、多少安心はいたしましたけれども、次にですね、 群馬県内70市町村ありますけれども、現在41市町村が着手をしております。これは約60%に当 りますが、そしてこの調査期間ですけれども、すでに完了したところを調べてみますと、先ほど市長、 時間がかかるということをおっしゃっていましたが、確かに短いところで10年、長いところは20 年、30年、40年もかかっております。第四次総でもはっきりと、この国土調査の実施とありまし て、これは沼田市の将来のためにですね、ぜひとも、1日も早くお願いしたいですし、また着手した 方が本市のためにもなると思うのですけれども、着手の点についてはいかがでしょうか。

◇市長(西田洽司君) 先ほど申し上げましたように、国土地理院における測量の基準が日本独自の 基準から世界各国で標準にできる基準に変更する準備を現在進めているわけでありますので、それら がおそらく近いうちに基準設定がなされると思いますので、そのときにはタイミングは合わせなけれ ば当然ならないと考えておりますが、それはそれといたしまして、1日も早い着手につきましては、 引き続き努力をしていくつもりでございます。

◇1番(布施辰二郎君) 基準設定ができた時点で考えるというようなご答弁だと思うのですけれど も、着手をするというふうにはできないですか。第四次総、基準設定ができた時点で着手をすると。 こういうふうなご返答はいただけないでしょうか。

◇市長(西田洽司君) 先ほどから申し上げておりますように、沼田市におきましては市街地におい ては土地区画整理事業、農地につきましては農業土地改良事業等々で、現実的な国土調査は進行中で ございますので、やっていないのかというとやっていますということになりますし、そういう意味で はさらにご意思に沿うように進めてまいりたいと考えておりますが、先ほども申し上げたとおり、私 もあまり詳しいわけではありませんが、現行の座標計の位置が東西で450m移行するようにと漏れ 伺っておりますので、既にやったところはそれを全部訂正しなくてはならないということになります。 したがってそれが近いうちにできるのであれば世界基準に合わせた方がここまで来ればいいのではな いかというような考え方も一方にはございますが、その間、手を拱いているわけではございませんで、 土地改良事業、あるいは区画整理事業等々着実に進めることによって国土調査は着実に19条5項の 項目によりまして成果を上げるわけでありますから、そういう方向で進んでいきたい。しかしながら ただいまのお話しのとおり、諸準備につきましては着実に進めていくことについてはいささかも後退 しているところではない。こういうふうにお考えをいただければありがたいと思っております。

◇1番(布施辰二郎君) 着実に進めていっていただけるということでございますので、次に移りま す。この調査に対する経費についてなのですけれども、私の調査では、例えば1キロ平方メートルの 調査費が確か2,300万から2,800万ぐらいでしたかね、そういうふうになっておりますけれ ども、確かに時間もかかる、金もかかる、そういうことなのですけれども、煎じつめてみますと単独、 市の持ち出し分は5%くらいではないか。そういうことになると思いますけれども、その辺はいかが でしょうか。◇市長(西田洽司君) そのとおりだと思います。

◇1番(布施辰二郎君) お金がかかったり、時間がかかったりで大変だろうと思いますけれども、 結果的には市の単独持ち出し分は5%くらいということになればぜひこれは前向きに進めていただけ るということですけれども、ぜひひとつお願いをしておきます。 次に、2核1モールについてでありますが、先ほども市長からお話しがございましたけれども、東 の核と黙されていたいせやが撤退したときに見直しを行いまして、上、中、下の3カ町の中で2核を 再生して行こうと、こういうことでこれが確立をされております。しかし最近、やはりまちづくりが 進む中でサティなどの話題があったり、あるいはにぎわいの核ややさしさの核があったり、その他に も核ができるような気がいたしておりまして、ご答弁にもありましたけれども率直に言ってなぜ2核 1モールにまだこだわっているのかなと。そんなふうなことを思いましたので質問をさせていただき ました。まだ、こだわってずっーとやっていくのでしょうか。

◇市長(西田洽司君) 何回も、何回もご答弁を申し上げておりますので、おわかりだと思ったわけ ですけれども、まだ2核1モールにこだわるのか。もうすでに2核1モールという形から脱却をしつ つあるということはご承知のとおりでございまして、先ほど市長は2核1モールを、何という表現を されたのか、先ほどのご質問の中で市長の基本理念というふうにご質問があったようでありますけれ ども、ご承知のとおりこの2核1モール方式は、昭和60年に当時の商工会議所、会頭さんは山内さ んでございましたが、この方が国の支援を受けて、商店街の近代化計画を策定をしたものでありまし て、それを当時の堀江市長さんが全面的にこれについて賛意を表するということを見ても明らかなよ うに、これは地元の考え方でございまして、それを市が推奨したという形でございますから、それは 大事にしていかなければならないというふうに私も思っておりますし、2核1モールという言葉が出 てきておりますが、現実に当時の商業核を2つ作るという認識からかなり現在は変わってきておりま して、ご承知のとおりにぎわいの核、やさしさの核等々を加えていくということでございまして、単 純に2つの商業核を作るということからは、地元の考え方も、また市役所のプロジェクトチームも、 ワークショップも、かなり考え方が変わってきているということでございますので、私は2核1モー ルで昔のとおり2つの商業核を作って真ん中を商業モールで結ぶ、そういう単純な時代ではないとい う認識はもう前から申し上げているわけでございまして、どうかひとつご理解をいただきたいわけで あります。言葉の上だけで2核1モールが出て、そちらの方がいつになっても変わらないのかと言え ば、むしろ布施議員さんの認識の方がむしろ硬直しているというふうにいわざるを得ないわけであり まして、どうかひとつご理解をいただきたいわけです。

◇1番(布施辰二郎君) 市長ずいぶんきついことをおっしゃっいますけれどもね、私は2核1モー ル、だって何回も一般質問でも過去やっておりましてですね、その都度、市長は、2核1モールはず っと推進していくのだということをおっしゃっていたものですから、それは市長、今の答弁はおかし いと思います。ですから、その核がやさしさの核だとか、にぎわいの核だとか、いろいろできてきて いるから、まだ2核1モールをやっていくのか。そうしたらとっくからそういうふうになっているよ ということをおっしゃっていらっしゃいますけれどもね、これは議事録を市長、もう一度見て見てく ださいよ。それはおかしいと思う。じゃあいつから、今度は2核1モールではなくなったのですか。

◇市長(西田洽司君) これは表現の言い方でありまして、60年の当時に行われた近代化計画が基 本になっている限り2核1モールというニックネームはそのまま使っておりましたけれども、内容が 変わっているということはどうかひとつご理解をいただきたいわけであります。

◇1番(布施辰二郎君) そうしますとですね、これにこだわっていて申し訳ないのですが、じゃあ 2核1モールは今度もうなくなるのですね。その点一つだけ確認させてください。

◇市長(西田洽司君) 2核1モールというのではなくて、沼田市の商店街近代化計画という正式な 名称はそのまま続いていくわけでありまして、2核1モールというのはニックネームでありますから、 そのときどきによって3核モールになるか、4核モールになるか、これからワークショップの提案を 受けてプロジェクトチームで積み上げ、専門委員会で積み上げて議会にもご相談を申し上げ、まちづ くり推進協議会の方にいま下ろそうとしている、そういった問題の内容はまだ浮動的でありますけれ ども、沼田市の商店街近代化計画、そのものにつきましては変わらずそのまま進めていこうというこ とでございます。先ほど申し上げましたように、その当時の材木町の一部は欠けて、今度は土地区画 整理事業の範囲には入っておりませんけれども、2核1モールというニックネームはこの際、確立さ れたところで、まだ2核1モールが線上に残って議論をしておりますけれども、それが市民合意が得 られ、議会のご同意をいただき、地元でも新たな計画が確定した段階にはそれにふさわしいニックネ ームができるものと思っております。

◇1番(布施辰二郎君) しつこくて申し訳ないですけれども、この2核1モール、やめるとか、や めないとかおっしゃっらなかったですけれども、じゃあこれから議論によればまた3核になり、4核 になり、そういうこともあり得るということですか。

◇市長(西田洽司君) それは当然でしょう。10年も20年も経っているわけですから。その間に まちづくりが変化していかなければおかしいのでありまして、今一番ベターなまちづくりはどういう 形かというのをいま大議論をこれからやっていこうという時ですから、それが決まったときにはかつ ての2核1モールというニックネームは今度は3核になるか、4核になるかということでご理解がい ただければありがたいと思っておりますが。スタートは2核1モールの構想からスタートして現在議 論中であるということでありまして、一定の方向は出てまいりました。すでに今考えますと下之町に 一つ、真ん中にやさしさの核、それから単純なる商業核ではありませんけれども、東のにぎわいの核、 こういったものをいま考え方として出ておりますから、これがもし確定をして、これで行こうという ことになったときには、新たに2核1モールでなくて3核2モールになるかもしれません。このニッ クネームはそのときの皆さんで考えていくということでありまして、決してかたくなに2核1モール だから何10年も2核1モールだというわけではないので、2核1モール議論の上に乗っかっていっ て、3核になろうか、4核になろうか、そういう議論中であるということでありますから、確定され た段階には新しいニックネームは付くものと考えております。

◇1番(布施辰二郎君) 核についてだいぶ時間をとってしまって申し訳ないと思います。2核1モ ールではなくなるというふうに解釈をしております。結局は核がいっぱいできてきて、これでどうす るのかなと思ったものですからお聞きをいたしました。 次に、商工会議所との連携について1点伺わせていただきますけれども、先ほども述べましたよう に、商工会議所とは全国の主要都市に設けられておりまして、商工業者の地域的な団体であります。 商工業の改善、発達を図ることが主な目的なわけですけれども、一方この中心市街地活性化事業の方 では、市がその事業主体となって現在進行中であるわけですけれども、事業をスムースに進行させる ためにはですね、やっぱり両者の協力な結びつきと言いますか、この協力ですね、これが絶対不可欠 と、こういうふうになってくるわけであります。市長がよく言われております温度差でありますけれ ども、会議所との温度差、全くそういうことがないのかどうか。安心していていいのかどうか。その 辺をお聞かせ願いたいと思います。

◇市長(西田洽司君) 商工会議所は市の方の委託事業もたくさんありますし、重要な商工業の中核 機関ということで私どももご支援申し上げるべきは申し上げ、健全な発展を大変願っているところで ございます。その商工会議所と市が、街なか再生事業について温度差はどうかということになります と、私はそれなりの温度の調節と申しますか、商工会議所から私ども市役所の都市整備部の方に派遣 をいただいたりしながら、同じくらいの温度で進んでおるものという理解でございますけれども、も しもそのようなご質問が出る背景を考えますと、さらに両者の話し合い関係は緊密でなければならな い。こんなふうに思った次第でございます。

◇1番(布施辰二郎君) 大体いまのところ同じくらいの温度だということでございますので、これ も1点安心をいたしました。 次にですね、閉鎖か、存続か、で注目をされておりましたサティの撤退問題ですけれども、去る3 月1日の新聞を見ました。沼田サティ存続決定という記事を見ましてですね、これは担当からもだい ぶ詳しくは聞いていたのではありますけれども、率直に良かったなと思っております。これは以前か らリニューアルして出直すという話は聞いておりましたけれども、先ほども述べましたようにいろい ろとこの噂話が広がっておりましたので、やっぱり皆さんに安心をして買物をしていただくためだっ たり、地元商店など多くのテナントの皆さんにも「どうなるのだろう」という不安もありました。で すから、どんな方法でも何か説明が必要だと。そんなふうにも思っていたものですから、例えばサテ ィの広告ビラの隅にでもですね、こうこう、こうなりましたと。こういうふうにでも出してでももら えればと思っていたのですが、去る1日の新聞でですね、街なか再生の核確保という記事を見ました ので一安心。これは市民もそうでしょうし、市長もそうだと思いますけれども。特に質問はないので すけれども、この交渉を続けてこられてですね、苦労されたこと、あるいはもう1点、ずーっとこれ から長い間安心していていいのかどうか。こういうことをもしわかったら教えていただきたいと思います。

◇議長(金井数雄君) 休憩いたします。

◇議長(金井数雄君) 休憩前に引き続き会議を開きます。

◇市長(西田洽司君) 休憩前の布施議員のご質問にお答えを申し上げます。  サティの件につきましては、大変市民の皆様方の中にもご心配があったということは推測されるわ けでございます。しかしお蔭様をもちまして存続決定ということで私も喜んでいる次第でございます。 ただいまのご質問は、当然、沼田市議会議場でありますから市長に対してのご質問と解釈をさせてい ただくわけでありますが、沼田都市開発株式会社の代表権を持たない、平取締役とは言いながら、そ ちらの取締役の立場もございます。したがいまして、サティの問題につきましては、市長の立場で取 締役としてやることよりは、むしろ沼田市の立場は助役を中心に折衝をしていただくことがむしろベ ターであるという考え方で助役さんにご苦労をいただいたわけでございます。このような中で市民の 皆様方、議会のご支援もございまして、お蔭様で決着を見たことは新聞で見ていただいたとおりでご ざいます。さて、これから心配はないのかというご質問でございましたが、もとより商売は生き物で ございます。したがって未来永劫心配はないという見識を述べるような状況にはないことはご理解い ただけると思うわけでありますが、少なくとも契約期間が結ばれている程度は、まずは撤退はあり得 ないというような現在認識でございますので、ご理解をいただきたい次第であります。

◇1番(布施辰二郎君) 担当からだいぶ詳しくは説明は聞いてあったのですけれども、やはりこれ は心配でございますので、先の質問、本当に良かった、皆さんが安心できた。ここまでは良かったの ですが、その過程と言いますか、苦労されたこと、助役さんが交渉に当られたということでしたけれ ども、そういう苦労されたことなどありましたらですね、後学のために聞かせていただきたいなと思 います。 それから、契約期間は大丈夫だということですけれども、これは最初の契約から20年ということ でしたけれども、その20年間はだいじょうぶと、こういうことなのでしょうか。

◇市長(西田洽司君) ただいまのご質問で直接交渉に当った助役から追加があれば補足をいたさせ ますが、マイカルグループの戦略会議において結果的に沼田サテイは存続するという戦略本部会議で 決定したことを受けて、担当重役から直接私がその結果について聞かされたわけでありますが、その ときの担当常務のお話し等々を総じてみますと、沼田サティについては、沼田市のまちづくりと一体 に進んでいくという考え方を述べられたわけでございます。そのとおり素直にとっていってよろしい のではないか、そういう印象は受けました。さらに、契約期間でありますけれども、現在結ばれてい る契約期間よりさらに伸びる契約期間も現在確定交渉に向けて進んでいるわけでありますので、ただ いまの20年という数字でお答えをするよりも、さらに明るい見通しを得た次第でございます。

◇助役(下田順三君) それでは、私の方から一言だけ申し上げたいと存じます。  個々具体的なことについて苦労したということは、あえて取り上げて申し上げることはございませ ん。ただ、一連の経過の中で、下之町地区の市街地の再開発事業が、地元の石澤組合長をはじめとす る関係者が大変ご努力されて、市と一体となってあのような再開発ビルを立ち上げたという経過を理 解していただくことと、そういう経過を踏まえて地元の商店街とマイカルサテイが今後も一体となっ てぜひ沼田の商業の核としてがんばっていただきたいということをご理解いただくことに務めたとい うだけでありまして、特別な苦労はありません。お蔭様でマイカルさんにも深いご理解をいただいて、 そういう道が開けたということだけを大変うれしいと思っているだけで、特に苦労はございませんで した。

◇1番(布施辰二郎君) ただいまご答弁いただいたように、20年以上になるとかですね、実は2 004年からはどうなるのかなということをちょっと心配していたものですから、大変市長はじめ関 係者のご苦労が推測できるわけでございます。ただいまの助役さんの答弁でもずいぶん謙虚になって しまったなと感じもするのですけれども、本当にご苦労さまでございました。本市は、サティは何と いっても街なかにあるわけですから、どうしても撤退とかそういうことは避けていかなければならな い、そういう1年でありましたので大変ご苦労さまでございました。ずっと末永くですね、ご支援の 方もお願いをしておきたいと思います。 次にですね、TMOについても1点伺っておきたいと思います。やはり市街地活性化のためには欠 かす事のできないマネージメント機関であります。私は設立が少し遅れているのではないかと思って いるものですから、質問をさせていただいているのですけれども、例えば基本計画の概要版の中で、 まちづくりの行動計画を見ますと、まちづくり機関TMOによる街の運営と商店街の運営、そういう ことが書いてございまして、11年の中頃からこれがスタートすることになっているわけでございま すけれども、設立に向かってどのような取り組みをいまされているのか伺います。

◇市長(西田洽司君) 先ほど冒頭のご答弁で申し上げたとおりでございまして、今月の中頃間近に なってきておりますけれども、TMOの設立委員会からTMOの立ち上げについて会頭に報告がなさ れる旨承っておるわけでございまして、この1日も早い立ち上げにつきましては、私どもも願ってい るということです。◇1番(布施辰二郎君) そう言えば先ほど構想策定委員会で3月中旬に報告があるというお話しで した。結局ですね、このまちづくり事業が進んでくれば必然的にこのソフト事業が発生してまいりま す。歴史的建造物の保存活用だとか、あるいは店舗経営のアドバイス、そういったことが出てくるわ けですけれども、TMOが早くできることによって例えばいま街なか、歯が欠けたようになっており ますけれども、空き店舗対策などもできると思うのですけれども、これをとにかく早く立ち上げてい ただきたいと思いますけれども、もう1回、すみませんお願いします。

◇市長(西田洽司君) 先ほどと同じでございまして、答申がなされ、それについて立ち上げが1日 も早くできるというふうに私どもも願っておりまして、その方向で着実に進んでいるというふうな理 解でございますので、ご理解をいただきたい次第であります。◇1番(布施辰二郎君) もう1点ですね、このTMOの設立につきましては前からいろいろな議論 がございましたけれども、これは会議所単独で作られるのか。あるいは当局の主導で作られるのか。 あるいは第三セクターというふうになるのか。まだ全然それが決まっていないのか。その辺はいかが でしょうか。

◇市長(西田洽司君) このTMOにつきましては、沼田市に対しまして認定に向けての働きかけが ございましたところで沼田市が認定し、公表をしながら沼田市を経て経済産業大臣に行って認定を経 て認定される仕組みになっております。したがいまして、このTMOの中身につきましては、現在、 策定委員会が検討をしている策定が会頭により受理され、私どもの方に示された段階で私どもの方は それを基に検討をしていくという現在の状況でございますので、出資状況、その他につきましては、 それらが会頭を通して私どもの方に提出されるのを待ってご答弁を申し上げたい。かように考えてお ります。

◇1番(布施辰二郎君) 会議所の方から働きかけがあって市が認定することで、まだ決まっていな いということで、そういうふうに受け止めました。 次に、移らせていただきます。次に、文化遺産と施設について。土岐氏の遺産についてであります が、先ほどは教育長に答弁をいただきました。大体趣旨が、思いがわかりましたので、できたらひと つ市長に答弁をお願いをしたいと思っておりますが。江戸時代のですね、大名や藩主でなければ所蔵 し得ない貴重な資料が1,000展以上、いずれも沼田藩時代、またはそれ以前の戦国時代から明治 の廃藩置県後にまでつながり、中には徳川時代史にも直通する資料もあると。そして重要な資料は大 きな桐箱、長持ちですね、3庫に収蔵されていたので虫食いもなく、損失もなく良好であったと。当 時これは沼田氏が土岐家の寄贈資料を受納したときの記述であります。いま町に出て聞き歩いても、 ほとんどの人達がこの貴重な文化遺産のことを、聞いたことはあるけれども見たことはないという、 先ほど50何年でしたか、2日間やったことがあるという話でしたけれども、市長はまずご覧になっ たことがあるでしょうか。◇市長(西田洽司君) 平成2年の県立歴史博物館において、沼田土岐時代の歴史と文化という題名 で成されました企画展につきましては、私も行ってまいりましたし、多くの皆様方の前でご挨拶をさ せていただく機会もございました。

◇1番(布施辰二郎君) ご覧になったということでございますけれども、おそらくですね、この沼 田市でも先ほど答弁がありましたけれども、54年の8月、土岐家の寄贈品の展示会を教育委員会が 文化会館で一般に公開をしております。平成2年にもこれは県立の博物館であったということですが、 旧沼田城址の土岐氏の秘蔵品ということで、市内はもとより遠方からも参加の人達でだいぶ文化会館 のときはにぎわったということがある本に書いてございました。 展示品の主なものは、甲冑とか陣笠、脇伊達、古文書、鞍とか鐙などであったということですが、 22、3年前に本市では1回だけ寄贈されたとき公開しただけであります。しかもそのときは展示品 の数がいかにも少なかったそうですけれども、数少ない、もうだいぶ知っている方が少なくなってし まいまして、いろいろ事情はあろうけれども市の宝物なのだから市民にもっと披露してもらいたかっ たと、そんな話も聞いております。そこで沼田市としては、これほどの寄贈を受けても結局は保管と か陳列、公開する施設がないわけでありまして、当時はやむなく県立歴史博物館へ寄託をしたそうで すけれども、20数年も経った現在ですね、まだ市民に公開できないということに、場所も含めてこ れは市民に申し訳ないと思わないのでしょうか。リーダーの責任だと思いますけれどもいかがでしょ うか。

◇市長(西田洽司君) 大変手厳しいご指摘をいただきまして恐縮をいたしております。群馬県の歴 史博物館は、県内の歴史の博物をしようということでありまして、そこに当時寄贈された沼田市が委 託をしているということにつきましては、私は当時としては懸命の策ではなかったろうか、こういう ふうに思っております。言うまでもなく土岐氏は諸大名の中でも名門中の名門の大名でありますし、 その史跡等が、遺物等が比較的良好に残っているということにつきましては、私もお認めを申し上げ る次第でございます。ただ、貴重であれば貴重であるだけに、保管につきましては、私どもが想像す る以上の気を使っておられますし、温度から湿度から除虫、その他大変な状況で、私どもが借り出す というか、沼田に持ってくるにつきましても許可をいただくような現状でございます。そういう中で 沼田市民にどういう形でこれをご披露、ご披瀝申し上げ、また暫くの間預かってもらうために戻すか 等々についてこれからも研究しながらそんな機会ができればと思っている次第でございます。


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