空と文字(FIELD)

ミスターシービー
〜子供にも聞こえた、競馬ブームの足音〜
 シービーとの出会いは11歳のときでした。当時、友達がやれ「ガンダム」だ、やれ「キン肉マン」だ、といっていたとき、すでに私はジービーの末足に見せられていました。実際、三冠を制したシービーでしたが、当時の私の見たレースは菊花賞のみだったと思います。(皐月の道悪の怒涛の追い込みも、ダービーの灰色裁定も後日談で聞きました。)テレビ等の露出で、競馬にはまったく興味がなかったのですが、シービーの活躍は周知のところで、(まだおっさんのギャンブルだった)当時としては革新的だったのでは?(小学生だったのでわかりませんが・・・。)
 自論ですが、名馬の違いっていうのは、「競馬ファンでない人にも、馬名を知っている。」だと思います。その点で私にとって、最高の名馬はミスターシービーなのです。(ちなみに翌年の三冠馬シンボリルドルフは、競馬ファンになった94年に知りました。)
 そんなシービーですが、古馬になってからの情報はまったく入りませんでした。(成績はすべて10年後に知り得ました。)ある意味知らないほうがよかったのかどうかはわかりませんが、六歳秋のジャパンカップ(重馬場)を走らせてみたかった・・・。
 
 種牡馬になってからのシービーですが、バブル景気とあいまって、種付け料2千万という超破格値。(ダビスタだったらたぶん付けないであろう。)サンデーサイレンスがあの実績で3千万ぐらいですから・・・。フェラーリ買えるし、サバイバー2回優勝しなければならないし・・。この価格が「シービーが種牡馬としてパッとしなかった。」という声につながってしまったかなと。(たしかに社台SSで一流牝馬に種付けしたのだからしょうがないか・・・。)シャコ−グレイドがテイオーに勝てとは言わないけど、せめてヤマニングローバルが無事にクラッシクを迎えていたら、秋天でもう少しテイオーとヘリオスがペース落として逃げてくれればと、くどくどと小一時間。しかし嬉しい情報もあった。シービーの孫のウイングアローがG1二勝で無事種牡馬入りしてくれたこと。

 私の子供が育ったとき、どんな馬が記憶にインプットされるのであろう。